第59話



 大野さんの【物語】は続いています。ここまで聞いて思う事は、娘さんに文才があったのは良しとして……大野さん達が幸せだったとは思えないんですよね。社会的に見れば大成功の部類なのは間違いないんでしょうが……いったい、何故なんでしょうね。よくわかりません。


 きっと、それは……結末を先に知らされているからなんでしょう。アタシ達は【物語】の続きを待つのでした。


「それから一年半ほど過ぎました。新刊は一冊のみが出版されましたが、今までとは作風が変わってしまったのか……かつてほどの版数を重ねるものではなくなっていました」


 娘さんが結婚されたからなんでしょうか。ルックスでの人気も高かったみたいですし、結婚に失望した男性ファンが離れていったとか……そんな感じに思えますね。何と言いますか、本業は作家さんなのに……まるでアイドルです。確かに、これは山奥でひっそり暮らしたいと思う気持ちになっても不思議ではないですね。


「そんな折でした。担当の編集二名が結婚したのです。宇多司と和賀渚は婚約し……和賀の方は宇多へと性を変えました。和賀……いえ、宇多渚は既に妊娠しておったようです。婚前交渉があったのでしょうな。そして……それは我が家にも起こっており、伊能尊との間に子が出来たと……私はそれを聞かされたのです。様々な出来事が立て続けに発生し、私も困惑しておりましたが……俗に言う十月十日という時間は私を平静に戻すのには十分でした」


 アタシには父親の気持ちはわかりませんけど、妊娠を報告されて困惑するってのはどうなんでしょう。ひょっとしたら、思った以上に大野さんは娘溺愛型の父親だったのかもしれませんね。あ、ちなみに十月十日とか言いますけど……実際の所、報告されてから十月十日も経っていたら、とっくに産まれていますからね。


「そうした事もあり、それ以降は執筆も出版もなされない状態が続きました。夫妻には巷の喧騒を避ける為にも屋敷に移ってもらい、そして時は流れ……出産は残酷な結果に終わったのです。母子は共に……亡くなりました」


 え? そんなのって……あんまりじゃないですか。えっと……こんな時、何と言えば良いのかわかりません。コムさんも無言です。そして大野さんは、構わず話を続けるのでした。


「私は須臾しゅゆにして全てを失ってしまいました。束の間にして娘達を亡くし、残された物は山奥の屋敷と空っぽな自身。しばらく空虚な時を過ごしました。その間……私は何時に起き、何を食べ、何時に寝たのか、それすら把握できなかったのです」


 うーん。幸と不幸は表裏一体とはよく言ったものですが……ここまで一気に裏返ると、精神的にも厳しいですよね。何も考えられなくなったとしても仕方ないことだと思います。


「それから一月半ほどして、編集部から連絡がありました。娘に未発表の原稿……つまりは遺稿が残されていないかを探して欲しいという依頼です。良くも悪くも、著名人の死が商機を意味するのは理解できます。その依頼に含むものが無い訳ではありませんが、私は地下の……娘の創作部屋の重い扉を開きました。すると、長くの時間を主不在で過ごした部屋は、所々……埃が積もっている有様であったのです」


 アタシの経験では部屋の空気の流れ、それが垂直に壁に当たる場所が埃の溜まるスポットです。逆に言えば、そこを軽く掃除しさえすれば……しばらくは掃除しなくても平気なんです。これは生活の知恵ってヤツなんで覚えておくと便利ですよ。


「それまで私は、地下室に足を踏み入れるのを躊躇っておりました、娘の死を現実として受け止めたくはなかったのでしょう。今思えば……時々には掃除に入るべきでしたな。私は未発表創作物の捜索の前に、まずは部屋の埃を取り除く事にしました。そして部屋の埃を落としていくのです。ですが……これは私の悪い癖とでも言いましょうか。その作業の都度、娘の著作や参考資料等が目に付くと、読みふけってしまい……清掃作業は遅々として進みませんでした」


 わかります。ええ、わかりますとも。購読していた週刊漫画雑誌をそろそろ捨てようかと思い立った日なんかは危険です。懐かしいなと思って、その本を読み始めれば……気がつくと日が沈んでいるんですよ。


「長い時間、娘の参考資料の【古事記】を読みふけってしまいました。【古事記】の【歌謡番号四十三】をご存知ですか。最初は蟹から始まるのですが、読んでみれば恋の歌なのです。これまた長い歌でしてな、それを一文字一文字読んでいくと……思わぬ程に時間が経過しておったのです」


 そう言うと、大野さんは破顔しました。


「それを読み終えると、私は遺稿の捜索を再開しました。娘の使用していたデスクの引き出しを探ります。すると……出てきました。書籍化した物は全て、穴が空くほど目を通してきた私にはわかります。これこそが未発表の……遺稿となる物だと。私はそれに目を通しました。燃え上がるような恋の歌です。身を焦がす程の思慕は読み手の心を熱くさせ……そして、冷める。悲恋を詠った長歌でした。私はいつしか落涙しておりました」


 感動的な作品みたいですね。どんな文章なのでしょうか……アタシも読んでみたいです。


「私は編集部に連絡を入れました。遺稿を発見したと……そして、娘とは関係の深かった伊能両名、宇多両名を屋敷へと招いたのです。彼らには娘の遺稿の実物を目にする資格があると、そう判断しました。数日後、我が屋敷に彼ら四名が訪れます。宇多夫妻は産まれたばかりの赤子を祖母に預けて来たようでした」


 雰囲気的に……そろそろでしょうね。ご自身を大量殺人犯とおっしゃった事件の始まりを感じます。コムさんも真剣に聞き入っていますね。当然ですが、アタシもです。


「私は彼ら四人を地下の娘の執筆部屋へと招き入れました。乱雑に資料が置かれている部屋、娘が使用していた机の上には、彼らの欲する遺稿が置いてあります。彼らはそこに集まると遺稿に目を通すのでした。私はその間に地下室の外へ出ると、重い扉を閉め……外から鍵をかけました。要は物理的に開かなくなるようにしただけです。そして、ポケットに隠し持っていたスイッチを押しました。それは娘の室内が炎上するように仕組んだ細工の起動スイッチです。途端、炎が上がる音と悲鳴が聞こえました。扉を叩く音も響くのですが、重厚な扉はビクともしません。娘の執筆部屋は地下にあり、換気はしっかりと施工されておりましたので……酸素が欠けることもなく、室内は余すところなく炎上したでしょうな。何せ部屋には、娘の資料や著書が山のように置かれ……可燃物には事欠かなかったのですから」


 そろそろかと思って身構えていましたが、いきなり来ましたね。しかも、かなり凄惨な現場です。ですが……それを語っている大野さんは平然と話を続けていきます。


「室内からは、人の立てる音は聞こえなくなりました。それでも炎の巻き上がる音は続いています。これで仕事の一つを成したのです。私は残りの仕事を片付ける事にしました。私は屋敷の外へ出ると、阿陀神社へと向かいます。そして、その小さな社殿の中へと入り……火をつけました。お分かりでしょう。残りの仕事とは、自らの命を捨てる事なのです。私は何時からか狂気に取り憑かれておりました。私がそれに気づいてしまってからは……その狂気が命ずる仕事をやり遂げる事だけを義務とする存在になり果てていたのです。そして、私は炎に包まれると……それを完遂しました」


 何と言ったらよいのかわかりません。いえ、何も言わないのが正解なんでしょう。


「さて、長らく話して参りましたが……そろそろ【謎】を提示させて頂きましょう。私はどのような【狂気】に取り憑かれたのか……そして、事件の根本となる【動機】は何であったのかです。いや、そんな難しい事を考えなくても良いと思われます。ただ、いったいこの話は……どんな話であったのか、それを考えてみてください」


 怒涛のような急展開を見せた物語。茫然としたままのアタシ達。その前に……理解不能な【謎】が示されたのでした。


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