第20話 優しいアーキさん


「アーキさん、ちょっと相談があるんですが」

「ああ、いいよ。ちょうど空いたところだしね」


 お客さんの波が引いた頃を見計らって、アーキさんに声をかける。

 振り返った笑顔に安堵する自分に、ほんの少し驚いた。

 アーキさんは見た目がオーガ……圧倒的体格とかろうじて女性とわかる服。

 鋭い牙を持つ二メートル越えの魔人。

 コバルト王国では、オーガは魔物のくくりに属する。

 けれどドルディアル共和国では、オーガを魔人の括りにしているそうだ。

 確かに、会話が成り立つ知性があるのだから魔物ではないだろう。

 最初こそ不思議だったこの違いだけれど、先程ルイさんに話を聞いて合点がいった。

 コバルト王国では、そうして魔人族に属する人たちを一部、“魔物”として“討伐”しているのだ。

 魔物の討伐ならば戦争で一方的に襲わなくとも、『魔物』を倒すだけだもの、心が痛まない。

 なんというか、コバルト王国の自分本位っぷりが明確に浮き出てるみたいで気持ち悪いわよね。


「で、ルイと話してなにか変わったかい?」 「はい。色々……」

「うんうん。だろうだろう。あいつ、人間にしてはいい男みたいだからね」

「はい? はい?」


 否定はしないけれど、うんうんとなにかを納得したように頷いて……どうしたんだろうか。


「で、今後のことは話し合えたかい?」

「それなんですが、ルイさんのお家でカフェができたらと思って」

「カフェ? カフェってなんだい?」

「カフェをご存じでない!?」

「ごめんね。人間の国にあるものかい?」


 そこから説明しなければいけないのか。

 仕方なく、私の前世の話は伏せつつ、軽食と飲料で休憩する場所だと説明した。

 するとアーキさんは「そりゃいいね」と理解してくれる。


「ルイの“おるごーる”ってやつはどうもなにに使うのかよくわからないけど、飲み食いできる場所はありがたいね。うちはガッツリ食ってしっかり休めるように『討伐者』たちをサポートするのが仕事だからさぁ。“かふぇ”ってのは簡単な飯が食えるところなんだね? いいじゃないか!」

「そうですね……でも、『討伐者』以外の人にも——たとえばアーキさんたちにも利用してほしいです。カフェっていうのは、一人で物思いに耽る場所でもあり、お友達と楽しくお喋りして過ごす場所でもあり、サッと食べてサッと帰る場所でもあり、自宅のように寛ぐ……そう、そんな自由な場所なんです!」

「ほ、ほう?」


 少なくとも私が好むカフェってそういう場所。

 とりあえず私がカフェにどれほど憧れていたのかをアーキさんに語って聞かせる。

 語れば語るほど、私は前世の憧れを思い出していった。

 そうだ、どうして忘れていたのだろう?

 私の中にこんなにも、熱があったことに。


「っ……」

「ど、どうしたんだい!?」


 急に涙が出てきた。

 私、私……そうだ、こんなに……上京する前は、こんなにカフェに憧れを持っていたんだ。

 日々の忙しさに殺されたこの想いが、実はまだ、心の奥底に名残を残していた。

 それが、嬉しい。

 空っぽになっていた心に、熱いものが蘇る感覚。

 私、私、まだ、なにかを熱く語ることができたのね。

 好きなものを好きって言える心が……私には——!


「ぅうううううう」

「……アンタ、本当にしんどい目に遭ってきたのね……」


『自分の好きなもの』が空っぽになるほど仕事と育児にかかりきりになってたのか、と……この時初めて理解した。

 リオハルトのことは愛してる。

 必ず、必ず育て切ってみせる。

 でも、それと『自分』が空になっている事実を知ったのは別。

 知らないうちにカラカラに干上がっていた。

 それを、私は気づかなかったのだ。

 そして溢れるように“好き”を思い出して、自分がカラカラに乾いていたことも思い知って感情がバラバラ。

 涙が制御できそうにない。


「ひっ、ひっくっ」

「うんうん、わかったよ。アンタがやってみたかったことをやってごらん。アタシらがサポートしてやるからさ。大丈夫、できるよ。アンタの背中には可愛い息子と、森の賢者が乗ってるんだ。アタシらも手伝うしね。どーんと構えて! なんとかなるさ!」

「あ、アーキさん……」


 この国の人たちは、優しい。

 人間の魂の『入れ物』。

 人間は転生するために『入れ物』を破壊しなければならない。

 その『入れ物』こそこの国——ドルディアル共和国の人々。

 コバルト王国はこの国の人々を“破壊”して魂を解放しなければ赤ちゃんが生まれて来ない。

 ……リオハルトも転生者でなければ、もしかしたらこの国の人の誰かの死で、生まれてきたかもしれないのだ。

 そう思うとあまりにも……。

 けれど、私は奪う国よりこの国でこの子を育てたいと思った。

 生きていくために……私は、捨てていたものをかき集める。


「っ、それで、あの」

「うん、なんだい?」

「ルイさんにもカフェのことを相談したいんですが、ついてきてもらっていいでしょうか」

「もちろんさ!」


 多分生活に困っていた——主に家の中の片づけ——みたいだから、なんとかなる気はする。

 けれど、カフェをやるにはこの国のことを私はまだ知らなさすぎると思う。

 宿の食堂を切り盛りしているアーキさんに、食べ物については色々教わりたい。

 しかし、涙止まらず。


「今日は休んで、明日改めてルイと相談するといいさ。なぁに、あの子放っておくと変なもんばっかり食べるからね、明日もなにか作って持っていってもらおうと思ってたんだ」

「す、すみません……」

「びゃっ、ぅっ、びゃぅ」

「リ、リオハルト?」


 私がズビっと鼻を啜ると、リオハルトもぐずり出す。

 そういえばそろそろおしめを替える時間だ。

 まいったな、マチトさんにも助けてくれたお礼を言いたかったんだけど……こんな顔全体ズビズビじゃ……。


「そういえば、赤ちゃん風呂入らなくて大丈夫かい?」

「そうでした! それも言おうと思ってたんでした!」


 この国に来てからは、リオハルトのお世話をお客さんや従業員さんに任せきり。

 自分でお風呂にも入れられないダメ母のようになっていた。

 今日こそは、私がこの子をお風呂に入れます、と言おうと思っていたのに涙がまた落ちる。


「……そんなぷるぷる震えてたら湯船の中に赤ちゃんを落っことしそうで怖いよ。アンタもうほんと今日は休みな」

「うー! すみませんー!」


 背中からおんぶ紐を解いてリオハルトのをアーキさんへ預ける。

 多分、私がぼろぼろ泣いているからリオハルトも悲しい気持ちになってしまったんだろう。

 ごめんね、リオハルト。

 別に悲しいだけの涙ではないの。

 確かに、今まで自分がどれだけ捨ててきたのかを、犠牲にしてきたのかを自覚した。

 それは悲しいの。

 でも、自分の好きなものを思い出せたことは嬉しいのよ。

 ただ自分で思ってたよりもドバッとキて自分で制御できなくなっているだけで——!


「夕飯は?」

「アーキさんの作ったミートソースグラタンが食べたいですっ!」

「食欲はあっていいね!」

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