第22話 天魔嗤う


 PM17:20。

 蒼く燃える長髪に、背から同じく蒼く燃える翼。

 蛇のように瞳孔が縦に割れた真紅の瞳。

 全身は黒い龍鱗に覆われており、尾骶骨びていこつから生える龍の尾を持つその怪物の名は『エンドレス』。


 デリットによって生み出された生物兵器であり、持続戦闘をコンセプトに設計されたこの生物兵器は高い継戦能力と殲滅能力を誇る。

 世に放てばそれ一体だけで、小国を容易く滅ぼせてしまう戦闘兵器だ。

 推定レートは6。

 その中でも最上位に位置するだろう。

 ムカデがかつて引き起こした紋章災害に匹敵する戦闘能力である。


 そんな怪物が、特務課第二班班長天羽華澄あもうかすみの十字架を想わせるロングソードによって五十の肉片に斬り刻まれてしまっていた。

 だが、この程度で終わるのならレート6になど至れない。

 推定レート6とされたムカデの紋章災害は瞬時に街一つを壊滅させるだけの力を持っていた。

 ならば、エンドレスもそれだけの力を秘めていてしかるべきなのだ。


 五十に分かたれた肉片全てから蒼白い炎が上がり、火柱となる。

 そして、その火柱の中から無傷のエンドレスがゆったりとした歩調で姿を現した。


「舐めてイた。サスガは特務課班長。だが、次ハない」

「蒼白い炎に不死性、堅牢な黒い鱗に龍のようなフォルム。……フェニックスと……、ファフニールあたりのテキトーな黒龍の二つの紋章を持ってるのかな」


 紋章は一人に一つ。

 たとえ移植しようとも、紋章画数が増加するだけで司る能力は増えない。

 複数の紋章を操るのなら、紋章武具を振るう他にないはずなのだ。

 しかし、その大原則を無視する存在を前にしても、天羽は至極冷静だった。


「生きた人間二人を生きたまま一人にするだなんてイカれてるね君たち」

 

 それは、彼ら・・の異形な在り方を見抜いていたからだった。


「ヒッヒヒ、おオレをバカ二してたやツラ、殺せりゃ何でもヨカッタ。デモ、なンでで、そレヲ知ってる? 最重要きミツ事項ダゾ」

「私の紋章に起因する能力でね。命の在り方を見ることができるんだ。だから君たちの中に魂が二つあることも見えてるよ」


 天羽の目にはエンドレスの中に太陰太極図たいいんたいきょくずのように結合する二つの魂が見えていた。

 だからこそ、その実験のおぞましさに嫌悪感は抱くも、紋章が一人に一つという大原則は犯していないため驚きはしなかったのだった。


「ヒヒ、秘密知ったオマエ。生かしておケない。絶対殺ス」

大言壮語たいげんそうごだね。分かるとも」


 天羽は自身が好きなソシャゲのキャラクターの口調を真似ながら、流れるような剣閃で再び切り刻む。

 だが、今度は漆黒の龍鱗を切り裂くことができず、刃はその身で受け止められてしまった。

 これには目を見開いて驚きを見せた天羽はその一瞬の隙を突いて殴り飛ばされる。

 受付カウンターを粉砕してめり込んだ天羽はまたもや無傷で立ち上がる。


「成程、主人格を切り替えることで紋章出力の割合を操作してるんだね」


 エンドレスが刃を防いだ時、天羽の眼には片方の魂が大きくなるように映った。

 つまり、エンドレスは二重人格に似た状態にあり、人格を切り替えることでその人格が持つ紋章の出力を上昇させることができるのだろう。


「クヒヒ、舐めスギ。俺お前、より強イ」

「……継戦能力は高いけど、それ以外は論外だね。アトランティスの兵器の足元にも及ばないレベルだ」

「なんダト」


 人としての生を捨ててまで手に入れた絶大な強さを否定されたエンドレスは深紅の瞳で鋭く睥睨へいげいする。


「バカだって言ったんだよ。継戦能力が高くても、破壊力があっても、俊敏性があっても、それを操る思考力が絶望的に悪いせいで扱いきれてない。アトランティスなら最低でもスパコン並の演算能力を搭載しただろうに……」


 二度も攻撃が直撃したというのに無傷だという事実に気づかず調子に乗るエンドレスを前に、天羽は落胆の溜め息を溢す。


「一方的ないじめになるけど、恨むなら演算装置をつけなかったバカな開発者と殺害許可を下ろさないうちの上層部を恨みなよ」


 十字架の如きロングソードを構える。

 これより始まるは蹂躙。

 レート6が文字通りサンドバックのように扱われる。

 不死性が仇となった、彼の魔力が尽きるまで続くいじめとも形容できる泥試合だ。



    ◇



 PM17:40。

 エンドレスが天羽のサンドバックとなっている頃。

 二人の天使の戦いは熾烈しれつを極めていた。


 しかし、戦況は互角ではなく、ミカの圧倒的優位である。

 と言うのも彼女が持つ剣にこそ、その理由がある。

 彼女が持つ鞘から抜かれし剣はこの世全てを焼き切る聖なるほむらの剣。

 聖書におけるルシフェルとの戦いにおいても武器の差が勝敗を別けたとされるほどの武具。

 防御不可能であり、貫かれれば如何なるものも灰燼かいじんす刃。


 それにより八神は既に『否姫』いなひめ、『無辺むへん』、『村正むらまさ』。

 三振りの刀身を絶たれて破壊されていた。

 紋章武具を壊されたくないなら使わなければ良い話ではあるのだが、ミカが左手に持つ天秤がそれを許さなかった。


 正義の秤。

 大天使ミカエルが所持するこの秤は、絶対に真ん中の状態から動くことはないという性質を持つ。

 つまり、強制的に中立公平に導く権能を持っているということだ。

 ミカはこれを用いて、剣を持つ自身と公平に導くことで、強制的に紋章武具を引きり出していたのだ。


「残り五振り。紋章絶技を放たなくてもよろしいのですか?」


 ミカは攻撃を受けず、回避に専念する八神へ攻撃を仕掛けながら語り掛ける。

 紋章絶技を放てば確かにこの状況を打破できる。

 紋章武具のものなら記憶領域の喪失というデメリットも存在しない。

 ただ、武具に刻まれた紋章を消費するだけだ。

 しかし、紋章絶技とは必滅の一手。

 下手に放てば殺してしまう可能性が高いのだ。

 

「うだうだと悩むのが貴女の悪癖あくへきのようですね。ほら、また一振り破壊できました」


 手に持っていた“切断”の紋章武具『断風』たちかぜがミカの刺突によって瞬時に灰塵かいじんに帰した。

 そして、ミカが左手の秤を振るう。

 またも強制的に“残滓”ざんしの紋章武具『伏魔』ふくまを引きり出される。


 だが、ここである策が浮かぶ。

 八神は左手に光剣を作り出して、伏魔ふくまを異空間に収納する。

 彼女の正義の秤は互いに剣を手に持っている状態に調律している。

 ならば、紋章武具以外の剣を持っていればその条件を満たすため紋章武具を異空間にしまえるのではないかと考えたのだ。

 しかし、


「やっぱり。これなら紋章武具を収納できるようになった!」

「無駄ですよ」


 ミカが右手に持つ鞘から抜かれし剣を引っ込め、左手に持つ正義の秤を振るう。

 すると、異空間に収納していたはずの“残滓”の紋章武具『伏魔』がミカの右手に握られていた。

 そして、己の左手には光剣の代わりに“吸血鬼”の紋章武具『虎徹』が握らされていた。


「互いに剣を手に持っているように調律できないのなら、互いに紋章武具を所持しているように調律すれば良いだけの話です。どのような小細工を弄しようと私の前では無駄なのですよ」


 そう言い放つと、ミカは『伏魔』の紋章絶技を行使する。


「紋章絶技・還咲かえりざき


 唐突に喪失感が八神を襲った。

 恐る恐る左腕を見ると、肩から絶たれ、噴水が如く血を噴き出していた。

 左手に握っていた虎徹も、刀身が砕かれて辺りに散らばっていた。


「あ、がぁぁぁあああああアアアアアアッッ!!!!」


 傷を自覚すると共に凄まじい激痛が八神を襲う。

 ムカデと交戦した際にも全身がボロボロになる程の傷を負ったが、あの時は毒で神経が麻痺していた。

 加えて意識も半分定かでなかったから痛みを我慢できた。

 だが、平常時に左腕を切断されるなど到底耐えられるような痛みではない。

 傷口を抑えてうずくまり、呻き声を挙げながらなんとか紋章術を行使して傷口を塞いでいく。


還咲かえりざき。過去に切断したという事実を挿入することで、現在に事象として発生させる紋章絶技。防御も回避もできない凄まじい技ですね」


 べっとりと血がついた『伏魔』を振り払い、ミカはもう一度紋章絶技を放つ。


「さぁ、諦めてください。私こそが、貴女を救ってみせます。紋章絶技・還咲かえりざき


 今度は何も起こらなかった。

 眼に見える変化はなかった。

 つまり、眼に見えない変化が起こった?


「今度は貴女が持つ残りの紋章武具全てを過去に破壊させていただきました。これで残るはこの子だけですね」


 そう言い放つミカに八神は痛みを堪えて、力を振り絞る。

 これ以上行動させてはダメだ。

 眼の前の少女を救いたければ、躊躇ちゅうちょしていてはダメだ!

 八神は左腕を失ったことでバランスを崩しながらも、翼で空気を打って飛び出す。


「紋章絶技・還咲かえりざき

「あ、がァァァアアアアアッッッ!!!」


 だが、翼が空気を打つ前に、八神の翼は全て過去に切断されてしまった。

 血飛沫を上げながら、白翼をバラバラに切り刻まれた八神は勢い余って前のめりに倒れ込む。


 そして、全ての画数を消費した『伏魔』もその役目を終えたとばかりに灰となって崩れ落ちた。

 これによって、封印のくさびは全て解き放たれた。

 彼女の奥底に眠っていた九番目の龍が遂に覚醒する時がきた。


 ドクンッ!


「……だ、……め。はや、……く。……わた、しを、……殺して! ……みんなを、……殺したくない!!」


 八神は内側から這い出ようと脈動する九番目の龍に全力で抗う。


 今の自分では間違いなく調伏の儀は失敗する。


 封印が解かれて初めて理解した。


 内に眠っていた九番目の龍はあまりに強大すぎる力だ。

 未来すら予測する凍雲でも、自身を圧倒してみせたミカでも、もしかしたら人類史上最強の紋章者とうたわれる朝陽あさひでさえ対抗できないかもしれない。


 そうなってしまえば、多くの人を殺してしまうだろう。

 自我を乗っ取られた瞬間、大切なもの全てを鏖殺おうさつされるだろう。


 そんなもの、耐えられない。

 あってはならない。

 デリットに造られた生物兵器でしかない己を、一人の人間『八神紫姫』として暖かく迎え入れてくれた彼らをこの手で殺すことになるなど。


 そんなものは想像もしたくない。


 己が己でなくなることよりも……


 己が命を絶つことよりも……


 ……この手で大切な仲間を手に掛けることが——


 ——なにより怖い。


 初めて感じるその恐怖に、顔を血と涙でぐちゃぐちゃにした八神は死を懇願こんがんした。

 だが、


「殺しません。私は、他の誰よりも貴女の可能性を信じていますから」


 聖母のような微笑みを浮かべて言ったミカは、ムカデが服用していた紋章画数増幅薬と同じものを十二錠服用する。

 そして、副作用で植え付けられた、自分のものでない煩雑はんざつな記憶に自我が揺さぶられる。


 知りもしない両親、そして剣道の大会で優勝した記憶。

 天涯孤独の身で生まれ、ヤクザの鉄砲玉として抗争に参加した記憶。

 幼馴染のアイドルと共に夢を追いかけ続けた記憶。

 欲望のままに人を殺し続けた末に死刑台を登り、首を吊った記憶。

 

 四人分の一生に及ぶ記憶が氾濫し、己の数少ない記憶が、人生記憶の奔流に押し流されていく。

 けれど、それでも彼女は鋼の精神力でそれを捩じ伏せてみせる。


「ハ、ハハ。何をしているのでしょうね、私は」


 記憶など必要ない。

 たった一つ、目の前にいる、もはや名前も思い出せない少女を助ける。

 それだけを道標に、ミカは記憶の奔流に抗い自己を保つ。


「だけど、やるべきことだけは分かる」


 ミカは朧げな記憶を辿り、己がすべき事を成す。

 自身の六画分の紋章全てを光球状に形成し、八神に無理矢理飲み込ませる。

 すると、八神の背中に刻まれていた紋章が光を放ち、三対の翼を象った六画の紋章から六対の翼を象った十二画の紋章へと変化する。


「さぁ、後は貴女の頑張りどころです。それまでこちらはなんとか抑えてみますが、私にも時間がありませんのでお早めにお願いしますね」


 血溜まりに沈んでいた八神が、ゆらりと身体を起こして立ち上がる。

 肩から切り落とされた左腕は何事もなかったかのように存在し、左右三対だった翼は左右六対十二枚の翼へと進化して健在。

 神聖さを感じさせる、腰まで届く金糸の髪には白銀が混じる。

 髪と同じ、黄金に輝く瞳は真紅の瞳に変化した。


 その変化を見届ける頃には、彼女は己の名さえも記憶の奔流に飲み込まれてしまっていた。

 それでも、彼女は自身の右手を突き出す。

 記憶ではない。

 己の心の内に刻まれた想いに従って、彼女は目の前の少女を救うことに全霊を注ぐ。


「全ての紋章を用いて我が肉体に宿る天使に命じます。今こそ覚醒し、彼女が偉業を成すまでの時を稼いでください」


 彼女は紋章増幅薬を用いて手に入れた、背中に刻まれた十二画全ての紋章を消費して、自身の紋章を一時的に覚醒させる。


 ムカデの紋章災害に酷似しているが、その本質は異なる。

 あちらが殺意によって方向性のみを定めた意思なき力の暴走とするならば、こちらは自身に宿る紋章を信頼して全てを託した一時いっとき限りの奇跡。


「本当に……どこまでも愚かで、健気な娘だ」


 腰まで届く金糸の髪には燃え盛る紅蓮が混じる。

 己が名を失くした少女から、全てを託された大天使ミカエルは憐憫れんびんの眼差しで遠くを眺める。

 彼女を救いたい気持ちは誰よりも近くで、誰よりもずっと共にあった彼こそが最も強く抱いていた。


 だけど、救えなかった。

 紋章に宿る霊体でしかない自身には言葉を伝えることも、手助けすることもできない。

 ただ、力の一部を貸し与えて眺めることしかできず、常に歯噛みする思いでいた。


「良き娘だったな。認めてやろう。他でもないこの至上の存在である天魔ルシファーが、この世界で最も気高き精神の持ち主であったと」


 眼前に佇む、王者の気風漂う天と魔の全てを支配する覇王がミカの行いを拍手を持って讃える。

 伝説通りの傲慢さを隠す気もない上から目線な称賛。

 だが、そこには侮蔑ぶべつも、嘲笑ちょうしょうもない。

 一切の不純がない、純粋な称賛だけが贈られた。


「兄上が人を褒めるなんて珍しい」

「俺様とて褒めるさ。褒めるに値する者が少ないだけでな」

「一分野で自分と同等かそれ以上でないと認めないなら、少ないのも当然だと思うけど」


 ルシファーと他愛無い話を終えたミカエルは膝を折り、神へと祈りを捧げる。

 どうか、彼女が幸せな未来を手にするようにと。

 僅か数分の静寂に包まれた祈り。

 されど、天と魔どちらも統べた天魔の御前ごぜんにおける数分。

 黄金にも勝る時を、ルシファーはの気高き少女に与えた。

 それにあたいするだけの価値をあの娘は示したのだ。

 

「では、鏖殺おうさつを始めるが、愚弟ぐていよ。どうする?」

「無論。止めてみせるとも。それが彼女に託された最期の願いなのだから」


 天魔がわらう。


 刹那。


 両者から立ち昇る魔力によって世界が黄金に染め上げられる。

 ただ、そこに存在し、力を解き放つだけで領域を侵食する怪物二柱による神話の再演が今、始まる。

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