第9話 穴

 俺は確かに穴の中に入った。



 落ちる!



 穴の深さは!?



 この下はダンジョンの一階層下だろうか。



 だとしたら高さ二十メートルはあるはずだ。



 どうすればいい。



 俺は浮遊魔法なんて使えない。



 そんな高等魔法、使えるはずがない。



 ダメだ。



 このままでは死ぬ。



 だが声の主は反応しない。



 声が聞こえなくなった。



 くっ!



 歯の根が合わない。



 恐怖で身体全体が震えてきた。



 このままじゃ地面に衝突して、おさらばだ。



 冗談じゃない。



 ドラゴンに引き裂かれるのも、あの連中に切り刻まれるのも、地面に激突して死ぬのも全部嫌だ。



 くそっ!くそっ!くそっ!



 どうしていきなり聞こえなくなったんだ。



 返事をしてくれ!



 おい!どうしたんだ!






 ……あれ?どういうことだ?……俺はいつまで落ち続けているんだ?……



 ……何でいつまで経っても地面に激突しない?……



 ……どういうことだ?何でいつまで経っても……



 俺はそこで恐る恐る足下をのぞき込んだ。



 光と闇が交互に明滅している。



 なんだこれは?



 もしかして光は各階のダンジョンから漏れている明かりか?



 闇は各階層の間か。



 つまり俺は、ダンジョンをいつまでも落ち続けているってことなのか?



 俺は恐怖に震えた。



 一体何処まで落ちていくのか。



 いつ地面に激突するのか。



 その死に対する恐怖が、延々と続いていく。



 恐い。



 死ぬのは恐い。



 でもいつまでもこの恐怖が続くのはもっと恐い。



 なんとかしてくれ!



 おい!返事をしてくれ!



 どうしたんだ!



 いや、俺はどうなるんだ!




『うるさいな。少し静かにしろ』




 やっと声が聞こえた!



 おい!なんでいきなり黙ったんだ!



 ていうかこの穴はどうなってる!?



 いつまで続くんだ!




『立て続けにぎゃあぎゃあとうるさいぞ』




 うるさいじゃないだろう!



 あんたが導いたとおりに俺は穴に飛び込んだんだ。



 責任取れよ!




『安心しろ。死にはしない』




 信じられるか!ちゃんと説明しろ!




『俺の所まで来たら、ちゃんと浮遊魔法をかけてやる。だから安心して落ちていろ』




 本当か?お前本当に浮遊魔法を使えるのか?



 それにしても落ちていろって……一体、いつまで落ち続けるんだ!




『……そうだな……あと五分くらいだろ』




 なんだその適当な答えは!



 本当に五分後に着地出来るんだな?俺は死なずに済むんだな?



 いや、ちょっと待て。五分ってどんだけ落ちるんだよ!




『ここは地下千階だからな。それくらいはかかるだろ』




 ……え?今、地下千階って言った?




『ああ、言ったがどうした』




 ……いや、地下千階って……そんなダンジョン聞いたことないんだけど……。




『ああ、そうだろうな。普通の人間は聞いたことがないだろうな』




 ちょっと待て、本当にこのダンジョンは地下千階まであるのか?



 確か世界最深のダンジョンって、百階ちょっとじゃなかったっけ?確か百十三階とかだったような……。




『おい、それは一番下まで到達してその階数なのか?』




 俺は思わず落ちながら首を傾げた。



 いや、確かそこまでしか潜れなかったんじゃなかったか。



 ああ、そうか。つまりその下もまだあるってことか。




『ま、そういうことだな』




 それにしたって千階って本当なのかよ!




『実際お前、百階なんてとうに過ぎるくらい落ちてるだろ』




 確かに……。



 って、今どれくらい落ちてんの?




『そうだな、三百階くらいじゃないか』




 まじか……。でも実際落ち続けている感覚あるしな……。




『だろうな。楽しいか?』




 楽しいわけないだろう!



 めっちゃ恐いわ!




『ふははははは。せっかくなんだ楽しめよ』




 こんなもの楽しめるか!




『大丈夫だ。死にはしない。久しぶりにせっかくの……』




 おい、なんだ。話の途中で切るなよ。気になるだろ。




『なあに、大したことじゃない』




 いいや、絶対重要なことだ。思わずそれを口走りそうになったから、慌てて口をつぐんだって感じだったぞ。




『気にするな。どうせ後でわかる』




 後でわかることなら今教えろ。さあ、早く。今すぐにだ。




『そう急かすことでもあるまい』




 それを判断するのはこっちだ。さあ、今すぐ言えよ。




『おい、俺は助けてやった方だぞ。何でお前が命令してんだよ』




 まだ助かってない。今はただ落ちているだけだ。




『だから助かるって言ってんだろ』




 信用出来ん。




『なんだお前、性格悪いな』




 お前もな。




『ふん、まあいいさ。なら教えてやるよ』




 ほう。それなら頼む。出来るだけ簡潔にな。




『教えてやるって言ってんだから、注文付けるなよ』




 わかった。大人しく聞いてやる。




『俺はこのダンジョンから脱出したい』




 ほう。それで。




『そのためには触媒がいる』




 ……つまり、それが俺か。




『察しがいいな。その通りだ』




 それで?まだあるんだろ?




『ああ。お前には触媒になれる素質がある……だが、足りないかもしれない』




 つまり、久しぶりに触媒になれる可能性のある奴が来た。だけどそれは可能性であって、そうでないかもしれないと?




『そうだ。よくわかっているじゃないか』




 肝心なことを言えよ。




『肝心なこと?』




 とぼけるなよ。触媒になれなかった時、俺はどうなる?




『……さあな。その時は知らんよ』




 ……殺すんだな?




『いや、そうなら正直興味はない。俺がわざわざ直接手を下す気はないさ』




 ……そういうことか。このダンジョンの地下千階で俺が生きていけるわけがない。




『そういうことだ。やはりお前は察しがいいな。中々に頭は良さそうだ』




 …………。




『おい、どうやらそろそろご到着のようだぞ』




 俺はその声に思わず下をのぞき込んだ。



 相変わらず景色は激しく明滅している。



 落下速度があまりにも速いのだろう。



 何が何やらわからない。



 だがその時、突然俺の身体が青白く光り出した。



 なんだこれは?



 すると、それと同時に落下速度がみるみる落ちていく。



 周りの光景が徐々に鮮明に見えるようになってきた。



 やはり光はダンジョンから漏れる明かりだったようだ。



 そして闇はダンジョンとダンジョンの間の地層の部分だ。



 そうこうする内、足下の地面がハッキリと視認できるようになった。



 あそこがこのダンジョンの最下層、地下千階か!



 俺はゆっくりと静かに地面に近付き、最後一瞬ふわりと浮き上がった後、羽毛のようにゆるやかに着地したのだった。

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