辻のあやかし(三)

 たまに客から聞く怪談。おどろおどろしい化け物たちが『見〜た〜な〜』と地の底をうような声で責めたて、追い立て、襲ってくるという話を思い出していた。

 ──つまり、彼は辻の怨霊だと。

 それがたまの導き出した答えだった。それを、なんと勘のいいことに男も察知したらしい。己の言葉が脅していていたと気がついて、慌てふためいた。

「違う違う、そう言うことじゃない。だから怖がらせたいわけじゃない! 確かめたいだけだ! お前は俺を見たんだな? 今だけじゃなく、あの辻で、あの男を斬るのを見たんだな?」

「どどどどどどういうことでしょう、たたたまは辻でぶしゅりと血みどろ惨劇さんげきなど、何も見ておりませぬぬぬぬ」

「そら見たんじゃないか、それより落ち着いてくれ! 俺は誓って斬っていないし、それを見られたって理由でおまえさんをかどわかしたわけではない。ただ、そうだな、先のアレには訳があってだな」

「さささささ、左様で」

「俺は怨霊ではなく、逆にあの男がだな」

「はははい、心得ておりまするるる」

「ええいらちがあかん! つまり俺が言いたいのは、あのな────」

男は少しだけ言い淀んでから、少し考えて、それからサッと手で片目を覆った。

「おまえさんの、その、綺麗な目だよ」

「は?」

 思わず低い声が出た。

「はい?」

言い直すが、まだ低い。まさかこんな小娘を良い年した男が口説いてるのだろうか。いやまさか。

「お前さん、俺だけじゃなく俺が妖を──あの男を斬ったのを見たんだろう? その綺麗な目で、はっきりと見たんだろう」

「妖」

──あ、違った、口説いてなかった。

座したまま、たまは少しだけ退がった。怖かったから。恐ろしかったから。たまはった笑みを返すしかない。

 

 その事実がなにより恐ろしかった。あの惨劇は見えてはいけないものだったのだろう。それを見て、そしてその男と言葉を交わすたまは確かに普通ではない。少なくても霊だとか妖だとか、化生けしょうの存在には知られてはいけないのだと随分前に忠告されてたことを今更思い出した。うっかりしていたと唇を噛む。だって、大体の妖は知らんぷりして通り過ぎればここまで関わってはこないから。攫われたり脅されたりはされたことがない。

 黙りこくったたまに男は首を傾げた。

「あれ、綺麗はいやなのかい。なら、奇怪な目の娘さんでどうだ。その不思議な目でようく見るんだぜ、俺は何に見える? 妖じゃあないだろう」

ずずいと近寄ってきた。彼が刀を抜けば、たまなど即お陀仏だぶつだろう。

 逃げ場がないならと、たまは覚悟を決めた。バレているのだし、たまは嘘が上手ではないから。瞬きを三回、それから左手で片目を覆ったまま男を見上げた。

「きかい……って」

褒めるのか、貶すのか。綺麗をどう言い換えたら奇怪になるのだろう。今度は右目を覆って男をじとりと見る。

「ああ、いやさ、褒めてンのさ。なにせそんな目を持つ人は滅多にいない。お前さんには見えてるんだろう?」

 

 此方こなた彼方かなたの境目が────。


 びくりと肩を揺らした。ああ、やはりこの人は知っている。たまが視える人だと。

 たまの目は世界の境目を映す。

 此方(人の世)にあるものと、彼方(妖や霊だとかの世)にあるものとを二つ見ることができるのだ。普通、己の属する世のものしか見えないはずが、何故だかたまにはどちらの景色も重なって見えていた。

 たまは幼い頃から幽霊だとか、物の怪だとか、所謂この世のものではないものをよく視た。あの角に老婆がいる、誰もいない部屋に子供がいる、幼いたまは何度か口に出してしまった。それを父は優しくたしなめてくれた。口にしてはならない、見ていることを気づかれてはならない、できる限り──。

 異なる世が視える者は良くも悪くもその橋渡しをしてしまうと言われている。今回の場合で言えば妖と人とだ。それを知られれば取り憑かれることだってあるのだから、注意をしなければならなかったのに、初めて会った人にバレてしまったとは。

 彼方が視えるのは右目だけだ。それに視え方も時々によってまばらで、体半分がゆらゆらと蜃気楼のように揺れてみえるだとか、頭だけがちかちかと光っていたとか、影絵のようだとか、はたまた残像のように視えるだとか、そういう風に映るのである。左目で見る景色と右目の景色を重ねて、生まれた歪みでそれがであることを理解する。

 対して、たまと同じくこの世に生きるものは右目で見ても左目で見てもなにも変わらないのだが……。

 ゆっくりと観察していたたまは、すぐにあれっと止まった。またじろりとつま先から天辺まで観察して、今度はアッと声をあげた。

 この男はどちらで見ても変わらなかったのだ。右で見ても、左で見ても、男の影は揺らめいている。揺らめいているが、どちらの目にも同じに映る。これではまるで──。

 たまは狼狽ろうばいして、けれど何度試しても結果は変わらないので、ついに肩を落として諦めた。

「……あ、あのう、すみませぬ、たまは失礼を重ねてしまいました」

深々と頭を下げる。

「ご浪人さまは夜な夜な辻斬りをする怨霊じゃないのですね……そのう、たまは大変申し訳ないことを言いました……」

それから心の底から詫びた。

「そうとも、俺は死んじゃいない」

「──ただ、その、あなたさまは」

「ただ、姿が普通の人とは違う、だろう?」

たまが言いかけた言葉は男が拾った。

「それこそお前さんが俺を妖だと思った理由か」

「は、はい」

それは確かだった。右目でも左目でも同じに見える。なのに、彼の姿は普通ではなかったのだ。

 端的に言うならば、男は影のように仄暗かった。ちょうど真上に薄く影を落としたみたいにほんのりと陰っている。夜だとは言え、月明かりの下、木陰、篝火の側でも光の加減が全く変わらないのはいくらなんでもおかしいのだ。そのくせ、顔の造詣ははっきりわかるのだから不思議である。それから輪郭は蜃気楼のように揺らめいては止まって……を繰り返していた。

「まあ、確かに俺はお前さんみたいには生きちゃいないから、その見え方は間違っちゃいない」

「えっ」

さっき幽霊じゃないって言ったのに! 驚いて見上げると、男は楽しそうにからからと笑った。もてあそばれてるだけなのかもしれない、と頬を膨らませると、それを見てまた笑った。

 ひとしきり笑ってから、男は軽い調子で詫びた。詫びてから、不思議なことを言った。

「要はどっちも正解だってことだよ」

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