03.クリストフ様は、太陽組のアイドルでした。

「もうもう、クリストフ様は舞台を降りても男前なんです! 天使なんです! 神なんです!! 聞いてます?! キアリカ隊長!」

「何度も聞いたわよ、あの日から一ヶ月、毎日ね」


 クリストフと夢のような時間を過ごしてから、一ヶ月が経った。

 劇団タントールの公演は、太陽組、虹橋組、青空組が二週間交代で行っている。今日からまた太陽組の公演が始まるため、うきうきが高まってしまうのは仕方のないことだ。


「隊長も今日の太陽組の公演、一緒に見に行きませんか?!」

「行かないわ」

「どうしてですか! いつも筋肉だるまみたいな騎士しか見ていないんだから、目の保養になりますよ!!」

「ちょっとスヴィ、私の夫を侮辱するつもり?」


 キアリカにギラっと鋭く睨まれたスヴィは、ひゅっと背筋を凍らせた。

 キアリカはキアリカ隊の隊長でもあり、団長補佐も兼任している。そしてその団長のエルドレッドは、彼女の夫だった。


「ずびばぜん、口が滑りました……」

「まったく、そこらの男がエルドさんに敵うわけないじゃないの」

「それは、自分の旦那様だからよく見えているだけじゃ……」

「なにか言った? スヴィ」

「いえ! なんでもありません!! では私はこれで失礼します!」


 終業時刻になると同時に、スヴィはスタコラと勤務地から退散する。

 二時間かけてランディスの街に着くと、午後七時の公演に滑り込んだ。久々の太陽組の演劇を見る時は、仕事を頑張って良かったと心底思う。

 今回の公演は、クリストフはサブヒーローのような立ち位置でクールな役だったが、これがまたスヴィに何度も溜め息を吐かせたのだった。


 いつもは舞台が終わるとすぐに帝都にもどるスヴィだが、この日は出待ちというのをしてみようかと、劇場の裏口に向かってみた。

 同じような目的の女性が結構いて、嬉しいと同時に複雑な気分になる。

 彼女たちに話しかけようかとも思ったが、帝都騎士服を着ていることで、ちょっと距離を置かれてしまっているような気がしてやめておいた。

 しばらく待っていると、役者の何人かが出てきた。それぞれのファンが礼儀正しく話しかけたり、逆に役者の方が自分の名前を書かれた紙を持っている子に話しかけたりしている。


 そっか、ああやって自分の推しが誰なのか、明確に示していたら話しかけてもらえる確率が上がるのか。


 実は初めて出待ちをしたスヴィは、なるほどと学習した。

 次に来る時は『クリストフ』と書いた紙を用意してきた方が良さそうだ。


「ここで何をしている、スヴィ」


 明らかにクリストフではない、低音すぎる声が聞こえてきて、スヴィは近づいてきた人物を見上げた。


「リカルド班長……」

「露骨に嫌そうな顔をするな」


 以前働いていたディノークス騎士隊の班長、リカルドだ。リカルドもこの太陽組の役者で、スヴィがクリストフにハマるきっかけとなった人物である。

 リカルドは女優の奥方と一緒に帰ろうとしていたようだ。


「なにか用ですか、班長……」

「帝都正騎士団の者が騎士服を着て出待ちなどするな。品位が問われる」

「だってー、仕方ないじゃないですかー! 着替えてる暇なんてないんですからー!」

「言い訳はいい。さっさと帰れ」

「ひどいですっ」

「キアリカを困らせるなよ」


 リカルドはそれだけを言って女優の奥方と去っていき、スヴィは口をキュッと結んだ。

 確か、リカルドとキアリカは同じ時期に騎士になった、いわゆる同期だったと聞いている。だからキアリカの部下がバカなことをしないか、心配しての言葉だったのだろう。


 出待ち、そんなにダメかなぁ……。


 たしかに、一人だけ騎士服では浮いている。しかもこの街の騎士ではなく、帝都からの追っかけ。ストーカーなどと噂されでもすれば、一発アウトだ。

 キアリカ隊はまだ発足してたった一年の若い騎士隊。ほんの些細な不祥事でどう転ぶかわからなくなる。女性騎士隊をよく思っていない連中も、帝都にはいるのだから。

 今はキアリカ隊が一丸となって信用を重ねている状況なのだ。それを傷をつけるわけにはいかない。


 ぐっと奥歯を噛んだまま暗い足元を見ていると、わっと周りが騒ぎ出した。クリストフが出てきたのだ。

 太陽組の中で一番人気のクリストフは、よく主役を張っている。美形で物腰柔らか、まさに王子。若い女性の憧れの的である。

 太陽組のアイドルといって、間違いない。

 クリストフは女の子に囲まれて、優しい笑顔でファンサービスしている。

 スヴィも、行きたかった。手を伸ばせば届く距離まで。

 しかし手が届く距離まで近づいたとして、それは本当に〝近づいた〟と言えるのだろうか。

 事実、スヴィはクリストフと握手をした。物理的に手を繋いだ。

 けれども、距離はまったく変わっていなかった。


 ……こんなに、遠かったんだ。


 わかっていたはずだった。

 彼は舞台俳優で、スヴィはただのいちファン。

 帝都で少し話しただけで、特別と思う方が間違いだ。

 あの笑顔だって、スヴィがファンだったから向けてくれただけ。ただのサービス。

 それでいいと思っていたはずなのに、やたらと胸が苦しく締めつけてくる。


 ちょっと、うそでしょ……?


 スヴィは自分の気持ちに苦笑いしてしまう。

 襲いかかってきたのは、理性で抑え切れないほどの強い独占欲。

 クリストフが、欲しい。

 狂おしいほど体がそう叫んでいる。


 二十三にもなって、こんな恋の仕方ってある?


 子どもがおもちゃを欲しがるような感覚に、自分で呆れながらも認めざるを得なかった。

 誰もが憧れる太陽組のアイドルに、恋をしてしまったのだと。


「……っ」


 クリストフは手を伸ばしても届かないところにいる。

 今、声をかけたところで、周りの女の子たちと同じ対応しかしてもらえないだろう。


 スヴィは、諦めた。


 クリストフから背を向けて、暗い夜の道をひた走る。

 すると追いかけていた人影がくるりとこちらを向いた。


「誰だ?!」

「リカルド班長ぉぉお!!」


 リカルドに突進するもヒラリと避けられ、スヴィはそのまま壁に激突した。


「いだーーっ!!」

「何をやっているんだ」

「う、班長……」

「遺言なら聞いてやらんでもないが」

「ひどいですっ」


 くすくすと笑っているリカルドの奥方に、無表情のリカルド。

 スヴィはその二人にずずいと近づくと、ガバッと頭を振り下ろした。


「リカルド班長、ルティアさん! どうか協力してください!!」

「は?」

「なにをですか?」


 スヴィは、諦めたのだ。

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