大丈夫、頑張れるはず
学校終わりに事務所に来て、メンバーとダンスレッスン。居残りで自主練習。家に帰ったら宿題と勉強。そんな生活を繰り返す。
少なくともミュージックビデオの撮影日までには、ダンスを覚える必要があった。
「はー……」
ダンスのレッスン中、何度も耳に入るため息。そのたびに、純の動きは鈍くなっていく。
「ほんと毎度毎度教えてやってんのにさ、覚える気ある?」
「すみません……」
今日も、純はメンバーの後ろで個別にダンスを教わっていた。女性の講師が腕組みをして、見下す目を向ける。
「あの子たちはとっくに覚えきってるんだけどなー」
「すみません……」
純は、初めてダンスを指導してもらったときから、まったく踊れていなかった。
教えてもらっているのに、一ミリも覚えられないのだ。
どうやっても、踊れない。
「あんたが一番迷惑かけてんのわかってる?」
「はい……すみません」
「あんたが踊れないから、みんなあんたに合わせてやってんの! もっと真剣にやってくんない?」
「すみません……」
「もう一回、最初から!」
言われたとおり、最初から踊りなおす。イラ立ちを伴う手拍子が、純の耳を刺していた。
「だからぁ! 違うって!」
怒鳴り声にびくりと震え、委縮する。
「その態度をやめろよ、きもちわりいな! ちゃんと丁寧に教えてるだろ! 被害者ヅラやめろっつってんの!」
指先が震え始め、なかなかおさまってくれない。心臓が締め上げられたように痛む。
講師の声に、他のスタッフやメンバーが顔を向けていた。その視線ですらも痛い。
「あんたがしっかりしないとデビューできないんだよ! どうすんだよ! もう一カ月もないんだよ! ちゃんとやれよ!」
「すみません……」
純にはもう、女性講師の姿が、どす黒い感情の塊にしか見えなかった。
「この愚図! なんでこんなかんたんなこともできないの? このくらい十分でできるようになれよ! それが当たり前なんだよ! あたしに指導力がないみたいに思われるだろ!」
女性講師の怒鳴り声が、頭の中で響き渡る。普通でいようとしても、体の震えが止まらない。
「おまえらはおまえらでちゃんとやるんだよ! 人のこと心配してる場合か!」
男性講師の厳しい声。メンバーたちは前を向き、練習を再開した。何名かはちらちらと純のほうを気にしている。
稽古場の前方にいた男性講師はため息をつき、純のもとへ歩きだした。女性講師に前へ行くよう促し、指導を交代する。
「おまえほんとに練習してんのか。みんなの足引っ張ってるってのによ」
女性講師とはまた違う、侮蔑を含んだ声だ。
「すみません」
震える指で、スウェットパンツを握る。自身に向けられる怒りと失望が頭に入り込み、全身を支配される感覚に陥った。
「謝るのは俺じゃなくてこいつらだろ? 迷惑ばっかかけやがって」
「すみません」
純の顔は青く染まり、視線も定まらない。どうしようもない冷や汗が、顔を流れていく。
「話きいてんのかきいてないのかわかんねえツラしやがって」
「すみません」
「ほんと、なんで社長はこんなセンスないやついれたんだろうなぁ?」
「すみません……」
謝ることしかできない。悪いのは、踊れない自分だ。どうして踊れないのか、自分でもわからない。
せめて足を引っ張らないように。グループのお荷物にならないように。はやく踊れるようになりたい。
それなのに――。
†
そうこうしているうちに、レッスンの時間は終わった。メンバーもスタッフも、純を残して稽古場を出ていこうとする。
「あの……」
純は、指導してくれた女性講師に声をかけた。振り返ったその顔は、不快気にゆがんでいる。
「なに?」
「その、先生が踊っているようすを動画に撮らせてくれませんか。あの、ちゃんと、踊れるように、練習するために」
このままではラチがあかない。自分でできそうなことを自分で考えて取り入れる必要がある。
純の言葉に返ってくるのは、深いため息だ。感じるのは、面倒くさい心情と、純への軽視。
いい返事がもらえないことは、この時点で理解できた。
「無理に決まってんじゃん。こういうのはね、流出を防ぐためにもとっちゃダメってことになってんだから」
「そう、ですよね。すみません」
「ていうか、あそこまで丁寧に教えてんのに踊れてないんだよ? ただ見ただけで踊れるようになるとは思えないんだけど」
「……すみません」
純と女性講師のやり取りを、ドアの前からじっと見つめる者がいた。
女性講師が純から離れたと同時に、眉尻を下げながら近づいた。それに気づいた純は、笑顔を向ける。
「星乃くん。よかったら、僕」
「竜胆くんは自主練なんて必要ないでしょ。帰っていいんだよ」
女性講師の声が響き渡る。純に向けるときよりも、柔らかいトーンだ。
「あ、でも」
「そんなやつと一緒にいたら竜胆くんまでできないやつだと思われるよ。竜胆くんは明日撮影あるんだし、早く帰りな」
優しい声だが圧のある言葉に、幼い歩夢は逆らえなかった。
「はい……」
歩夢はちらりと純を見て、ぎこちない足取りで稽古場を出ていく。
「まじでこれ以上メンバーの足引っ張んないでくれない?」
女性講師がさげすんだ目を純に向けてきた。
「今日全部教えたはずでしょ。ちゃんと思い出して一人で練習しろよ。七人にこれ以上迷惑かけんな」
「……はい」
「すぐに覚えて踊れなきゃここにいる意味ないからね? どうしても踊れないってんなら、辞めるのもありじゃない? 誰も止めないからさ」
女性講師は舌打ちして、稽古場を出る。他のスタッフとのひそひそ話が、中に残る純の耳に届いた。
「ひっでぇ。せめてダンスくらい撮らせてやりなよ」
「めんどくさいじゃん。もうレッスンの時間はすぎてるし」
声と足音は、遠のいていく。
純は鏡に体を向け、一つ一つの動きを思い出そうとした。
が、やはり頭に浮かぶのは怒鳴り声と、向けられた嫌な感情ばかりだ。女性講師の目つきと、男性講師の声がこびりついて離れない。
鏡に映る自分の姿が、にじんでいく。頬を、温かいものが流れていった。
ウエアの袖でふき取っていく。
「……どうしよう」
何もわからない。このままではいつまでも踊れない。
アイドルを辞めようにも、両親への影響を考えれば簡単にはできなかった。
†
稽古場を出てカギをかける。下を見ながら足を進めた。アイドルとしてグループになじめるよう、今後どう動くべきか必死に頭を働かせる。
今の純に、周囲を見ながら気を遣う余裕はなかった。前方の足音にも気づかず、曲がり角で二人組の男性とぶつかる。
とっさに頭を下げた。
「すみません!」
相手はスーツ姿の社会人。事務所の社員たちだ。
純を見て、鼻を鳴らした。
「……なんだ、ウワサの二世さまじゃん」
二人は純を避け、立ち去っていく。二人の背を見つめる純の耳に、ひっそりとした声が届いた。
「あれかぁ。二世の劣等生」
「コネで入っただけでなんにもできないってみんな言ってる」
「レッスン生で他にいいのいたんじゃないの?」
軽蔑と、嘲笑。
純は早まる
受け取った事務員の女性は、純の顔を見つめ、笑った。嫌な感情がにじみ出る含み笑いだ。
受付の中からも、背後にあるエントランスからも、たくさんの視線が純に向く。
「あれだよ……」
「二世さま……」
「ふざけてる……」
「調子乗って……」
「たいした顔してない……」
「ダンスも歌もひどいって……」
「どうせコネだから」
「こっちは必死にレッスンしてんのに……」
冷ややかな視線、鋭い言葉、どす黒い感情。そのすべてが純にのしかかってくる。
震える指で、通学カバンからワイヤレスのイヤホンを取り出し、耳にはめる。スマホで音楽を流しながら、青白い顔で外に出た。
背後から嫌な感情が刺さっても、聴覚を支配するのは恵の楽曲だ。誰もがワンフレーズを歌えるほどの、有名な曲。特徴的な歌詞とロック調の音楽で、頑張る者たちの背中を押してくれる。
誰も味方がいない中、こうやって自分を慰めるしかない。
息苦しくても、なにも考えられなくても、純はまだ辞めるわけにはいかないのだ。
――大丈夫。明日もまた、頑張れる。まだ、頑張れる。
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