純が見た未来の話 1
社長室のローテーブルには、モンブランと紅茶が三人分置かれている。
来客用のソファに座る純は、斜めの位置に座る社長の女性秘書に声をかけた。
「
フォーマルなスーツに身を包んだ秘書は、物静かに頭を下げる。
純の正面に座る社長は、今日もド派手なピンクスーツだ。宝石が輝く手でカップを持ち、紅茶に口をつけた。
「ありがとう、純ちゃん。これ最近銀座にできたお店のやつでしょ?」
社長はモンブランを指さす。
形こそシンプルで他の店と変わりない。細いクリームがキレイな線を描いている。上にのった大きな栗はツヤがあり、宝石のようだった。
「ずっとどんなもんか気になってたのよね」
「はい。そうだと思ってました」
社長は穏やかにほほ笑み、紅茶をテーブルに置いた。モンブランの皿を持ち上げ、フォークですくい、口に入れる。その姿を見て、純と秘書も手を付けだした。
「あら、おいしい。栗の風味が強くていいわね。クリームも濃厚でおいしい」
純は返事をする代わりに、食べながらうなずいた。秘書ももくもくと食べすすめている。
「……月子が、世話になったわね」
モンブランにフォークを刺す純の手が、とまった。
「まさかあの子の父親にも連絡してるだなんて思わなかったけど」
少し
「念には念を、入れておこうと思いまして」
純は再び手を動かし、モンブランをすくって口に入れる。
「今回のことは事務所全体でいい教訓になったわ。あなたが先に教えてくれなきゃ、対応に遅れが出てたでしょうね。月子は自分のことを話すタイプじゃないし、自殺未遂以降はスタッフたちも混乱してたし」
「……はい。よかったです。ちゃんと伝えておいて」
先日会った月子の姿を思い出し、穏やかにほほ笑む。月子なら、もうどのような環境でも乗りこえられると確信していた。
「それで、イノギフのことなんだけど」
ここからが本題だ。社長の声が、ひときわ真剣になる。
「どうなのかしら、あなたの見立てだと」
社長は純を見すえながら、モンブランを一口食べた。純の顔は、笑みが消えている。
「今のところ人気も仕事も好調よ。千晶にはどんどん仕事が舞い込むし、イノギフのファンクラブ数も右肩上がり。純ちゃんの仕事の評価もいいらしいじゃない?」
純は社長の誉め言葉に、うなずくことはない。それどころか、切れ長の目で冷ややかな圧を放つ。
「俺は何もしていませんよ。……今年も、みんなについていくのに必死だっただけです」
先日見えたイノセンスギフトの未来を、どう伝えようかと頭を整理する。
社長ももう気づいているはずだ。純の中で、月子とイノセンスギフトの扱いが違うことに。
だからこそ、変にごまかすことはしなかった。
「残念ながら、イノセンスギフトは……社長が望むような売れ方はできません」
絶望的な純の言葉に、社長が動じることはなかった。口元に握りこぶしを当て、足を組んでいる。
純は社長の姿をまっすぐに見すえて、続けた。
「パパや月子ちゃんみたいに、老若男女が知るような存在にはなれません。でも、この人気だったらずっと安泰だと信じて疑わないメンバーが何人かいる……」
純はモンブランをテーブルに置き、紅茶を持ち上げる。行儀よく背を伸ばし、口をつけた。
イギリス産の値の張る茶葉を使っているようだ。格式高い、上品な匂いと味が舌の上で広がっていく。
「……そう。じゃあ、国民的アイドルグループとして賞賛されるためには、どうすればいいの?」
「まずは、メンバーとスタッフの目標をちゃんと共有させることが前提になるんじゃないでしょうか。俺が見た限りでは、みんなばらばらのようなので」
事務所とスタッフが全力でフォローしているうちは、まだ救いようがある。しかしそれも、スタッフ一同とメンバーの足並みがそろえば、の話だ。イノセンスギフトにはそのような一体感もない。
メンバーもスタッフも、イノセンスギフトに対するモチベーションにバラつきがある。アイドルグループとしての目標設定がいびつで、まとまりがなく、それぞれの認識がかみ合っていない。
これが、純の中でくすぶっていた不安の正体だ。
「そもそも、本人たちが自分の強みをまったくわかっていません。『歌もお芝居もうまい中学生の女優』といえば、月子ちゃんです。でも彼らにはそれがない。今は自分に与えられた仕事を、ただ、こなしているだけ」
月子は昔から、演技と歌を着実にのばすために、ステップアップしていけるよう仕事を優先している。
しかしイノセンスギフトは違う。レッスン生のころから歌、ダンス、バラエティ、ドラマ、舞台、モデル――とさまざまなことを闇雲にやってきた印象だ。
もちろんそれが悪いのではない。問題は、経験はしているものの、自分の実力としてつかめていないことだ。
「注目されて多種多様な仕事をいただける今の段階で、本人たちに手ごたえをつかんでもらうべきです。問題は、手ごたえがあっても次に活かせるか。それができなければ、個人で売りだすことも難しいと思います」
「個人が売れなければグループとしても売れないって言いたいのね?」
「はい。そのとおりです。国民的と評されるアイドルグループは、その全員がドラマの主役をはれるくらいの実力と評価を持っていますから」
紅茶の表面を見つめる純の目には、突き放すような冷たさがにじんでいる。
純は自嘲気味に笑う。他人にはめったに見せない表情だ。
「でもこのままの状態では数年ももたないでしょうね。……これから三年が、ピークです」
その上、今の純に、この状況を改善する策はない。思い浮かんだとしても、純の立場でできるはずもない。イノセンスギフトの未来は絶望的だ。
「俺がフォローするべきなんでしょうけど。俺の立場と実力では、他のメンバーと一緒に仕事をすることもできませんしね……」
社長は穏やかにほほ笑みながら、純の話を聞いていた。物静かな、しかしはっきりとした声で言う。
「純ちゃん。あなたって、とっても残酷ね」
「すみません。社長の気分を害するようなことを言ってしまいましたね」
「……そういうことじゃないわ」
社長の雰囲気はおだやかだが、本心を隠している。しかしそれは、純も同じだ。
「わかってるのよ。あなたがアイドルになったのは、父親の面倒を見てる私や事務所のため、よね。あの子たちの、ためじゃない」
純は反応を見せない。黙って紅茶を飲んでいる。
重い空気が、広がっていく。
「純ちゃん。あなたがスタッフを変えろと言うなら……」
「いいえ」
純にしては冷たく、不愛想な一言だった。今浮かべているほほ笑みと、まったく一致していない。
社長が思わずたじろぐほどだ。
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