第2話 Fateful_encount


 西暦二〇七一年。

 桜舞い散る遊歩道を抜けた先にそれはあった。

 複数のビルとドームで構成された公安特務課特別庁施設群、通称バトルドーム。

 ドームを用いて定期的に紋章者同士の試合を行い中継しているため、そこから視聴者によってつけられた愛称だ。


 そんな数ある施設群の一角。

 公安特務課の所属人員の為にオフィスや鍛錬施設、医療施設などが設けられた多目的ビル。

 そんなビルにある、医療施設の一室に備え付けられたベッド。

 そこに身体の至る箇所に治療の跡が見受けられる、ボロぎぬのような病院着を着た一人の少女が腰掛けていた。

 その向かいには、眼鏡をかけたスーツ姿の無表情な男が立っている。


「Can you speak Japanese ?」

「俺はハーフだが日本人だ。日本語は話せる」

「分かりにくいから日本人らしくもうちょっと物腰低くあってくれない?」

「貴様の偏見など知ったことか。それに貴様も似たようなものだろう」


 一方は、高貴さすら感じさせる腰まである金糸の髪。

 黄金のような瞳が特徴の、およそ日本人離れした外見の少女。


 もう一方は、耳に髪がかからない程度の白髪。

 薄い緑がかった碧眼を眼鏡で覆った同じく日本人離れした外見の青年。


 喧嘩するほど仲が良いとはよく言ったもので、両者は初対面にもかかわらず、中々波長の合った会話を繰り広げていた。


「さて、まずは貴様の記憶の確認だ。自分の名前とここに来るまでのざっとした経緯は話せるか?」

「まずは貴方の名前を知り——」

凍雲いてぐも冬真とうまだ」


 凍雲に自身の言葉に被せるように返答されてムッとした表情になりながらも、少女は先の問いに答えるべく記憶を辿った。


「私の名前は八神やがみ紫姫しき。ホントは名前なんてないけど、貴方の前にこの部屋に来た私を保護してくれた恩人に貰った。苗字は私が持っている八振りの刀から、名前は特に意味はないけど、かわいい響きと漢字の名前をネットと睨めっこしながら必死に考えてくれたんだって」

「……そうか。あの人がな……」


 凍雲は人類史上最強と誉高ほまれだかい英雄の意外過ぎる一面を想像して、僅かに口角を上げる。

 しかし、直ぐに引き戻して、次は経緯について記憶を辿るよう促す。


「私はProject Lっていう人工的に天使を生み出そうっていう研究で生み出されたの」

 

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「漸く成功個体が誕生したようだな」

「おお! これはこれは鮫島社長ではありませんか!! ええ、そうなのですよ。遂に……遂に遂に遂にぃぃぃいいいいッッ!!! 完成したのでありますよう!! 人工の天使がァ!!」


 人一人入れるほどの大きさの培養槽を前に、白髪に濁りきった眼をした白衣の男性が狂喜乱舞していた。

 男はとある組織に属していた頃から幾度もの失敗を重ね、組織を脱してから数年の時を研究に費やすことで、漸く自身の集大成とも呼べる存在を創り出すことに成功したのだ。


 しかし、純粋な喜び、達成感と形容するには、その男の相貌そうぼうは狂気に満ち過ぎていた。

 鮫島と呼ばれていた、黒髪をバックに撫で付けたスーツ姿の男。

 彼は培養槽に手を当ててじっくりとその中にいる存在を眺める。


「知識のインプットは?」

「万全でございますとも! 一般的な知識、常識、一部専門知識に至るまで全てインプット済みです!! 私の趣味でほんの少し輝かしく暖かい、表世界の知識日常風景もインプットさせていただきましたがねぇ。……クヒヒ、幸せな記憶は悲劇を際立て、より芳醇な絶望を演出してくれることでしょう」


 “クヒヒハハハハハッッ!!”、と背後で狂ったように笑い続ける白衣の男性を無視して、鮫島と呼ばれた男は満足げな表情で培養液の中に眠るものを眺める。


 培養槽の中には培養液に金糸が如き毛髪を揺蕩たゆたわせる少女がいた。

 彼女こそが白衣の男が数十年の時をかけて創り上げた集大成。

 後に人類史上最強の英雄と河川敷に住む善き人々によって救われた、八神紫姫やがみしきと呼ばれる少女であった。


 場面は移り変わる。

 何に使うのかも理解できない不可思議な機器が所狭しと並ぶ研究室。

 作業台に眠らされて四肢を固定された八神は幾つものチューブがされて、何かの薬品を注入されている。

 その傍らで白衣の男性はニヤニヤとした笑みを浮かべながら、経過をデータに起こしていた。


 場面は移り変わる。

 真っ白でだだっ広い部屋の中、ブヨブヨとした質感を持つ巨大な七本首のワームと八神は対峙した。

 身体中を血に染めながらもなんとか勝利を治めた彼女であったが、疲労によって意識を手放してしまう。

 その光景を特殊ガラス越しに見ていた白衣の男性は戦闘データをまとめ、三日月のように口元を歪めて凶笑していた。


 場面は移り変わる。

 巨大な水槽の中で複数のホオジロザメと交戦する。

 紋章術は薬品によって封じられ、使えるのは我が身一つのみ。

 体の至る所を食い千切られ、瀕死に陥るも生還。

 白衣の男性は不気味なほど静かな様子で、瀕死の八神を傷跡一つなく治療してみせた。

 しかし、その眼に宿るは憐憫れんびんでも焦燥でも憤怒でもない。

 人の身にて天に至るという大それた命題に対する執着、狂気であった。


 場面は移り変わる。

 十字架に括り付けられた八神は野晒しにされていた。

 最低限の栄養のみを与えられ、黒服の男による定期的な暴力に見舞われる。

 雨風にさらされる中でさえも、一定間隔の暴力は継続される。

 そして、限界を迎えるたびに最高峰の治療を施されて傷跡なく実験は再開される。

 その様子を日々観察していた白衣の男性は歓喜のあまり涙を流していた。


 場面は移り変わる。

 遂に八神は真の意味で人の身にて天に至る。

 清廉潔白にして純粋無垢なる六対十二枚の白翼。

 その背には神々しく輝く光輪が転輪する。

 闇の中で一際輝く神性を表す黄金の瞳を前に……、


 胸に風穴を開けた白衣の男性は燃え上がる実験施設の中、凶笑を挙げながら崩れゆく瓦礫の海に沈んでいった。


 ・

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「毎日よく分からない怪物や猛獣との戦闘実験や薬物投与、耐久試験とかを受けさせられて、研究所を破壊して逃げ出したところまでは覚えてる。そこから先は記憶が飛んでいて、気づいたらボロボロで外にいた。その後の記憶は、追手から逃げて石橋の下の河川敷に隠れようとしたとこまでは覚えてる。そこからは気づいたらここのベッドの上だったね」


 Project L。

 人工的な天使の創造。

 耐久実験と思われる数々の残虐行為。


 彼女の凄惨な過去を聞いて眉間に皺を寄せるも、今気にすべきはそこではない。

 彼女のこれからを考えねばならないと、気を切り替えて続ける。


「途中曖昧な箇所もあるが概ね記憶は確かだな。では、次に貴様の将来の話をするぞ」

「パティシエとか楽しそう」


 あれだけの凄惨な過去を語っておきながら能天気に心にもないことを語る目の前の少女に違和感を覚える。

 彼女はあれだけの悲劇を味わいながら、何故こうも能天気でいられる?

 普通なら憎しみや怒りに囚われ、復讐を願う筈だ。


——いや、違う。そう思えない・・・・んだな。


 彼女は研究所で造られた存在。

 生まれながらに悲劇の中心にいたからこそ、それを悲劇と正しく認識できてはいても、実感できない。

 外界のことは学習装置でインプットされたデータでしか知らないからこそ、普通というものを知っていながら実感できない。


 そんな自分の歪さを知られたくないからこそ、彼女は己の知る中でキラキラとした存在であるパティシエという職業を無意識に口にしたのかもしれない。

 

(こういう時ばかりは、自身の演算能力が恨めしいな)


 彼の類稀たぐいまれなる演算能力は、最早異能の領域にあると言っても過言ではない。

 情報が欠如していようと、点と点を繋ぎ合わせて限りなく真実に等しい推論を導き出すことができるのだ。

 故に、これら全ては凍雲の想像などではない。

 彼の推論こそが真実なのだろう。

 

 思わず握り込んで血が滲んだ右手を隠すように後ろ手に回す。

 これから彼女にまた悲劇を突きつけなければならない現実に、断腸の思いで話を続ける。


「……勿論、そういう道もある。しかし、貴様自身分かっているとは思うが、Project Lに関わる人間が存在する限り貴様に安寧の未来はない」


 冗談半分で言った言葉を真面目に返された彼女は、内心苦笑しながら言葉を返す。


「やっぱりかぁ。私の取れる道なんて、実質貴方たちの庇護下ひごかで監視生活一択なんじゃないの?」


 八神の言葉に図星を指された凍雲は一瞬黙り込む。

 しかし、彼女を保護した責任を胸に、改めて覚悟を決めて彼女に残酷な未来を提示する。


「実質的にはそうなる。公安特務課の職員として事件解決後の自身の生活費を稼ぎながら、我々が事件を解決するまで我慢してもらうしかない」


 凍雲は四角く縁取られた眼鏡の奥の氷の瞳を曇らせて眼を伏せる。

 日々、公共の安全を護ることを旨として働いているにもかかわらず、残酷な研究、実験を野放しにし、あまつさえその被害者の自由を制限せねばならない己の不甲斐なさに憤りを感じる。


 そんな彼を他所に、彼女はパシッと自身の拳と掌を合わせて言葉を放つ。


「特務課職員として雇ってもらえるんだよね? じゃあ、これから同僚としてよろしく。手始めに早速研究所の奴らシバきに行こっか!」

「…………は?」


 彼女のあまりのアグレッシブさに、珍しく思考が空白に支配された凍雲は間の抜けた声を発するのが精一杯だった。

 しかし、特殊な生い立ちとはいえ、民間人である彼女を危険に巻き込むわけにはいかない。

 その一心で思考を取り戻し、言葉を発する。


「いや、待て! いくら経緯が経緯なだけに戸籍がないとはいえ貴様は民間人だ。戦わせられる訳がないだろう! 俺が言っていたのは事務員や、それこそ食堂で調理師として働いてもらうという意味だ。断じて俺たちと一緒に戦わせる意はない!!」

 

 彼の同僚が見れば、間違いなくゲラゲラと笑いながらSNSにその姿をUPする程の慌てっぷりを見せる凍雲。

 対する八神は“ぶっ飛ばすにもまずは実力をつけないとね。鍛錬施設とかあるかな?”と既に決まった事柄として考えながら返答する。


「事務員とかもいいけど、それは一先ひとまず自分の身の安全を確保してからでいいかな。私は私らしく生きたい。もう、誰かに縛られて生きるのは嫌なんだ」


 それは、しくも狂気に染まった研究員がより精神的に追い詰める為だけにインプットした幸せな記憶表世界の日常風景に起因していた。


 悲劇は当たり前のものとして受け入れてはいた。

 けれど、それが普通の日常に憧れない理由にはならない。

 いつの日か、誰にも縛られず自由に生きてみたいという一心で、地獄のような日常を過ごしてきた。

 そんな、憧れた毎日がもうすぐそこにあるのだ。

 ならば、手を伸ばさない理由などあるものか。


「それに、私も手伝った方が早いでしょ? こう見えて結構戦えるんだからね。私」


 そう言って彼女はシャドーボクシングを披露する。


 凍雲を攻略するなら感情だけでなく、理論的にも攻めた方が有効だ。

 そう判断した彼女は利点を述べるのも忘れなかった。


「戦える戦えないは関係ない! 民間人を戦いに巻き込むわけにはいかないと言っているんだ!」


 凍雲には民間人を護るという特務課職員としての責務、矜持きょうじがある。

 たしかに、八神の提案は彼女を囮に研究所の連中を誘い出すことができるので合理的ではあるのだ。

 けれど、頭ではそう理解できていても、彼の矜持がそれを許さないのだ。


「でも、職員にはなれるんでしょ? なら、もう民間人じゃない。歴とした公安特務課職員様だ。ほら、何の問題もない」

「屁理屈を……。ならば、模擬戦闘で俺に膝をつかせられたなら認めてやる」


 彼女の弁は彼女自身がそれなりに戦える。

 戦えてしまうが故の提案である。

 ならば、模擬戦闘で完膚なきまでに叩きのめすことで戦いの場から遠ざけようと考えたのだ。


「えっホントに!? よし! そうと決まればすぐ行こう! 今すぐヤろう!」


 そうとも知らず、八神は自分が勝てることを信じて疑わずに、まるで水を得た魚のように凍雲を急かしだす。


「……どちらの待遇で入職するにせよ、その言葉遣いは徹底的に矯正してやるから覚悟しておけ」


 八神との相性が良すぎるが故に、つい言葉の弾みで凍雲はいつもの冷静な彼ならば絶対にしない提案をしてしまったことを今更ながらに後悔する。


 特務課職員である自身が負けることなどあるはずもない。

 しかし、万に一つの可能性を与えてしまうことなど普段の彼ならばあり得ないことだった。

 “知らず、彼女の境遇に同情してしまっていたのか?” と自問自答をしているうちに、あれよあれよという間に二人はとある施設に赴いていた。

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