第20話永禄三年のフットボール



十一月半ばの晴れた日に氏真の戴冠式は滞りなく行われた。

今川家中以外にも北条とその傘下や武田長尾斎藤に坂東諸将と参列者は多かったので街頭での警備誘導にも苦労があったらしい。


「すごい人出だ」


戴冠式の前日に俺と氏真は街頭視察に出ると、虚無僧姿の氏真が天蓋笠の向こうで驚きの声を上げた。

それに対して俺は答える。


「だがお蔭で都市計画の問題点が浮き彫りになった」


他家のお偉いさんが来るということは護衛の武官やら事務官やらが大勢ついて来るわけだから、宿舎の手配が大変な上に滞在中の食費などはこっち持ち。

それから人出を当て込んだ露天商に見物客とスリやかっぱらいでごった返せば動線の欠陥などが洗い出されてしまう。

それらを見るために外に出てみたらすごいことになっていた。


「そう考えると江戸ってすごい都市だったんだな……」


「どうした、太郎?」


「大したことじゃない。気にしないでくれ氏真」



「氏真、今よりお前に全権を引き渡す」


義元のおっさんが今川家宝の赤鳥で作ったマントを両手で抱えて氏真に呼びかける。

父の呼びかけに応えて氏真が平伏すると、義元のおっさんは氏真の両肩にマント掛けて宣言する――これで今川家の全権は氏真に移ったと。

そしてマントを羽織った氏真が京と伊勢、不二の山などを遥拝して、皇祖皇宗の御神霊から今川家先祖、それから駿河遠江伊豆の三州に誓うという式次第だった。

客の俺は個人的な事情から、式の前後を含めて裏方に回って表には顔を出さないでおく。


臨済寺での戴冠式が終わると城の練兵場に移動して、俺と氏真は裏のメインイベントに備えた。

漁網を使った木製のゴールと観戦スタンドが設えられた練兵場は簡易ではあるがサッカー場の体裁が調えられている。

今からエキジビションではあるが、今川家中の選抜選手同士による紅白戦をお披露目するのだ。

期待と興奮に打ち震える氏真はぶるぶる震える体のままウォームアップを始めた。

それを見て他のチームメンバーもそれぞれにストレッチなどを行いだす。


「さて、行くか」


入念に体を温めて俺が呼びかけると氏真が呼応した。


「皆、この紅白戦は観客との勝負だ。全員で勝つ!」


「おおっ!!」


この試合で蹴鞠狂いとの世評を覆してサッカーバカと評されねばならない氏真が気合を入れて、俺達はプレーフィールドに出る。

観客席から冷ややかな視線と無関心を浴びせられる中で笛が鳴った。




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試合開始当初はさしたる関心もなかった武田典厩信繁だったが、視線はすぐにピッチへと釘付けになる。

兄、信玄の名代としてお義理で蹴鞠狂いの襲名式に出席するだけのことだと思って静岡にきた。

南蛮式蹴鞠といっても所詮は蹴鞠、お公家さんのお遊びだろうと高を括っていたら見事に裏切られたことを実感して、解説役に付いた今川家家臣団による解説に熱心に耳を傾けていく。



「弾正、これは……!?」


驚きのあまり、隣に控えた真田弾正幸綱に信繁は問う。

弾正は食い入るようにピッチを見詰めながら言葉を選んで答えた。


「これは……まさに……いくさにござりますな……」


「そう思うか弾正」


「はい。典厩様」



「むぅ……これはいくさの調練に使える……」


その時、少し離れた席で観戦していた長尾景虎が随行する直江景綱に興奮のまま問い掛けると、隣席から予期せぬ答えがある。


「左様でございますな。

 足軽、兵はいくさ場では走り続けねば命がない。

 しかも駆け続けながら周りを見て配下に正しき指図をせねばならぬ。

 これでいくさ場での動きを鍛えられるでしょう」


「うむ。然りだ……と、私は越後の長尾平三。其方は?」


「私は美濃の一色治部大輔が臣、竹中半兵衛にございます」


そんなやりとりを交わす二人を遠目に見ながら真田弾正幸綱は思う。


――流石は越後の軍神、侮れぬと。


一方、配下の諸将を引き連れ観戦していた北条氏康はというと、サッカーがもたらす波及効果について考えていた。


「およそ勝負勘というものは生き死にの中でしか鍛えられぬものだが、これはその鍛錬とならぬだろうか?」


「御本城様の申される通りでございます。これは我らも取り入れるべきかと」


「そう思うか? 小太郎」


「はい。是非にも」


こうして名の有る大名家が衝撃を受けている時に、庶民に紛れ込んで観戦している男が居た。

その名を常陸の小田讃岐守氏治という。

腹心ともいうべき菅谷摂津守政貞を伴い、宿敵たる後北条の同盟者今川家の行く末を探りに来ていた。


「むぅ。蹴鞠狂いに代替わりと聞いていたがこれは……」


サッカーのルールは分からないものの、選手の動きから意味を読み取った政貞はうめく。


「おう、政貞。これはなんとも面白きものよ。俺もやりたくなってきたわ」


「殿、お声が大きうございますぞ」


瞳を輝かせて無邪気に興奮する氏治に政貞が諫言するが、試合に夢中の氏治の耳には入らない。

そんな氏治を見てやれやれと思う政貞ではあったが、同時に「これが我が殿の愛らしきところよ」などと思ってもいた。

氏治はこの時、二十六歳なのだが、それだけ慕われているということなのだろう。


試合は氏真率いる白組が太郎の紅組に勝利を収めた。

終了の笛と共にノーサイドで健闘を称え合う姿に長尾景虎が目を輝かせて唸る。


「敵味方は一時の夢にございます」


感嘆していることに気付いて応接役の小姓がそう告げると何やら感じ入った様子の長尾景虎。

無言のままピッチを見詰め続ける姿からは今あった試合を反芻していることが窺われた。


ざわめきがおさまらない。


興奮が冷めやらぬ諸将の熱気が消えぬ中、大急ぎで着替えた氏真がピッチに再び姿を見せた。


「お集まりの皆々様方。これが代替わりした今川家。

 我ら今川の望みは蹴鞠で天下を取ることに御座いまする」


この氏真の発言に万座がどよめいた。

或る者は天下取りの野望ありと受け取り、また或る者は「天下が治まらねば蹴鞠にうつつを抜かせぬ」との意志表示であると認識する。

だが、長尾景虎、武田信繁、真田幸綱、北条氏康らは違った。

今川家からのメッセージを正しく受け取っていたのである。

言外に氏真は言っていた。


――誰が天下を取っても関係ない。だが、サッカーの世界では今川が天下を取る。


戴冠式の式次第や試合中、試合後の氏真の様子や言動から、彼らは正しくその意図を読み取っていた。


――駿河、遠江、伊豆の三州には手を出すな。と。


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