第46話 魔王

 冷静になれ。

 まず頭を整理して、この最悪な状況に対処しろ!

 俺は自分自身に活を入れた。


「コスタ、あなたが……いや、あなたたちがこの一連の事件の首謀者でしたの?」

「はい。ササPさんまで来ちゃったのは想定外でしたが、計画立案は魔王様と僕の二人ですよ」

「じゃあ、レギオさんは?」


 魔界に落とされる前の、彼の様子を思い出す。

 レギオがササPを襲った犯人であることは間違いなさそうだが、真実まで語っていない気がする。


「ああ、レギオ様はフィリア様を攫うための一時的な協力者です。彼は良く働いてくれました。人質の家族は、もうこの世にいないのにね」

「!!」

「彼はネブラ王国で家族を持ったんですよ。妻と子ども。子どもの方はまだ五歳だったのに可哀想に」


 なんてことだ。

 おそらくレギオも、人質にとられた家族が殺されたことに気付いていた。

 それでも、一縷の望みをかけて彼らの計画に加担したのだろう………。


「もともと僕がやらかしたポカのせいで、こんな面倒くさいことになったんですが……実際、大変でしたよ。魔王様のお力を借りて異世界に飛んで、ゲーム制作という下準備をして、フィリア様の身体に入る魂を回収する。時間の流れが違うので、こちらでは十日ですが、向こうの世界では三年もかかりましたから」

「!」

 コスタの——こいつの言葉が本当なら、もう俺の生前いた世界では六十年以上経過していることになる。

 戻れるとは思っていなかったが、それでも俺の知る家族や知人が既にいないかもしれない事実が、心に重く堪えた。


「ここは『ソラトキ』の世界じゃなくて、元ネタとなった世界なんですよ、フィリア様。そして僕の目は完全ではないけれど未来が見える。『見え過ぎる』って、そういう意味なんです」


 ゲームの下敷きがこの世界で、今までの経緯がゲーム内容に沿っていたのは、コスタに未来が見えていたから——そう考えれば、色々と辻褄が合う。


「コスタ」

 俺と部下の会話に沈黙していた魔王が、ここで口を開いた。


「もう良い、下がれ。邪魔は入らぬだろうが、私は待ちくたびれた」

「はっ」


 コスタは上司の命令どおり後ろに控えた。

 魔王の血のように赤黒い目が、俺を見据える。

 怯むな。

 味方のいない空間で絶体絶命のピンチだが、何も知らないまま死ぬのはごめんだ。どうせ相手にはお見通しだろうが、いつでも撃てるように俺は懐の魔銃を握りしめた。


「私に何のご用かしら、魔王様——いいえ、賢王フィデス・パルマ」

「ほう……私の名前を知っているのか」

 赤い双眸が細められ、唇が弧を描く。


「メンブルム家にあなたと、あなたのご友人の魔法使いノーティオの肖像画がありましたわ」

「友人か……」


 魔王——フィデス・パルマは皮肉っぽく嗤った。

 実際のところ彼の正体に確信があった訳じゃない。

 ディエスとよく似た容貌と、肖像画の髪や目の色が同じだったから、鎌をかけてみただけだ。


 しかし賢王と呼ばれた男が何故ここにいる?

 彼はずっと昔に魔物との戦いで、命を落としたはずじゃなかったのか?


 疑問に気を取られて、周囲の警戒が疎かになっていた。

 その一瞬で、魔王フィデスは俺との距離を詰めた。


「ひっ!」


 魔銃を抜く暇さえなかった。

 逃げる間もなくフィデスの腕の中に捕らえられ、陶器を触るような手つきで俺の頬を撫でる。


「これがノーティオの遺物……本当に人間のようだ」


 さっきからこの男はおかしなことを言ってる。


「私はフィリア・メンブルム。ただの人間で、しかも最弱悪役令嬢ですわ。魔界に連れて来られても、魔王様のお役には立てませんわ。だから地上に帰してくださいませ」

「己の価値を知らないとは哀れなことだな。しかし、いいだろう。お前を地上に送り帰してやろう」

「へ」

 予想外の魔王の返答に、思わず変な声が出た。


「本当に帰してくれますの……?」

「もともと魔界に長く留めるつもりはない。結界に阻まれ、私自らフィリアに会いに行けなかったから、このような手段を取っただけだ」


 頬を撫でていたフィデスの手が、俺の顎にかかる。

 整った顔が間近に迫り、片手は俺の腰をしっかりと抱えて離さない。

 まさか、この体勢は———


「共に地上に出よう。そしてフィリアの真の姿を皆の前に晒すのだ。悪役など生温い。血と悲鳴を肴に、酸鼻を極めた宴を開こう。誰もが私とお前に平伏し命乞いをする。この魔王の愛具として、今生まれ変わるのだ———!」

「っ!?」


 キスを、された。

 そう思ったのは一瞬だった。


「——んっ!!」


 重なった唇から多量の魔力が流し込まれる。

 はじめから、魔王の狙いはここにあったんだ!

 何故だ? どうしてこんな真似をする!?

 当然の疑問に俺の——フィリアの身体が答えを出す。


 ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクンドクン、ドクンドクンドクン、ドクッッ———!!!


 頭から足の爪先まで魔力で満たされる感覚。

 束の間の充足感は、限界を越えた供給で苦痛に変わる。

 身体が徐々に悲鳴を上げ始めた。

 ギシギシと、フィリアをフィリアたらしめている身体——器にひびが入っていく。


「あっ」


 ふいに唇が離れた。


 ゆっくりゆっくり、ひび割れた俺の身体が壊れていく。

 皮膚が、肉が、骨が、剥離して宙に浮いている。


 ナンダ、コレハ、コレハ、ナンダ


 壊れた俺の断片たちは、くるりと空中で裏返り、再び集結していく。


 プツリと唐突に視界が闇に閉ざされ、音も、消えた。


 思考も、途切れ途切れ、になり、もう、意識を保って、いられ、な、い——



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