knock knock
「リア、仕事なんかしなくていい」
という貴方からのメモ書きを、僕は丁寧に額縁に入れて、部屋に目立つように飾った。何故、このような巫山戯た真似をするかというと、この文章が僕のクズさを保障して、その保証書として、僕が失敗した場合、貴方が責任を負ってくれる気がするからだ。その安心感が僕をちょっぴり挑戦的にさせて、僕はスキップしながらドアを開けた。
「リア、部屋に入るときはノックくらいしようか」
貴方の落ち着いた、嵐の前の静けさを感じるような声。その声の音源は、ボスのキングサイズの高級ベッドから聞こえてきて、ベッドの上で四つん這いになっている不恰好な貴方が目に入る。何をやっているのか、なんて好奇心は圧殺して、すいませんでした、と踵を返し、ノックを三回してまたドアを開けた。僕はノックまでもスキップした愚かな人間です。という憤怒を表現するように、手の甲を痛めつけた。
「お取り込み中失礼します、貴方にお話があり参りました」
貴方と目を合わせるのを避けるように、僕は視線を地面に向ける。僕の冷や汗がこのカーペットを濡らしてしまったら、とこれはこれで気が気ではないのだが。
「リア、君の可愛い顔を見せておくれ。それと、誤解を招くような、その言い方はやめなね」
カジュアルな口調と不敵な笑みで僕に暗示をかけるように、今後一切、そんな言い草はさせない、という封印の御札で僕の口に蓋をした。僕は貴方のマリオネット。
「Yes, sir.」
指先まで敬意を込めた敬礼を僕が見せると、貴方はまるで漫才を見ているかのように、吹き出して笑った。
「ふふっ、ふざけてるつもりはないんだよね?」
と言うと、貴方は自分の言葉にツボったのか、さらに笑った。
「なっ!?滅相もございません」
敬礼する手が痙攣したように震えた。掴みどころのない貴方をこんな手では掴めるはずもない。
「それで話って?その頬の傷のことかな?」
僕の手の震えを抑えるように、貴方は手を指と指とを絡めて繋いで、魅惑的に僕に溶け込んで付け入れて、その傷跡を誘拐しようとする。
「いえ、消さないでくださいよ?」
さらに貴方が見やすいように、見せ付けるように、僕は左側へと目線を流す。と、僕の意図を汲み取ったのか、誤解を解いておきたかったのか、「気になるのかい?」なんて、僕の好奇心をくすぶる。
「サタが、体調を崩してしまってね……」
瞬時に曇った目には、直面している事実が写っているようで、でもその完璧さが隙のなさが余計に訝しくて、この人のペースに飲み込まれないように、一つ、歪んだことでも携えておこう。何故、貴方の部屋に貴方のベッドに、サタさんが寝込んでいるんでしょうね。
「そうなんですね、それはお大事に」
って、ふてぶてしい顔して、図々しくもズカズカとベッドの方へと歩いていくと、貴方は焦ったように、起こさないでね、なんて気の利いたことを言う。確かに、そこにはサタさんが寝込んでいて、微動だにせず、人形のように、布団をかけられたまま、ただ横たわっていた。真っ直ぐな黒髪が目にかかっているのも気にせずに。
「リア、場所を変えよう」
此処では、サタさんに悪いからですか?──でも一つだけ確認させてください。
長めの前髪をはらって、彼のおでこに手を当てる。無機質を感じられる冷たさがそこにはあった。呼吸音も聴こえない、不自然さがどんどんと際立っていき、ゾワっとした、身震い。
「……死んでるんですか?」
懐疑心が最高潮のまま、貴方を睨みつけ、けれども潤んだ目で、そんなことを口にしてしまった。
「悪魔は不死身だよ、また生き返るさ。それまでは休ませてあげよう」
温厚な貴方はその慈しみで僕の所感を塗り替えようと覆い隠そうと、僕を後ろから包み込み、獲物を捕らえたかのように、ハグした僕をサタさんから引き剥がして離さない。逃げたくたって、貴方には敵わない。腕の中で海上へと引き揚げられた魚のように、必死こいた不恰好さで抵抗しようとも、隙を狙って、貴方は僕の耳にかぶりつく。……鋭い、呼吸が乱れる痛み。軟骨に穴が開いてしまったのだろう、耳の縁を伝って温かいものが流れていく。
「はあ、はあ、はあ……」
呼吸をするのが精一杯で、何が起きたのか、何をされたのか、事実はわかっているのだけれど、目を白黒させてしまった。そして、さらにギューッと締めつけられるように抱きしめられた。
「リア、ごめんね。君が暴れるから、つい……」
泣き付くように僕の肩に顔を埋めて、か細い声で言い訳と釈明がセットの謝罪をされた。
「もういいです、もういいですから、離してください」
こんな情けなさを晒す貴方がだんだんと嫌になってきて、呆れてきて、他人に触られるのが苦手なのも重なって、うんざりとした表情を全面に出しながら、鬱憤を晴らすように言い放った。
瞬間、時計が動きを止める。貴方の体温体重息遣いだけを感じて立ち尽くす。僕の心臓が傷んでくる。
「……ああ、わかったよ」
僕を十分に味わった(?)後に、まだ名残惜しそうに、徐ろに手を動かして、僕から一歩、二歩後ろへと距離を置く貴方の革靴の音。
「ボス、銃の使い方を教えてくれませんか?そのために今日は貴方に会いに来たんですよ?」
くるっと振り返って、引き攣った笑顔でぶりっ子して、震える手を手遊びで誤魔化した。貴方はさっきまでの情けなさを全く感じさせない、コンシェルジュのように、気品溢れる穏やかな微笑みを見せる。
「ふふっ、私を弄ぶのは楽しいかい?」
「いえ、そんな、弄んでなんか……」
ただぶりっ子しておねだりしただけだから、……やったな、うん、自省して、自制しよ。
「冗談だよ。君の望みだ。無論、教えるに決まってるじゃないか」
その視線に僕は撃ち抜かれたように、しばらく愛想笑いをしたまま動けなかった。
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