たまの願い
既に日は落ちかけていた。
滝の家を出て、たまの足は勝手に破れ寺へと向かっていた。息を切らして走った先ではやはり夜四郎は芋を焼いていて、眼帯もなしに転がり込んできたたまにぎょっとする。そんな夜四郎の顔を見て、思わずたまは泣き出しそうだった。
「夜四郎さま、夜四郎さま」
──否、既に半分泣いていた。軒先にうずくまってめそめそと繰り返す。
「夜四郎さま、お助けください」
夜四郎は困ったようにたまを見る。
「なんだ、なんだ、おたま、一体どうしたんだ。眼帯はしてないのか? 泣いてばかりで……まさか怪我でもしたのか?」
ぶんぶんと首を振る。夜四郎の方もたまに目立った傷がないので、訳がわからない。
「それじゃあ一体どうしたんだい」
「夜四郎さまは、妖を斬るんですよね」
「そうするのが俺だが……」
「それが、どんな妖でもですか。斬らないといけませんか。それ以外に手はないのですか」
「……そうさな、そう思ってくれて構わないが……」
たまはついにわっと泣き出した。夜四郎は何事か掴めずに困惑するばかりである。
「なあ、おたま、どうした。突然来たかと思えば泣き喚いて、なんかあったのか、なあ」
「夜四郎さま、たまは、妖を見つけたのかもしれません」
「なんと……」
おろおろとたまの背中を彷徨っていた手がピタリと止まった。
「何処で」
「この町にいます」
「どんなだい」
「……わ、わかりません。でも、その姿は、その記憶は、私の大切な人そのものなんです」
斬らないでと言いたい。だが、それならこの男に言うのは間違っているのもまた、たまにもわかることだった。ここに来た時点でそれは叶わない──しかしたまには他に頼る人がいなかったのである。
「夜四郎さま、助けてください、お滝さんを助けてください」
たまは頭を擦り付けていた。蜃気楼のようにぶれた滝の姿、笑顔、その細首に捩り巻きつく大蛇の影。眼帯越しには見えなかったが、変色して歪んで苦しそうだった。苦しそうな異形だった。アレが妖かは知らないが、彼方の存在だということは知っていた。
夜四郎は話を聞くなり少しだけ考え込んでいた。
「たき? お前が探してた滝は……隣町……夫と子に死に別れて……首に蛇が巻き付いて……もしかして小間物屋の川副滝か?」
「た、滝姉さんを知ってるんです?」
「いや、まあ」
夜四郎はまた難しい顔になった。前に聞いた時は気が付かなかったが、思い至る何かがあったらしい。
「その、お前の知ってる姉さんがそうなったのはいつからだ」
「いつそうなったのかは知らないんです。昨日かも、ずうっと昔かも、……もしかしたら、滝姉さんの姿を真似た違う妖なのかもしれないけど」
「……首か」
夜四郎は目を閉じて、何かを思い出しているようだった。次に、片隅の木箱を──入っているのは古い瓦版らしい──漁る。そしてまた思案に耽る。
「……そうか」
「お滝さんが誰かを食うつもりなら止めてほしいんです。違う人がお滝さんのフリをしているなら、やめさせてほしいんです」
滝の姿でそんなことをして欲しくない。たまの我儘だった。誰かにもし見られてしまったら、誰かを食ってしまって恨まれる存在になってしまったら、優しい滝を知るたまからしたら耐えられない。
「お滝さんを助けてください」
「……俺が出向くとなると、斬るしかない」
「分かってます」
「どんな形でも、斬るしかできない」
「分かってます」
それが滝の成れの果てでも、そうでなくても変わらない。夜四郎は妖を斬る、その為に辻に居座っていたりなんぞしていたのだ。
「でもお滝さんをどうにか、どうにか助けたいんです。妖ならまだいいんです、でももし人を食う悪鬼になってしまうくらいなら止めたいんです」
「……まあ、
「
たまの勝手な言い分に、
「……なんと言うか、お前さんは危なっかしいなあ……」
困ったように笑いながら、
「──あいわかった」
確かに夜四郎はそう言った。それはそれで苦しくなって、たまは唇を噛み締める。何が正解なのかはわからない。どうするのがよかったのだろう。たまには頼る相手が夜四郎しかいなくて、その夜四郎は妖斬りなのだ。
そんなたまの様子を見かねたのだろうか。夜四郎はたまを助け起こして言った。
「俺は斬るが、ひとつ考えがある」
「……考え?」
「お前さんの店に来る旅の御仁が探し人、お前さんの良き姉さん、それから俺が斬るべき相手──その全てが同じだとして、どうせしなくてはならないことが一つなら、よりよい形で黄泉に送ってやろう」
そう言って夜四郎は たまと視線を合わせた。
「お前さんにひとつ頼みがあるんだ」
「たまに?」
「お前さんは何のために走り回ってた?」
「それは」
「探し人の手伝いだろう」
それはその通りだが。なぜ今その話なのだろうといまいち掴めない。
「それを完遂させたい。明日の晩、どうにかお滝を例の辻に連れてきてくれ」
「お滝さんを、辻に?」
「決して苦しめることはしないと約束する。刀は抜くが悪戯に苦しめはしない。だから連れてきてくれ、俺も後から行くから」
夜四郎の言葉に、少しだけたまは考え込んだ。それでもたまはたまだ。
「あい」
やはり安請け合いするのだった。
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