第4話

翌日、悠希はいつも通り、朝八時に起床した。

高校のホームルーム開始まで残り三十分ほど。

眠いと訴えてくる身体を何とか起こしてリビングに向かう途中、悠希は汐音を家に泊めたことを思い出した。

優等生の汐音のことだ。

きっと登校しているだろう。

そう思ってリビングのドアを開けると意外なことに汐音はまだソファに寝ていた。

「柏木、今日は学校だぞ、そろそろ起きなくていいのか?」

まさか、同級生、しかも学校の天使様を起こす日が来るとは。

声をかけてみたものの、汐音からの返事はない。

「柏木?」

もう一度声をかけるが、反応がないので、汐音の顔を悠希は覗き込んだ。

幼い天使のようなあどけない寝顔がそこにはあった。

ほんの数秒、無防備な天使様の寝顔に悠希の視線は吸い込まれた。

これは危険だな。

学校で天使とだけ呼ばれるだけはあって、汐音の寝顔は男子高校生には目の毒だ。

そう思って汐音の寝顔から目を離そうとした時、汐音の瞳がぱっちりと開いた。

最悪のタイミングだ、と悠希は思った。

客観的に見たら、今の状況は男子高校生が無防備に寝ている女子高生の寝込みを襲っている図だ。

寝ぼけてまだ、少し垂れていた瞳が完全に開いて、汐音が状況を理解する。

「にゃにゃにゃ、にゃにをやっているのかしりゃ⁉」

頬を赤く染め上げた汐音が勢いよく立ち上がる。

「猫の真似か?」

悠希の言葉には反応せず、汐音が声を荒げる。

「女の子の寝込みを襲うなんて、矢城君の変態!スケベ!強姦魔!」

不意に、罵声を悠希に浴びせていた汐音の身体が悠希の方に倒れてくる。

受け止めた方がいいのだろうか?

倒れてくる汐音を視界に入れつつ、悠希は迷った。

ここで、受け止めたら、今かけられている冤罪が悪化する恐れがある。

でも、受け止めずに怪我をされたら、それはそれで寝覚めが悪い。

近づいてくる汐音、タイムリミットは数秒。

迷った挙句、悠希は汐音を受け止めることにした。


ポスッと音がして、悠希は汐音を受け止めた。

もちろん、カップルがするようなハグの形ではない。

悠希が汐音の肩を抑えただけだ。

それでも、ソファの下にいた悠希とソファの上にいた汐音の身長差は逆転していて、汐音と悠希の顔はキスできるぐらいには近かった。

それどころか、汐音と悠希の額は接触を果たしていた。


「柏木、お前、熱があるな」

上手く受け止め損ねて汐音と額が接触してしまったが、悠希は冷静に事実だけを述べた。

「気のせいよ」

と返す、汐音をソファに腰かけさせて、机の文房具入れに一緒に入っている体温計を取って汐音に渡す。

「とりあえず、測ってみろ」

悠希が言うと、汐音は渋々と言った様子で体温を測り始めた。

少しして、ピピピと音がして汐音から体温計を受け取ると、38.9℃と体温計に記されている。

「熱があるな」

「平熱よ、平熱」

軽口を返す汐音だが、体長は優れないらしい。

息は荒く、額には数粒の汗がにじんでいる。

「とりあえず、今日は休んどけ、連絡は自分でできるか?」

こくりと小さく汐音が頷いたのを見て、悠希は高校指定のバッグを背中にからった。

「ちゃんと寝とけよ、ベッドは使っていい、あと何か食べれそうならお金を置いとくから、好きに使え」

汐音の返事を待たず、そう口早に言い残して悠希は家を飛び出した。


ホームルームまで後十分。

いつもより登校時間は遅れたが、遅刻するほどではない。

高校に家が近いこともあって、周囲には悠希と同じ制服に身を包んだ生徒もちらほら見える。

その中の一人と目が合った。

「おっす」

声を掛けられたので軽く、手を挙げて挨拶を返す。

「珍しいな悠希、お前がこんなぎりぎりの時間に登校してるなんて」

声をかけてきたのはすらりと身長の高いイケメン。

短い茶髪に、色黒の肌。

顔のほりは白人のように深いが目じりは垂れていて優しそうな印象を受ける。

身体は鍛えられていて、制服越しにも何かのアスリートであることを感じさせる。

名前は伏見ふしみ諒真りょうま

野球部所属、一年生ながらエースで四番、本人は否定していたが、噂によるとプロ注目の選手らしい。

当然ながら、彼女あり。

これだけスペックが高ければ、彼女がいて当然、逆にいない方が不自然だと悠希は思っている。

「そう言う伏見は朝練はなかったのか?この前、大会が近いって言ってただろう」

「土日に試合だから、今日はオフだ」

今日がオフという割には諒真の顔色が優れない。

「その割には表情が暗いな」

率直に悠希が言うと、諒真が「聞いてくれよー」と顔を崩して悠希に泣きついてくる。

「美月と喧嘩したんだ」

美月と言うのは諒真の彼女の名前だ。

雪平ゆきひら美月みつき、バスケ部所属。

明るい性格で交友関係が広い。

そして、ギャルだ。

「またか」

「またなんだ」

「今回はどういう理由だ」

「日曜に美月とデートの約束してたんだが、試合が入っちまってな、それで不機嫌になって、絶賛別々登校中だ」

「毎回しょうもない理由だな」

はぁっと悠希の口からため息がこぼれる。

「俺にとっては結構重大な問題なんだぞ……それで何かアドバイスをくれ、頼む」

諒真が軽く頭を下げる。

「アドバイスって言われてもな、今日、休みなんだからデートを今日に振り返ればいいんじゃないか」

「それも考えたんだが、美月が部活でさ」

「なら、部活終わりのあいつを駅前のクレープ屋にでも連れて行ってやれ、この間お前と行きたいみたいなこと言ってたぞ」

「それだ!流石、悠希だ、頼りになる」

なんで彼女がいないのに彼女もちのアドバイスなんかしてるんだと悠希は思ったが、気づくと高校に入って何度も通っている校門が見えてきた。

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