第133話 エリザベート・マルチプル・オブ・マッドネス 前

 私がお前を”監視”し始めたのは、当然、お前を遡行に利用しようと考えたときからだ。それまでは私はメアリー・レストとしてアイリーンの傍にいた。


 おい、余計な疑問を持つなよ。私がアイリーンと一緒にいる理由も、アイリーンを助けたい理由も、お前とは関係のないことだ。


 だから……だから、私はお前の経験についてはなにも知らない。私は状況が悪くなるかもしれないと思ったタイミングで、時間を遡行する方法について調べだした。そして因果によって縛られたこの”現世”で時間を行き来するには、メウネケスの方法が一番だと学んだ。


 それが、混濁した意識の流れを利用した因果の逆転。細かい理論については今は説明しないが、お前を利用して時間を遡行する方法だった。


 だがあくまで最後の手段だ。出来ることがあれば私だって、アイリーンを正しい方法で救っただろう。だがクーデターが起ってアイリーンが……ああ。恐らく、彼女は死んでいた。確認していない。勇気がなかったんだ。私はすぐさまお前を探し出し、遡行を行った。


 待て待て。そこについては思い出さなくてもいい。必要ない。必要なのはお前の”視点”なんだ。お前が見たものを思い出せば、クーデターの黒幕が誰なのかもわかるかもしれないんだ。



                  ▽


 森の奥にある灰色の建物から見える、格子で分けられた窓の外。エリザベートはずっと、窓の外を眺めていた。分割された景色は見る場所を変えると、違う景色であるように見えた。


 エリザベートのいた部屋は、家具はベッドとサイドテーブルだけの簡素な部屋だった。ベッドの正面の壁に便所へのドアがあったが、その他にはどこから持ち込んだのかも思い出せない本が一冊あるだけだった。


 部屋の外へと続くドアは、分厚い鉄扉で、こちらが出ることを拒んでいた。鉄扉の上部に備えつけられた小窓から時折、背の高い看護師の頭が見えた。他の看護師が通ったときは、姿はなく、噂話ばかりが聞こえた。


 姿の見えない看護師は、ひそひそとからかうようにエリザベートの姿を謳う。


――きんぴか ひらひら おじょうさん いまは ぬのじは いちまいきり たかいくつもいまはない いいくだものも てにはいらない あるのはといれと けしきだけ


 エリザベートはその歌を聴くと、大声で泣きわめいて耳を塞ぎ、周りにあるものへ当たり散らかしていた。


 看護師は部屋の中から聞こえる不協和音を背景に、高笑いして、歌を続けるのだ。お次は隣の部屋にいる、醜く頬のはれ上がった令嬢の歌を歌って。


「本当に悪趣味な場所」


「……落ち着いているな。とてもいいことだ」


 メアリー・レストの声がどこからかする。エリザベートはベッドから立ち上がり、部屋の中を歩いた。


 ここが記憶の中か。色彩がなく、現実感もいくらか薄い。メアリーの言う”落ち着いている”はそういう理由もあるだろう。もっとも彼女がそう言ったということは、現実感の薄さを差し引いてもなお、エリザベートの精神に悪影響を及ぼすと思っていたということなのかもしれないが。


 エリザベートは思い出した。エリザベート・デ・マルカイツは、あの舞踏会の日、階段から落ちはしたものの、死ぬことはなかったのだと。頭蓋骨にひびが入るような大けがを負いながらも死なず、そして、みじめに生きていたのだ。


 当然、シャルル王子との婚約はなかったことになった。学院に戻ることは許されず、家からも追い出されたエリザベートは、ほとぼりが冷めるまで”この場所”に押し込められたのである。


「ファーメインホテル。聖ロマーニアスの令嬢はみんな、幼い頃にここのことを教わるの。怖い場所だってね。そして少し成長してから、本当にそんな場所があることを知る。ここは精神に異常をきたしたり、なんらかのスキャンダルから逃れるために貴族が入る、一種の保養所よ。ここの職員はみんな貴族の家で働いていたメードでね。こっちはこっちで問題があるからと追い出されたらしいわ。環境は劣悪だけど、入れる方はそれを承知で入れる。何か月かしてでてくるとみんな、人が分かったように大人しくなるそうよ」


 エリザベートは部屋に設置された鏡の前に立つ。そこにメアリーが映っている。鏡の向こうにも色彩はなかった。


「知ってるって顔ね。つまり……そうか」エリザベートは淡々と言った。「私、ここで死んだのね。こんな掃き溜めで」


 すると、メアリーの顔へ更に翳がかかった。いじめるのも引け目を感じるほどだった。


 エリザベートは空気を換えようと質問をした。


「ひとつ、教えてもらいたいことがあるんだけど」


 メアリーがこちらを見る。


「なんだ?」


「私はこれから自分の記憶を辿る。そうよね」ああ、という返事。「それはいい。それはいいのだけど……嫌なことをするからには、知りたいの。これで本当に、黒幕はわかるの? 本当にこれで?」


「お前の言いたいことはわかる。お前の記憶はいわばお前の視点だ。それ以外のものは見えない。そういうことだろう。見て行けばそのうちわかる。お前には黒幕とつながりがある」


「候補とかはないわけ? つまり、黒幕の候補よ」


「黒幕の第一容疑者は、お前の父親、グザヴィエ・デ・マルカイツだ」


「お父さまが?」


 エリザベートが声に出して驚きを表現する。だが、実際はさほど驚いていないようだ。


 本当に、父親がクーデターを主導したと考えているのではない。だがメアリーが黒幕を”相当な権力者”と表現した時点で、恐らく彼女の考える容疑者のなかに父の名前があるだろうことは、予想がついていた。


 エリザベートから見ても、状況証拠はある。


 あの古代遺跡だ。外交業務に携わるグザヴィエは本来、古代遺跡の責任者になるような立場ではない。にもかかわらずあの”予言の民”たちが侵入した古代遺跡の責任者になっていた。事前に軽く襲われているのも、今見れば逆に怪しむことも出来る。


 だがそれ以上に、エリザベートには父を疑わない理由があった。それは貴族のプライドを持ち、誰よりも平民と貴族を分けて考えるあの父親が、”予言の民”なんぞのカルトと手を組むだろうか、という疑問からだったが、ここではまだ、それをメアリーには伝えなかった。


「そんな様子は、なかったか?」


「ないと思うけどね……」


「そうか……」メアリーは難しい顔をする。「それじゃあ、次だ」


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