冷めたサメに裂かれた蛇の目

アルコール消毒液を薄めてジュースと混ぜたものを喉の奥に押し込むと、僕の黝いものが殺されて熱くなってゆく。心の枷が外れたように気分が軽くなって、意味なく笑い、意味なくつまみ、意味なくうなだれた。


「何か、頭がスッキリします」


「そうだろう?」


意味もないことばかりを考えては、自己中心的に傷ついていたのが馬鹿らしくなってきた。僕の悩みの九割はクソだ。僕は愛されている、認められている。虚勢を交えた意地を張って、ただこの時間を楽しもうとした。


「ボスぅ」


「ん?」


貴方の小首を傾げる仕草。


「あははっ、何となく呼びたかったんです」


真似て頬杖ついて貴方と反対方向に視界を斜めにする。実際は不思議と貴方に触れたくもなっていた。けれど一歩後ろに譲歩する。


「りぃあ」


可愛く、けど大人っぽい上品さも兼ね備えて、僕の名前を貴方が呼ぶ。それだけで心臓が跳ねたように動く。


「ふふっ、何ですか?」


「好きだよ」


言われた瞬間、酔いが興醒めしてしまうような、風の冷たさに身震いした。


「.......あはは、ああ、」


返答の言葉も分からずに、詰まらせた喉に酒を流し込んで、溺死してしまいたい。身体が怠く重たくなってきた。


「さすがに呑みすぎたね」


貴方はまだまだシラフのような白い肌でそう弁解をする。アルコールを入れる。それが消えた瞬間、寂寥が僕を支配して、燃料切れして希死念慮。突如、目から水がこぼれてきた。


「あはは何これ、液漏れ?欠陥品じゃないですか」


人間の欠陥品だ。簡単なこともわからない。アルコールは罪を泡沫で覆う。シャボン玉が弾けてしまうような数多の空虚が、罪を顕著にして現在にトリップする。


「リア、帰ろう」


「やだ、もう一杯!!頭痛くなってきたあ!!」


ぐらん、と視界が動く。目の前にいるはずの貴方の顔がはっきりしない。頭が痛い。僕は何を言って、いや、酒を呑めば治ることだ、良くなることだ、酒、酒、酒。ああもう、どうだっていいや。



「死にたい死にたい死にたい"死"に"た"い"!!!あ"あ"あ"あ"あ"あ"クソッ!!クソクソクソクソ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、もう生きるのが嫌なんだよ死にて……あははっ、なら死ねば??」


狂気の沙汰で、ナイフぶっ刺して、愉快げに笑い、酔歩蹣跚のステップを踏んだ。僕はまるで吐瀉物まみれの人魚のライオン。あはは、苦しいよ。でも、助けないで。……死にたいの。


「リア、ごめん。ごめんね」


貴方が地べたに蹲った僕の背中を、何故か謝りながらずっと撫でてくれていた。あやふやな記憶の中、そのことだけは鮮明に覚えている。いっそ全部、記憶が消えていれば、よかった。



声が出ない、喉が死んでいる。瞼を閉じると、終わりのない珈琲カップに不規則に振り回されている感覚がした、まだ脳に残っている毒物。ベッド横に置いてあったビニール袋に吐いた胃液。邪魔なチューブ、点滴。このままでは脳汁が腐ったチーズになる。腕には大量の絆創膏。絆を創るなんて大嘘だ。酸っぱい葡萄を無理やり喉に詰め込んで嘔吐く。

あーあ、これが夢であったならば、僕はどれほど幸せだっただろうか。

そして、どれほど人間は薄情だと証明できただろうか。


「リア、入るぞ」


と僕の部屋に恬然とした態度で入ってきたのはサタさんだった。


「……あ"、んあ"」


「あーあー無理して喋るな。まだ体調悪いか?痛み止め、置いとくから」


その声色から、薬と水だけを置いて、いなくなってしまいそうで、それが何故か怖かった。見ないフリして腕を伸ばして、手探り状態で彼に触れようとした。


「どうしたんだ?何が欲しい?」


強いて言うのならば、そばにいてくれる安心感だろうか。いや、この期に及んで、僕は何故、馬鹿な高望みしているのだろう。非力に腕を重力に従わせた。


「はあ、アムがいればな……」


とサタさんがため息混じりにそう呟いて、野垂れ死んだような僕から目を逸らした。何処かへ行ってしまうようだ。「何処へ行くの?また戻ってきてくれる?……寂しい」と弱ってる脳で声にしては気持ち悪さで反吐が出た。


「あったあった。リア、できるか?」


彼は、左向きに丸く塞ぎ込んでいる僕に、僕の手にスマホで触れて、ブルーライトを与えた。僕のスマホ、サタさんとのトーク画面を開く。


「ありがとうございます」


の言葉は予測変換で数秒で打てた。


「どういたしまして。何かして欲しいことがあれば何でも教えて」


いつも冷徹な仮面を被った彼が不敵に口角を上げる瞬間、僕は内心でシャッターを切る。照れ隠しのようなそれは、人間の死体よりも珍しい。

「ボスは」と打っては消して、今度は「サタさんは」と打っては消して、僕が何をして欲しいかを字面にするのに困窮してしまった。


「無いなら無いで、別に」


サタさんが言いかけたところで彼のスマホが鳴る。


「ひだりうで」


僕が咄嗟に打った文章。絆創膏だらけの左腕を目に入ったから。「いたい」とその後に続けた。怪訝そうな顔で彼は僕の左手首を掴む。


「治して欲しいのか?」


僕は首を小さく横に振った。


「じゃあ、何だ?」


眉をひそめるサタさん。スマホは掴まれた左手に。僕は涙目で訴える他なかった。


「あ、ごめん」


彼がパッと僕の手を離した。僕はカタツムリのように足のつま先から顔の半分まで布団に隠れ込んで、その下でメッセージを書く。


「そばにいてください」


僕のグロテスクに目を瞑って、見られない送信ボタンを押した。サタさんの顔も見られる気がしなくて、狸寝入りをして見ないフリをした。


「……俺で良ければ、務めは果たすが」


予想外の返答に目を見開いてしまった。自信なさげに目を逸らしているのは彼の方だった。「お願いします」と打つと、ただの「ん」だけで返事をされた。ベッド横に椅子を置かれる。沈黙の間、お互いにお互いを瞥見すると、とても照れてしまう。


「手繋ぎ、してくれませんか?」


頭の痛さにかまけて、精神の痛さをかました。スマホを手放した左手を布団から顕にした。何だかプロポーズみたいだ。告白して左手を差し出すのに、よく似ている。


「良いよ。でも、これじゃあ会話できないな」


それで良い。言葉なんて、もういらない。溶けている脳みそには、これが一番だ。

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