第8話女騎士アンジェリーク



取り敢えずお市が俺の後ろからついて来ることにはなった。

何も言わず、無言で、俺をじっと見つめてではあるが。

そして俺は気にしないことにした。

女一人の必殺剣など、どうということはない。

死ぬときは誰でも呆気なく死ぬだけだ。



「うっ」


小屋を出るなりお市は呻いた。

眩しそうに眼をすぼめて右手を太陽にかざす。


「お前のその碧の眼は明るさに弱い。明るさが目に入ると痛みを感じるだろう?

 南蛮人の碧い目はそういう特徴を持つ。だが、その眼は逆に暗い所のものが良く見える。

 昼間は居眠りするように半眼でいるがいい」


「この痛みもお前の所為か……」


俺がお市にそう教えると、お市は露骨に嫌な顔をした。

だが、これは嘘ではない。

瞳の色素が薄くなると光に対する耐性が落ちて明るい光には痛みを感じるようになる。

欧米人がサングラスを使うのはファッションではなく健康上の必要性によるものだ。

日本人でも瞳の色素が薄い者はサングラスを必須とするのもこれに同じ。

瞳の色の薄さは暗視能力を向上させるがこれは両刃の剣でもあるのだ。


夏のまぶしい日差しが目に入ってひどく辛そうなお市は半眼のまま歩き出した。

俺は背後からついてくるお市に目をやって尾張へ向かう。

織田の領内を通って帰るが大丈夫だろうと俺は踏んだ。

最早、お市は肉体改造でエルフの姫騎士にしか見えない体だし、俺が黒騎士だとは知られてはいない。

博多の商人が全身鎧の南蛮人女騎士を護衛に連れていると思われるだけだろう。


そんなことから旅の行商人になりすました俺はお市を引き連れて織田の領内を抜けようとしていた。

お市も分別があるようで、自分がお市だと触れ回ったりはしていない。

もしもそんなことをすれば乱心した南蛮女としか思われないのを十分に承知しているようだ。

この調子ならばお市も馬鹿な真似をするまいと、気を抜いて歩いていると津島湊から道は熱田に入った。


熱田の門前町は大層な賑わいで、これが信長率いる織田家の心臓部かという思いを新たにする。


――これならばもう少し信長はいぢめておくべきじゃないだろうか?


そんな想いに俺は駆られた。



「藤吉郎!」


お市がいきなり大声を出して駆け出す。

何事かと見ていると、お市はネズミのような小男に向かって必死で話しかけていた。


「藤吉郎! 私だ」


「は、はぁ……。あの、どなた様でしょうか」


「私だ、分からないのか!? 藤吉郎!」


お市は期待に満ちた声で小男に呼びかけるが藤吉郎とよばれた小男は困惑顔のまま固まっている。

その様子を見て何かに気が付いたお市はプレートアーマーのヘルメットを脱いで、頭を左右に軽く振ると、その素顔を藤吉郎に晒して見せた。

軽くウェーブの掛かった金髪のブロンドヘアーが風にたなびいてそよぐ。

その光景を見てぼうっとなった藤吉郎を、お市はその碧の眼で見つめ、祈るように呼び掛ける。


「藤吉郎! 私だ。分かるか? 私だ!」


「……誰か人違いじゃないですかね? うちには南蛮人の知り合いはおりませぬが」


まるで不審者を見るような目で藤吉郎がお市を見ると、お市はがっくりとうなだれた。

地面に鎧の膝当てがめり込んでじゃりっと音を立てる。


……ここいらが潮時か。

そう判断した俺はお市と藤吉郎の間に割って入ると、お市の代わりに頭を下げた。


「お侍様、供の者に成り代わりましてご無礼をお詫びいたします」


「ほうか。心の病はたいがいじゃから気をつけにゃあな」


こちらを気にしつつも、藤吉郎は去って行く。

その去り行く姿を視界に収めながら俺はお市に聞いた。


「藤吉郎っていうと、木下藤吉郎か?」


「……そうだ」


心ここにあらずといった風情でお市が口を開く。

見かねて俺はお市の腕を取ると無理矢理に立ち上がらせて耳に息を吹き込んだ。


「これでよくわかっただろう。

 もう、お前がお市であることに気付く者などどこにもいないのだ」


「……っ」


「お前はもう、お市などではない。

 だから俺がお前に新たな名をくれてやろう。

 新しいお前の名はアンジェリーク。

 お前は南蛮からやってきた、耳長人エルフの女騎士アンジェリークだ」


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