Part 2
やがて彼は立ち上がり、海に入ろうとした。
現実の世界に帰っても、真菜はいない。あらかじめ定まっていた死とはいえ、経験しなくてもいい悲嘆を味わせて死なせてしまった。報いるためには、死を選ぶしかなかった。
「ねえ、おじさん。ひょっとしておきべっていう人ですか」
背後で少女の声がした。置部は振り向いた。最近、頭部を洞窟から盗んだ少女の全身の姿が、そこにあった。
「ああ、そうだが」
「よかったあ。わたしね、目がさめて、すぐにおじさんの小屋に行ったの。でも、かぎが掛かっていて。ひょっとしたらと思って、ここに来たの。おじさんが死んじゃうじゃないかって、心配だったの。ねえ、わたしの頭が、どこにあるか知ってるんでしょ?」
その瞬間、置部はこの島で、まだやるべき事が残っていることを自覚した。
*
窪原は、自らの小屋のベッドに腰掛けて、煙草を吸っている。
昨夜の最後の夢は、昨日の頼子との別れを再現したものだった。窪原は、またも重い後悔に悩まされた。
その現実ともいえる夢から目醒めると、辺りに美咲の姿は無かった。自分よりも早く悪夢から解放されたのか、彼は思った。
すぐに置部の小屋に行ってみたが、鍵が掛かっていて、中に人の気配は感じられなかった。小屋が立ち並ぶ周りを、しばらく歩き回ってみたが、人影すらない。少女がどこに行ったか気にはなったが、なすすべもなく窪原は、自分の寝場所に戻って来たのだった。
これからどうしたものか、一本しかない煙草を吸い続けながら考えていると扉を叩く音がした。
「はい」
誰だろうと思いながら、煙草を口にくわえ、ベッドから立ち上がって、扉まで歩く。
開けてみると、そこには置部が立っていた。
「女の子から、窪原さんが、この小屋に住んでいることを聞きました」
彼は胸に、頭部を抱えていた。
「それは俺の……」
「そうです。あなたのです。僕は、洞窟から窪原さんのものだと知りながら、これを盗みました」
置部は、その場に膝を折り土下座してから、窪原の頭を差し出した。
「きさま!」
窪原は自分の頭部を奪い去るようにして、自らの胸に収めた。紫煙ごしに、目を閉じた紛れもない自分の顔があった。
置部は視線を下に向けたまま、生気のない顔をしている。まるで窪原に殴られたり蹴られたりするを待っているかのようだ。
……この男もかわいそうな奴だったんだ。窪原は直感的に理解した。怒りが鎮まり、置部に対する哀れみの情が沸き起こってきた。
「いろいろ、あったんだな」
置部は、ようやく顔を上げて窪原を見た。
「ええ。〈導き〉から懲罰を受けました。もう生きていられません」
「そうか」
窪原は自分の吸っていた煙草を、床に落として揉み消し、ポケットから煙草の箱を取り出して開けた。煙草が現れる。
「これでも吸うかい?」
「でも一本しか残っていないんじゃないですか。いいんですか」
「いいんだ。吸え」
「あ、ありがとうございます」
置部が煙草を引き出すと、箱は空になった。
亜矢香のライターで、火を点けてやる。
置部の指は震えていた。
彼は煙を深く吸って、ゆっくりと吐き出した。
「うまいですね。心の底から、そう思います」
「……それにしても、なぜ俺の頭を」
「始めは頼子さんのを、さがしていたんです。あなたに対する妬みから。頼子さんの興味が、僕に移るように」
「それは酷い話だな」
「すいません。昼間、もう周りの人に関係なく、ひたすらさがしました。周りの人たちは、少しおかしいと思っても、案外無関心なものです。さがし回ったすえに、頼子さんのじゃなく、あなたのが出てきた。本当にすいませんでした」
「まあ、いいさ。俺もさがす手間が省けた。それに、この島にいて、まともな神経をしている奴の方がおかしいんだ。俺だって、おまえがしたようなことを、しでかすかもしれない。たまたま、まだやっていないだけかもしれないんだ」
現に頼子を死に追い遣ったではないか、窪原は思う。さすがに頭は盗んではいないが、同じようなものだ。人の事を責められた義理ではなかった。
「そう言って、いただけると救われます。ありがとうございます」
置部は、泣き出した。彼は、頬をつたう涙を拭いもせず、煙草を吸い続けた。
やがて地面に置かれた吸殻は、消えることなく、そこに有り続けた。
「僕は行きます。実は、あなたの他にも、まだ幾つかの頭が小屋の中にあるんです。窪原さんのとは違って、それらを返す手掛かりは有りませんが、何とか持ち主たちを捜し出して、返さなければなりません。彼らが北の海の影に入る前に」
「見つからなかったら、どうするんだ?」
「分かりません。でもそうしてからでないと、死ぬわけにはいかないのです……」
置部は踵を返して、とぼとぼと歩き出した。彼の後ろ姿は、もう幽霊のように、おぼろげだった。
俺は、いったいこれから先、あとどれくらいの数の人間を見送ることだろう、窪原は思った。もう絶望しきった後ろ姿を見送るのは、ごめんだった。これが最後にしたかった。
胃に痛みを覚えて、煙草を吸いたくなった。この先煙草無しで、やっていけるだろうか。彼は不安になった。
ようやく手にした頭部を抱えながら、小屋の中に戻る。
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