三日目

Part 1

 窪原は、ぼんやりと部屋の中を見渡した。

 最後に見た夢が、重く胸にのしかかっていた。寝ながらでも身震いするような虚しさだった。あの女の夢はいつもそうだ、彼は思う。俺はいったいどのくらいあんな虚しい期間を過ごしたのか。あの女――妻にとっても地獄だったに違いない。俺の現実の人生は随分とうら寂しいものだったんだ。そしてそんな現実の世界に俺は戻ろうしているのか? いっそ帰らなくてもいいのではないか? 

 そんな考えが頭をかすめた。彼にとって、また死が身近になってきた。彼は頭を横に振って、起き上がった。死への誘惑を断ち切るつもりで。


 窪原は一日中でも小屋に籠っていたいほど重い心境だったが、そうしているわけにもいかない。とにかく出掛けることにした。


 スコップを持って小屋を出る。今日も日射しが眩しい。ここには雨というものがないようだ、窪原は思う。雲すら、ひとつもない。ただ、抜けるような青い空だけが拡がっていた。


 空に遠く、一羽の白い鳥が旋回していた。大きな羽が、ゆったりと優美に動いている。鳥もいるんだな、ぼんやりと彼は思った。見たことがあるような、ないような不可思議な印象の鳥だった。それを見ているうちに、彼の心に微かな安らぎが訪れた。


 これがバカンスだったら、どんなにいいだろう、さらに窪原は思う。例の作業がなかったら、快適とも云える環境だ。しかし、この島の滞在は生きるか死ぬかの瀬戸際を意味している。心して掛からなければならなかった。


 彼は精力的に歩き回った。襲ってくる不安を振り払いながら。丘陵や林の中、切り立った崖の近く、ひらめきがあったところは念入りに。


 しばらくして成果は、やって来た。

 三日目の窪原は、この後、次々と体のパーツが見つかる幸運に恵まれることになる。


 まずは右の股関節から下だった。それは小川の浅瀬の土の中から見つかった。激しい主流から枝分かれし、急に緩やかな流れになって水が溜まっている場所があり、もしかしたらと思い入ってみたのだった。当然のごとく全身が、ずぶ濡れになった。


 二番目に見つかったのは何と臀部だった。それは、臭気が蔓延している場所から見つかった。そこは公園の砂場の光景に似ていた。いちめんが黄土色のねっとりした砂で満ちていた。砂から立ちのぼる、ふらつくような臭いの中、尻に痛みを感じながら彼は堀った。


 不快な思いはしたが、窪原にとって今日は素晴らしい日となった。今朝の重々しい絶望から離れて、彼の心には今、希望の光が射し掛けていた。

 太陽が中天高く昇り、正午近くなったことを告げている。彼は、くっついてしまった二つの体の部分のふくらはぎを持ち、膝から背負うようにして持って歩いた。


 そして本日三つ目のパーツとなる胴体が、南西部の草野原にある大きな岩の間から見つかった。

 その岩は遠くから見ると、ちょうど肺を想起させる形をしており、右肺と左肺の間に狭い道ができていた。そこを彼は歩いたのである。

 胴体を掘り起こすまでは、他のパーツよりも若干の時間を要した。


 あらわになった胴体を見てみると、心臓のすぐ下あたりに、刃物で切りつけたような大きな傷が有ることに気づいた。はて、そんなところに傷があったのか、窪原は疑問を持った。見ようによっては、致命傷にもとれる大きな傷である。


 彼は、いったん小屋に戻ることにした。見つかった体は近づけると自然につながってしまうので、それほど持ちづらくはないが、重さは結構なものになっていて、これでは歩き回るだけでも辛い。

 体を抱えてみると、胴体の異変はそれだけではないことが判った。右肩の骨は完全にばらばらに砕けており、左の腰も骨がないかのように、ぐしゃぐしゃになっている。


 不完全な、やわらかいマネキン人形を抱えるような格好で、窪原は小屋に帰った。だいぶ慣れてきたとはいえ、やはり気色悪い作業だった。


 床に見つかった体を置き、今まで見つけたものと合わせてみる。一昨日見つけた左下半身は、臀部と引き合うように自然にくっついた。胴体が入り、右足は欠けているものの下半身が形になると、だいぶ人間らしくなった。作業が進んできたことに、彼は微かな喜びを感じた。


 窪原はジャケットとシャツを脱ぎ、上半身裸になって、見つけた胴体と比較してみた。やはり、自分の左胸には切り傷など無いし、右肩にも左の腰にも異常はない。


 彼は煙草に火をともした。紫煙が窓から射し込む日の光に照らされ、ことさらくっきりと、部屋の中で浮かび上がった。

 そこに窪原は、なぜか亜矢香の顔を一瞬見たような気がした。


 紫煙を見つめながら、窪原はひとつの考えに思い至った。この島で掘り出される体は、現実の世界では、ばらばらになっていないが、その体の状況は映し出されているらしい。

 だとすると、俺が現実の世界で危篤に陥っている状況は、随分と凄まじいもののようだ、と彼は思った。即死しなかっただけでも、幸運だったと云えそうだった。この島の作業は地獄そのものだが、まだ生へのチャンスは与えられているのである。


 彼はしばし休息した後、もうひとがんばりしようと、外に出た。現実の世界なら昼食の時間だった。


 窪原は再び西の方に道を取った。

 しばらく歩くと、遠くの方から女が歩いて来た。その女には見覚えがあった。夢の中の女だった。亜矢香ではないほう。髪の長い女。寂しいつれあい――彼の妻だった。

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