第39話 凶報

「お嬢様、お嬢様! 起きてください、大変です!」

「ん、んんぅ〜、あと5分……」

「フィリアお嬢様、本当に大変なことが起こったんです!!」


 いつになく切迫したリトの声だった。

 寝ぼけた頭が異変を察知し、重たい瞼を持ち上げる。

 カーテンの隙間から僅かに溢れる光は、朝の訪れを告げてはいるが、時計を見ると起床時間よりかなり早い。

 何でこんな時間に……。

 視線だけでリトを探せば、真っ青な顔をした彼女が立っていた。


「………クレア様が、何者かに襲われました」


 俺の頭は一気に覚醒した。



 ノーティオ魔法学園の医務室には、事件の一報を受けた人々が既に集まっていた。

 息急き切った俺の登場に、彼らの視線が一斉に集まる。

 その中には俺の知ってる人物もいた。


「フィリア」

「ディエス殿下! 一体、クレアさんに何があったんですの!? 容態は!? 命に別状はありませんの!? どうですの!?」

「落ち着いてください、フィリア様」

「そうだぞ、フィリア! クレア嬢はまだ死んでない」

 混乱の極みでディエスに詰め寄った俺を、グランスとカロルが押し止める。


「皆、揃っているようだな」

「ノクス先生!」

 凶相が極まり過ぎて、もはや幽鬼のようなノクスが、医務室から現れた。

「先生! クレアさんの怪我の具合は!? 襲われたって、どういうことですの!?」

「順を追って話す。まずは彼女の容態からだ」


 バンッ!!


 ものすごい勢いで医務室の扉が開く。

「ラ、ラティオ先生……?」

 それは、普段のゆるふわな彼女からは想像も出来ないほどの殺気だった。

 ゆっくりとこちらに向いた顔は、いつもの笑顔なのに、俺の全身が総毛立つ。


「ほんっと腹立つわ〜、何? あの古いよく分かんない呪文。アレどうにかしてくれないと私の治癒魔法、効きが悪いんだけど。ねえ、聞いてる? 何とかしてよノクス先生」

 全然ゆるふわじゃない。

 ドスの効いた低音でラティオがノクスに詰め寄る。


「あ、あの、先生。クレアさんは大丈夫ですの……?」

「あら! あら〜、フィリアちゃん。クレアちゃんは死んでないからね〜、そこは安心して❤︎」

 彼女は俺の存在に気付くと、何事もなかったかのように怒気を収めた。

 器用な人だ……。


 でも先ほどの剣幕だと、状況が良くないことに変わりはないのだろう。

 俺の不安を見透かして、ラティオは言葉を続けた。


「うん。フィリアちゃんが心配してるように、クレアちゃんの容態はハッキリ言って良くないの。彼女が校舎の裏で倒れてるのが見つかった時、瀕死状態でね。生きてるのが不思議なくらいだった」

「おそらく最初に両目と喉を鋭利な刃物で潰され、次いで両手脚の腱を切られ、止めに胸と腹を貫かれていた」

「酷い……」

 ノクスが感情を押し殺して話す内容は、俺の想像を超える残忍さだった。


 クレア——ササPの感じた苦痛や恐怖を思うと、俺まで気分が悪くなる。

 俺の不調に気付いたリトが、すぐさま俺に寄り添って、無言で背中を撫でてくれた。

 本当にこんな時までパーフェクトに出来るメイドで、有難くて涙が出る。


 ディエスたちは俺より先に説明を受けていたのだろう。

 口を挟まずに、俺たちのやりとりを見ていた。

 ディエスは相変わらず無表情で、ショックは受けているのだろうが、その内心は顔に出てこない。

 反対に、カロルの瞳は静かな怒りに燃えていた。

 彼らの中では鍛錬の名目で一番クレアと接していたから、それも当然だろう。

 グランスは怒りというより、ただ気遣うように俺を見つめていた。


 そうだ。

 俺だけが落ち込んで、震えている訳にはいかないんだ。


「失礼、取り乱しましたわ。続きをどうぞ、ノクス先生」

「うむ。クレア嬢が見つかったのは未明——今から一時間ほど前だ。ラティオ先生にすぐさま治癒魔法で治療してもらったのだが……」

 ノクスの言葉の歯切れが悪い。

 ……そういえば、彼の説明の中で『魔物』という単語は一度も使われなかった。

 まさか———!?


「先程、ラティオ先生は呪文とか仰いましたよね? クレアさんを襲った犯人って———」

「おそらく『人間』だ」

「!!」


 俺も薄々は気付いていた。

 ノクスが語った犯行時の凶器は、魔物の『牙』や『爪』ではなく『鋭利な刃物』だったから。

 無意識のうちに忌避していた最悪の可能性は、今や事実として断定された。


「魔物が現れる以前の魔術師が使っていた古の呪文か、もしくは己で創作した呪文が使われていて、解読が困難だ」

「そうなの! それが私が治癒魔法を邪魔して〜。ホントに何とかしてよノクス先生!」

「呪文の解除は試みているが……今すぐは難しいな。このままだと、クレア嬢の遠征参加も断念するしかないが……」

「それは当然よ! 私は身体の傷は治せるけど、心の傷までは無理よ。……あんな酷いことをされたんだもの……」


 沈黙が落ちた。

 俺たちは大きな戦力を失ったことになる。

『アンゴル大峡谷遠征』の日程は、先発のグラキエス騎士団がネブラ王国入りした以上、最早変えられないだろう。

 そして今回、クレアを襲った犯人が魔物でないとしたら……。


「ノクス先生。ノーティオ魔法学園に、部外者の侵入は可能ですの?」

「いや。普段から侵入者感知に特化した結界が張ってある。それが昨夜は何の反応もなかった」

「それじゃあ……この学園内にいる誰かが犯人ってことですか?」

 カロルが絶望的な顔をする。


 ノーティオ魔法学園には現在、『アンゴル大峡谷遠征』に参加する騎士たちが集結している。

 味方であるはずの人間の中に、敵が混ざっていることになる。


「何故こんなことを……動機が分かりません。クレアさん個人への私怨も考えられますが、そんな人間に彼女が負けるでしょうか?」

 グランスが首を捻る。


「うん。並大抵の人間なら無理だね。僕だって相打ち覚悟じゃないと、怖くってクレア嬢に喧嘩なんか吹っ掛けられないよ」


 今までどこにいたのか、ひょっこりシルワ先生が現れて、俺たちの会話に加わった。


「シルワ先生、何か犯人に繋がる痕跡は見つかったか?」

「全然だよ、ノクス先生。犯人は相当の手練れだね。まあ、今この学園に集結している連中殆どに、その条件は当て嵌まる訳だけど」

「そうだな……」

 ノクスの眉間の皺が深くなる。

 はーっと、彼は一度大きく嘆息すると「フィリア嬢」と、何故か俺の名をを呼んだ。


「事情が変わった。君も『アンゴル大峡谷遠征』に同行してくれ」

「えっ?」

「何故です? ノクス先生」

 俺より先にグランスが問い質した。


「クレア嬢を襲った犯人の目的が『アンゴル大峡谷遠征』の失敗なら問題はない。でもこれが王族やその政策に対する恨みなら、次は関係者であるフィリアが狙われる可能性もある」


 今まで黙っていたディエスが、ノクスの代わりに答えた。


「ディエス殿下……」

「そういう訳だ、フィリア嬢。そしてもう一つ。クレア嬢の容態は思わしくない。同行予定だった治癒魔法使いを数人、置いていかざるを得ない。だから今は治癒魔法を使える人間が少しでも欲しい」

「クレアちゃんの穴は私が出来るだけ埋めるから、安心してね〜❤︎」

「え!? ラティオ先生が戦うんですの!?」

「もっちろん❤︎ 私、得意なのは治癒魔法だけど、相手の身体を内部から爆散させる魔法も得意なの〜」

 ゆるふわなくせに攻撃方法がエグいよ、ラティオ先生……。


「それで魔法学園時代、ついたあだ名が『爆裂姫』なんだよね。怖い怖い」

 ノクスと顔を見合わせたシルワがボソッと呟く。


 バキィッ!


 嫌な音を立ててラティオのチョップがシルワの首に決まった。


「やあねえ〜、昔を知ってる友だちって❤︎ ノクス先生はシルワ先生みたいに余計なことは言わないよね〜?」

 ラティオの問い掛け——というか最早脅しに、ノクスは高速で首を縦に振る。

 ああ。

 この三人、学生時代からこんな感じだったんだろうな……。



 最後は先生たちのせいで緊張感がなくなったが、こうして俺——フィリアの『アンゴル大峡谷遠征』行きが、思いがけない形で決定した。





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