第5話 氷天/神域 前編



 高度一〇〇〇メートル上空。

 遥か下方に市街地がかすむ天空。

 高度が高いということもあり、地上よりも気温は低い。

 そこに加えて、現在は凍雲が紋章の力を開放しているため更に低くなっている。

 だが、対する八神もその身体から発する光によって周囲に熱を与えていた。


 そんな両極端な二人が超高速で移動しながら激突している為、気圧差が各所で発生。

 加えて、激突の衝撃波で空気が攪拌かくはんされることで大気が乱れ、天候は加速度的に崩れつつあった。


「——ッッ!!」

「話す余裕も無くなってきたか?」


 戦いの影響で生まれた雷雲を抜けた先で、龍の如く鋭い氷の爪と神々しい光の槍が激突する。

 その趨勢すうせいはどうやら凍雲が優勢なようであった。


(体温の低下が著しい……。光で発熱して体温を保とうにも、この悪天候に加えて、凍雲の紋章術による冷気が合わさって間に合ってない……!! 寒さで身体が震えるせいで動きにも支障が出てる……)


 白い吐息が漏れる。


 戦闘によって、雷雲が発生するほど乱れた大気は、ひょう混じりの雨風をすさばせ、八神の身体から加速度的に体温を奪い去る。


 対する凍雲は自身の体温を凍結することで、温度を一定に保っている。

 故に、気温的負荷は八神にのみ降りかかっているのだ。


(それに、大空における優位性すら……)


 凍雲にも確かに氷でできた硬質で鋭利な両翼がある。

 けれど、それは氷でできた重たい翼であり、大空を自由に翔けられるはずもない。

 あくまで姿勢制御や攻撃、防御に使うためのものだ。

 故に、大空を自由に翔けることはできない、と八神は想定していた。


 だが、凍雲は空間を部分的に凍結させて足場を作ることで、空中戦闘を行える環境を構築していた。

 そればかりか——


 ゴゥッッ!!

 

 という空気を引き裂く音と共に氷の竜騎士が飛翔する。

 その凄まじい勢いを乗せた爪撃をすれ違い様に叩き込む。


「——ッッ! いったいなぁ!!」


 八神は辛うじて翼で防御することに成功し、反撃として凍雲が過ぎ去った方向へ極大の光線を放つ。

 しかし、彼はもうそこにはおらず、遥か上空へと飛翔していた。


(たくっ、あり得ないことを平然とやってくれるよ……)


 氷の翼では常識的に考えて飛翔などできるはずもない。

 紋章の拡大解釈と物理法則の超越を併用したとしても、不可能だ。

 氷の翼で飛翔するなど、あまりに元の紋章が司る『凍結』から逸脱し過ぎている。


(空間を凍結させて足場にするのはまだ理解できる。だけど、飛行する瞬間だけ揚力を受けられる流線型の翼を構築できるのがあり得ない。戦闘中に瞬時に航空力学の複雑な演算をやってのけるなんてどんな演算能力してるのよ!)


 常軌を逸した演算能力によって翼を形成するだけではない。

 腰部に構築したジェットエンジンから氷塵ひょうじんを噴出することで推進力を得ているのだが、これも緻密な計算と姿勢制御技術がなければ成立しない妙技。

 それを戦闘技術として確立するなど、常人技ではない。


「だけど、それが負ける理由になんてならない。戦いはこれからだってことを教えてあげる!!」


 ——光輪解放


 八神の背後にて転輪していた光輪が眩い光を放ち、光輪の外縁に新たな光輪が現れた。

 光輪は葉脈のような光の筋で結び付きながら拡張していく。

 背丈の半分ほどだった大きさから背丈の二倍ほどに、そのまた倍にと光輪を増殖させながら拡張していく。

 そして、外縁部が視界に収まらないほど拡張したところで止まると同時、パンッと両手を合わせた。



遍く世を照らす光輪アウレオラ・マグナ



 瞬間、光輪は荘厳な鐘のような音色と共に、眩い黄金の光となって世界を満たした。

 あまりの光量を前に、凍雲は咄嗟とっさに右腕で眼を覆う。


 眩い光は、数秒と経たず落ち着きを取り戻した。

 視界を取り戻した先には変わり果てた世界が広がる。


 世界は黄金の光に満ちて、まるで宗教画の世界に放り込まれたかのような気分であった。

 それだけでない。

 凍雲にはこの現象に覚えがあった。


「侵食領域っていう技術。そのもどきだよ。簡易領域とでも名付けようかな」


 黄金の空をバックに、放射状に輝く光輪を背に負う八神が光り輝く剣を手に語る。


「そんな筈がない! 侵食領域は世界そのものを紋章術で塗り替える絶技。紋章絶技でしかなし得ない技だ。まさか、こんな私闘で紋章を消費したというのか!?」


 侵食領域とは、紋章の画数を一画消費することで漸く実現できるまさに絶技と呼ぶにふさわしい効力を発揮する技の一つだ。


 紋章の画数は紋章者の記憶容量を表している。

 つまり、通常ならば記憶の三分の一を消費して漸く発動可能な技だということだ。


 それも、失った記憶を取り戻すことは絶対にできない。

 他人の紋章を喰らえば画数を増やすことはできる。

 それでも、奪った紋章者の記憶と容量を得るだけで、自身の失った記憶だけは絶対に戻らないのだ。


 “そんな絶技をこんなただの私闘じみた試験で使用してしまったのか”と考えた凍雲は、己の身を大切にしないことに激怒した。

 だが、彼の抱いた考えは杞憂であった。


「もどきと言ったでしょ。流石に私も紋章絶技なんて使わないよ。これは私が普通の紋章者よりも元々の容量が大きいからこそできる力技。実際、その効力も紋章絶技によるものよりはるかに劣るから、本来あるはずの必中効果も薄れて攻撃過程の短縮程度になってるよ」


 その言葉を聞いて凍雲は熱くなっていた頭に冷静さを取り戻す。


(紛らわしい真似を……。いや、他者を想うあまり思考を乱すのは俺の悪癖だな)

 

 凍雲は来たる次の手に備えて右手に氷の槍を形成し、構える。

 それを見遣みやりながら八神は揚々ようようと語り続ける。


「だけど、本来の効力に劣るとはいえ、それでも強力だからこそ技足り得る」


 そう言って八神は黄金に輝く空へと手をかざす。


遍く世を照らす光輪アウレオラ・マグナの効果は攻撃過程の短縮に加えて、紋章術の増強と——」


 ——神々の御業みわざの再現


 気がつけば凍雲は芝生に覆われ、背の低い常緑樹がまばらに並ぶ緑豊かな大地の上に立っていた。


「——ッ!?」

「硫黄の火よ。悪徳の街を焼き尽くせ」


 思考が現実に追いつくまもなく、頭上から熱を感じて咄嗟に氷の翼で防御体制に移る。


 ズァァァアアアアアアッッッ!!!


 防御体制に入ったと同時だった。

 スコールが如く、蒼く燃え盛る硫黄の雨が降り注いだ。


闇を照らす魁となれ、明星の剣フォスフォロス


 次いで、間断なく硫黄の雨共々氷の翼で身を守る凍雲を、天をく程に長大な光剣で天空に漂う浮遊島諸共もろとも両断した。

 全身を覆っていた氷の翼は中央から両断されて浮遊島と共に崩れ落ちていく。

 しかし、垣間見かいまみえた翼の中には凍雲の姿はなかった。


氷燕百華槍ひょうえんひゃっかそう


 直後、凄まじい速度の槍撃が四方八方から八神を急襲する。


 凍雲は彼女の光剣で両断される直前にコンマ数秒時間を凍結していた。

 その僅かな時間で彼は翼を囮として切り離し、紙一重で避けていたのだ。


 だが、それでも過程を短縮された攻撃を完全に避けることはできなかった。

 凍結させて止血はしているものの、彼の右肩から左脇腹にかけて、致命傷とも言える裂傷が刻まれていた。


 それでも、彼の槍技に一切の陰りは無い。

 槍撃の一つ一つが致命傷となり得るえであった。


(四方八方から襲う槍撃全てを防ぎきることは不可能——なら!!)


 八神の身体を槍撃が切り裂く。

 しかし、彼女はそれに構わず反撃に出る。


(急所の攻撃のみを防いで、反撃あるのみ!!)


 急所を狙った攻撃を光剣で打ち払う。

 間断なく脇腹に槍が迫るが、軽やかな体捌きで最小限のダメージに抑えると同時に光剣で凍雲を斬り裂く。


 互いに急所狙いの致命傷のみを完全に防ぎながら凄まじい速度域の攻防を繰り広げる。

 常人では思考速度さえ追いつかぬ壮絶な攻防は、互いの全身に無数の切り傷を生み出していく。


 血風舞う攻防戦は飛行戦へと転身する。

 片や白翼で大空を自由に舞う。

 片や氷翼で空を切りながら高速で黄金の空を駆け巡る。

 荒れ狂う大空を縦横無尽に駆け抜けて激突を繰り返していく。

 幾百もの激突を経て、


 凍雲が氷の槍による振り下ろし。

 八神は光の剣による切り上げ。

 

 互いが渾身の一撃を持って激突すると、周囲の雲を霧散させて鍔迫り合った。

 

「八神!」

「何?」

 

 ただ力を込めて押し切るのではない。

 相手が力を込めれば、わざと力を抜いて崩そうとする。

 フェイントと読み合いの応酬を鍔迫つばぜり合いながら行う。

 そんな中、凍雲は八神の瞳を真っ直ぐに見据えて呼びかけた。


 真剣勝負の最中だ。

 本来なら話す余裕もないが、凍雲にはどうしても聞かなければならないことがあった。


「貴様は自分の身を守る為に特務課に入りたいと言っていたな」

「そうだけど、それが?」


 八神が特務課入りを望む理由は自身の身を護りたいから。

 そして、己の手で過去を清算し、八神紫姫という一人の人間としての生を歩む為。


 改めてそのことに触れる凍雲が何を問おうとしているのか分からず、八神は怪訝けげんな顔をしながらも黙って続きを待った。


「特務課に入れば自分の身だけでなく、市民も護らなければならない。貴様にはその覚悟があるか?」


 覚悟、と言われそれは何を意味するのか、八神は思考する。

 そして、自分なりの考えをまとめ、問いの答えを返した。


「命の大切さなら理解しているつもりだよ。それをもしも護れなかった場合、命を護れなかったという十字架を背負わなければいけないことも、命をかけているにもかかわらず理不尽な非難を受けることがあることも分かってる」


 “だけど、それを覚悟と言うのなら、その上であえて言わせてもらう”と彼女は続けた。


「そんなくだらない覚悟を持つ気はない」

「ああ、そんなくだらない覚悟は持つ必要などないとも」


 即答だった。

 彼女の言葉はいわば護れなかった命、そして生まれた感情その全てを置き去りにするということだ。

 てっきり、市民の命を、遺族の想いをないがしろにするのかとののしられると思っていた彼女は呆気に取られる。


「十字架など背負うだけ重みに押し潰され、救えるものさえ取りこぼすだけだ。理不尽なそしりなど無視しておけ。幾ら言葉を重ねようと遺族の悲しみは護れなかった者には拭えない」


 彼女は研究所で生まれ、外界のことなど機械で詰め込まれた知識でしか知らない。

 感情も学術も道徳も……、何もかもが無機質なデータでしかない。

 そんな血の通わない知識で構成された自身の価値観が、多くの人を救ってきた者に肯定されるとは思ってもみなかったのだ。

 

 彼の言葉は彼の経験に基づいて導き出されたものだ。


 遺族のそしりに耐えられず職を辞す者がいた。


 マスコミによって操作された世論に非難され、護るものの価値を見失い、道を踏み外してしまった者がいた。


 ……命の重責に押し潰され、首を吊った者がいた。


 そういった仲間がいたから。

 もうそんな悲劇は見たくないから。


 “そんなくだらないもので押し潰されるなら、そんなものは道端にでも捨ててしまいなさい。そして、その空いた手でより多くの人命を救うんだ。どうしたって失われた者にあがなうことなんてできないんだから”

 そう、恩師たる上司に、彼自身導かれたことがあるからこそ。

 彼は肯定したのだ。

 

「俺が問いたいのは、その上で全てを護りきる覚悟があるかだ」


 だからこそ、彼は問い掛ける。

 亡くなった命を見るのではなく、今ある命を見て、その全てを救う覚悟があるのかと。

 現実問題、救世主や神でさえ、全てを取りこぼさずに救うことなどできない。

 そんなことができるのならこの世に悲しみなど生まれるはずもない。

 だが、全てを救う覚悟を持たない者には多くの命を救うことができないのもまた事実なのである。


 彼女はそれを正しく理解した上で答えた。


「そんなものは知らん!!」

「は?」


 彼女のあまりにもあんまりな言葉に凍雲は目を丸くするしかなかった。


 彼女はちゃんと自分の言葉を聞いてくれてたのだろうか?

 自分の意を汲んでくれたのだろうか?

 その上でこの言葉を述べたというのだろうか?


 怒りで自然と鍔迫り合う槍に力がこもる。

 周囲の気温が著しく低下していくのを自覚しながらも彼女が言葉を続けようとするのを見て、ただ、その続きを待つ。


「全てを護る覚悟くらいあるに決まってる。だけど、その上で私は、私が護りたいものは私が決める!!」


 彼女の言葉は裏返せば、護りたくないものは護らないということだ。

 その者に護る価値を見出せなければ彼女は容赦無く見捨てると言ってるのだ。

 だが、


「それならそれで構わんさ」


 彼女が護らない者は他の者が護ればいい。

 その為の組織。

 その為の仲間なのだから。

 故に、


「あとは、貴様の力を示せ」


 

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