Part 7

 仄暗い階段を降りる。階段は殊の外長く、底の底まで続いているような気がした。冷たい空気が、不吉な影のように窪原を包み込んだ。黴の臭いが充満していた。

 蝋燭の代わりのように、光の皮膜が漂っている。ゆらゆらとした光が、陰鬱な気分をさらに煽っていた。窪原は逃げ出したいような衝動に駆られた。彼は勇気を奮い起こした。階段を下りるにつれて、一層の冷気が窪原の身を縮みこませた。


 階段が終わると、視界は急にひらけ、地下室の光景が目に入ってきた。

 窪原には、その光景が耐えられなかった。彼は、すぐに目をそむけてしまった。


 そこには、厚い氷に覆われた床があった。そしてその氷の中には、あたり一面、標本のようにたくさんの陰茎が埋め込まれていた。この島で彷徨っている男たちの性器の群れ……こんなグロテスクな光景を、窪原は今までに見たことがなかった。

 さらに、空中には何体もの幻影が漂っていた。その幻影はみな老婆で、しかも全裸だった。死が近づいた枯れ木のような身体の束……。


 幻影たちは窪原を見つけると、にやっと卑猥な笑みを浮かべ、彼を挑発するようにゆらゆらと近づいてきた。

 すぐに窪原は、幻影たちに取り囲まれてしまった。


 氷の床の中に、自分の陰茎があることは、間違いないだろう。けれども、あまりの気色の悪さに窪原は、もうそれをさがす気にはなれなかった。目を閉じていても、吐きそうだった。

 彼は踵を返し、一気に階段を駆け上がって、建物を出た。


 赤本が出入口の側で、ほくそ笑みながら立っていた。

「おいおい、どうした。取って来なかったのか。自分のが分からなかったか」

 赤本は、からかうように言った。

「ひどいよ。酷すぎる。いったい何なんだ。あれは」

「ははっ。再挑戦するんだな。間を置いて落ち着いたら、また行ってくるといい。俺は五度目で、やっと見つけたんだ」


「……今日は、もうやめとくよ。とてもじゃないが、もう一回行く気にはなれない」

「まあ、あの中にあるのは確実だからな。焦ることはないよ」

 そう言われても窪原は、また一つ、この島での重荷を背負ったような心持ちだった。もしできることなら、二度と行きたくはなかった。


「どうする? これから」赤本は訊いた。

「よかったら、しばらくいっしょに体さがしをしてくれないか。独りだと気が滅入りそうなんだ」

「オーケー。あんたとは馬が合いそうだからな。じゃあ、東の方にでも行ってみるか」

 男たちはカーテンウォールの建物を離れ始めた。


「あれ?」赤本は突然声を上げて、立ち止まった。

「どうした?」

「二階に人がいるぞ」

「おかしいな。二階に続く階段は無かったはずだが」

 窪原は頭を上げて二階の窓を注意深く眺めた。確かに人が立っている。そしてその者は、二人がよく知っている人物だった。〈導き〉である。彼の背後には、家財道具らしきものが見えた。おそらくその部屋は彼の住居なのだろう、窪原は思った。


「どうやって入るんだろう?」窪原は言った。

「幽霊のようになって飛んでいくんじゃないか」

「……あいつだけが、この島での生活を楽しんでいるんだろうな。きっと」

「そうでもないと思う。俺は、あいつの笑っている顔を見たことがないぜ」


 窪原は〈導き〉と目が合った。顔は昨日見た時と同じ無表情だった。



         * 



 人々が一縷の望みを抱く血眼の昼の作業が終わり、悪夢の夜がやって来た。


 置部は今、島の北東部にいる。

 彼と頼子は、あれからいっしょに行動していたが、陽が傾き始めた頃に頼子と別れて、この人目につかない丈の高い草むらにやって来て、隠れていたのである。

 なぜそこにいるのか――それは朝思いついた計画を実行するためである。他人の頭を盗むため、彼は人々が寝場所に帰ってしまうのを待っているのだった。


 置部は陽が完全に落ちると、きょろきょろしながら立ち上がり、あたりに人がいないことを確認して歩き始めた。


 彼はある洞窟に向かっていた。今日はどんな頭が手に入るのだろう――置部はどす黒い期待に胸が膨らんでいた。頭部を手に入れることによって、また人を死に追い遣ることになるのである。殺人にも等しいこの行為に彼の心は高揚していた。

 できれば頼子の頭部が手に入れば、申し分ないのだが、人々の体さがしの一瞬の隙を突いて行うことである。誰の者でもよかった。


 しばらく歩くと、潮の匂いが漂い、波の音がしだした。その洞窟は浜辺に面しており、小山のように盛り上がった細長い岩に、海の方角から穴が開いているのであった。

 寄せては返す規則的な波の音を聞いているうちに眠ってしまいそうだ、と彼は思った。この島の住民に例外なく夜になると訪れる眠気。それに抗わなければ、頭部は手に入らない。置部は気を引き締めるように、強く首を振った。


 洞窟に置部は入ってゆく。あたりを注意深く見回しながら、人のいないことを確かめて。もう人の影は全くない。

 穴の中はもう暗くなっていた。彼は手さぐりしながら、ゆっくりと歩を進めなければならなかった。


 置部はしかし愉悦の表情を浮かべていた。

 この洞窟にだけ頭部が埋まっているのである。他のあらゆる場所をさがしても、決して頭部は見つからないのだ。

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