旅に生きる魔女と、魔女が拾った白い“犬”

海堂 岬

第1話  子離れ

「いいのか」

「いいのよ」


 走り去っていく、白い犬を私は見送った。

「これでよいの。じゃぁ、もう帰って」

私は隣に立つ、黒い猫の獣人を見上げた。

「つれないな」

「帰って」

隣人は、苦笑しながら帰っていった。


「これでよいの」

誰も居なくなった部屋で、私は、もう一度声に出していった。こうする必要があったのだ。


 あの雨の日、泥まみれになっていた仔犬を拾ってから、毎日一緒にいた。あれから随分長い年月が経ってしまった。この空虚な喪失感は、あまりに長く一緒にいすぎたからだ。


 魔女は一つ所に長くとどまらない。人付き合いもおなじだ。長くなってしまったけれど、別れてよかった。あの子にはあの子の人生がある。


 隣に住む猫の獣人の手を借りたが、なんとか、あの子を旅立たせる事ができた。人と長く一緒に居すぎてしまったが、きっとあの子は、自分が何者かを思い出す。


 私は、空間魔法を展開した。私も、ここから去る。この家は、これ以上ここにある必要はない。


 あの子が使っていた毛布が、部屋の隅に寄せてあった。真っ白なあの子の毛がついている。

「仕方ない」

捨てるべきだと分かっていた。


「ごめんね」

隣人の黒猫の手を借りて、騙したことなのか。出ていくように仕向けたことなのか。あの日助けただけでなく、私の移動に巻き込んで、あの子の仲間たちから引き離してしまったかもしれないことだろうか。

「ごめんね」

真っ白な毛皮を私にこすりつけ、一生懸命しっぽを振って慰めてくれる私の犬はもういない。


 私は、あの子の毛布を抱きしめて泣いた。これは、私が、あの黒猫の獣人の手を借りてまで、手に入れたかった結果だ。泣くのはお門違いだとは思ったが、涙はとまらなかった。


 魔女は一つ所には長く住まない。勝手な人々に殺されないため、昔々に決まったことだ。人は死ぬ。治療したところで、病人や怪我人が死ぬことは避けられない。だが、そうして人が死んだ時、治療に携わった魔女が恨まれる事がある。


 一人二人が恨むくらいであれば、周りの村人たちが止めてくれる。だが、疫病ではどうだろうか。かつて、とある国で疫病が流行った。人々を救うために奔走し、身を粉にして働き、疲れ果てた多くの魔女が、村人に殺された。


 疫病で人が死んだのは魔女のせいだと、最初に誰かが囁いた。その囁きが国中に広がっていった。病人たちを救うため、日夜懸命に仕事をしていた魔女たちが、噂に気づいたときには、もう、逃げ場はなかった。


 多くの魔女が死んだ。魔女には、昨日まで、共に暮らしていた人々を、手にかけることなどできなかった。流言飛語に踊らされ、魔女を殺しに来た人々であっても。


 誰が、人が死ぬことを望むだろうか。必死で助けようとしたのに、助けられなかった命のことを、魔女が嘆かないなど、誰が決めたのだろう。


 命からがら逃げ出した魔女から、その話を聞いた魔女たちは、また同じことが起こることを恐れた。魔女は旅に生きるようになった。


 根拠なく恨まれ、腹いせのために殺されると分かっていて定住する魔女はいない。それどころか、魔女として認定される儀式では、定住しないことへの誓いが含まれる。定住して、殺される者を、魔女として教育しても無駄になるからだ。


 私はまた、旅をしていた。


 私は洞窟から空を見上げた。雨はまだ止まない。獣避けのための焚き火に、枯れ枝をくべた。雨の日は好きではない。あの子を拾ったときのことを思い出す。


 道端で泥だらけの仔犬を見つけた。つぶらな黄色い瞳を見てしまった。手を伸ばしたら、震えながら顔をすりつけてきて甘える仔犬に私は負けた。拾い上げ、そのまま家につれて帰ってしまった。綺麗に洗ってやって、ミルク飲ませ、床に古い毛布を敷いてやり、寝床を作ってやった。


 魔女は定住しない。でも別に犬や猫の飼育は禁じられていない。私は仔犬を飼うことにした。

「シロちゃん」

私が呼ぶと、しっぽを振って駆けてきた。懐いた犬は可愛かった。


 一緒に暮らすうちに、シロちゃんが、犬にしては何かがおかしいことに気づいた。言葉にはできない。だが、犬ではない。


 定住しない魔女である私は、自分の違和感を確かめるために、シロをつれて旅に出ることにした。


 向かった先は、人と獣人とが、一緒に暮らす国だった。シロは犬ではなく、獣人だと、思った。確信に近かった。犬の獣人の子供なら、人よりも、獣人に育ててもらったほうがいい。


 たどり着いた私は、町外れに家を出して、シロと一緒に住み着いた。市場には、人も獣人もいる。シロを市場につれていっても、シロも獣人も、お互いに興味がなさそうだった。


 私は途方に暮れた。少し安心もした。シロはやっぱり犬で、何かおかしいというのは私の間違いだと思ったのだ。


 私は間違ってなどいなかった。

あの日、路地裏でみた光景に、私は私が正しかったことを知った。


 白い髪の少年が立っていた。その前に、身なりの良い黒髪の男性たちがひざまずいていた。白い髪の少年は、シロだった。姿かたちを変えても、魔女の目は誤摩化せない。


 あの子は、跪かれる立場なのだ。きっと、仲間が迎えに来たのだ。獣人も住む、この町にきてよかった。私は安心して、家に帰った。


 夜になっても、シロは帰ってこなかった。一人で寝るのは久しぶりで、寂しかった。だが、仕方ないと諦めるしかなかった。寂しいけれど、あの子はあの子の仲間のところに帰ったと、少し安心もした。


 それなのに、朝、一人だったはずの寝床に、いつもどおり愛用の毛布と一緒にシロが、潜り込んでいた。


 何日経っても、シロは家から出ていかなかった。常に私にひっついて歩き、何かを警戒していた。


 仕方なく、私は、隣人の手をかりることにした。私と抱き合う隣人を見て、シロは飛び出していった。これでもう、帰ってこないだろう。これでよかった。あの時、シロの前に跪いていた人たちが、きっとシロを一人前にしてくれるだろう。


 私は目を閉じた。




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