第6話 嫌悪


 都合がいいとは思いつつも、そんなことを思ってしまう。

 リオハルトは、“私の子ども”になってくれたんじゃないか、って。


「ともかく、城の者を呼んでまいります。お部屋に案内させますのでこちらでお待ちください。アンジェリカ、兄は少し離れる。ベンチに座っていなさい。勇者殿は年若い娘に狼藉は働かないでしょうから」

「えっ、いや、そりゃもちろん!」

「私なら大丈夫です。お兄様……」


 お城には初めて来た。

 それに、リオハルトも抱えているし、倒れかけたばかり。

 本当なら見知らぬ男性と私を二人きりにはしたくないのだろう。

 けれど、足元のおぼつかない私を一人置いていくのも、三人で歩いて城の者を探すことも難しいと判断したのだ。

 私のせいで、申し訳ない。

 それでもやはり心配なのか、ぎろりと強く郁夫を睨みつける。

 へらへら笑って度々振り返る兄を見送る郁夫。

 これを見ると、兄が不安がるのも無理はない。


「ねぇねぇ、この世界って魔法があるんだよな? モンスターとかいるんだよな? 君は見たことある?」

「い、いえ、私は……」

「冒険者とか冒険者ギルドとかもあるの!?」

「あ、あると聞いたことはあります……」

「くぅー! ますます漫画やアニメみたいだぜ! そういえば君なんていうの? 俺はイクオ・ヨシナっていうんだけど」

「え、ええと……」


 すごくグイグイくる。

 そして元妻だからこそわかるわ。

 この男は今、若い女の子と二人きり——正確にはリオハルトもいるから三人だけれど——で、話していることに喜んでる。

 鼻がぷくっと膨らんでいるので間違いない。

 喜んでいる時の特徴だもの。

 そしてわざわざ『イクオ・ヨシナ』と苗字と名前を逆にして名乗っているあたり……浮かれているわ……。


「そ、そうだ、イクオ様は今おいくつなんですか?」

「俺? 俺今四十!」


 それってもしかして私が死んで間もなかったりする?


「お……奥様とお子様が亡くなったとお聞きしましたけれど、いつ頃……」

「あー、一ヶ月前かな」

「っ」


 私と晴翔が死んで一ヶ月しか経ってないの?

 やっぱり【召喚】は時空が歪むのかしら?

 ……で、妻子が死んだばかりのテンションではないわよね?


「それは、おつらい時期ですね」

「あー。まーねー」


 軽……。

 反応軽すぎない?

 ちょっと本当に私と晴翔、死んで一ヶ月の郁夫?

 無理してテンションを上げて、空元気を振りまいているようにも見えない。

 へらへら笑いながら、「まさか家に帰ったら嫁と子どもが死んでるなんて思わなくてさぁ」と言い出す。

 それはそうだと思うけれど……。

 いや、それはそうだろう。

 私だって死ぬと思わなかった。

 晴翔まで巻き込んで死んでしまうなんて、悔やんでも悔やみきれない。

 唇を噛んで涙を堪える。

 今、腕の中にいるとはいえ、晴翔……苦しかっただろうな。

 ごめんね……ごめん……!!


「まあ、来年千春ちゃんと再婚予定なんだけどね」

「!」

「いやー、別れてほしいって言い出しづらかったんだけど、まさか死ぬなんてなぁ〜! あはははは……。世の中都合よくできてるもんだよね〜」

「…………」


 頭を掻きながら、笑いながら、この男はなにを言ってるんだろうと凝視した。

 郁夫は、確かに出会った頃からこういう性格だった。

 いい意味でなんでも明るく捉える。

 私は自分がとてもネガティブな人間だと自覚してたから、そんな郁夫のポジティブさに惹かれた。

 この人となら、笑いの絶えない幸せな家庭が築ける——って。

 それなのに、なに?

 どういうこと?

 なにを言われているの?

 別れるつもりだった?

 千春ちゃんって近藤さんのことよね?

 会社の、私の後輩の近藤千春ちゃん。


「…………え……ちはる、って、せ、聖女、さま?」

「そうそう」

「な、長く、おつきあい、されてるんですか……?」

「いやー? 一年くらい?」

「……え? お、奥様とお子様が亡くなられたの、一ヶ月前って……?」

「あ、やべ。あ、う、うん! ごめん間違えた! つき合って一ヶ月くらいだった!」


 体が——怒りで震えて、涙が出てきそう。

 つまり、なに?

 この人、私の妊娠中から、近藤さんと不倫してたってこと?


「……え、無理……」


 気持ち悪い。

 気持ち悪い……気持ち悪い!

 無理、無理、無理、無理!

 この男の近くに、一秒だっていたくない!


「す、すみません。私、やっぱり兄を探しに行きます。勇者様はしばらくこちらでお待ちください」

「え? 体調悪いんじゃないの? 大丈夫?」

「はい。ご心配ありがとうございます」


 この瞬間ほど、侯爵令嬢として教育を受けたことを無駄ではなかった、と思ったとこはないかもしれない。

 笑顔を貼りつけてリオハルトを抱いたまま立ち上がり、城の通路へ向かう。

 さすがに一人残されては困る、と言わんばかりに郁夫が後ろからついてきたけれど、あなたと一緒にいたくないんだってば!


「勇者様はあちらのベンチでお待ちください」

「いや、でも」

「お待ちください」


 強く言葉にすると、後ろから「アンジェリカ」とお兄様の声がした。

 振り返ると使用人を連れて、お兄様が駆け足で近づいてきてくださる。


「お兄様」

「お待たせしました、勇者様」

「お迎えが遅れて申し訳ございません! すぐにお部屋にご案内いたします!」

「あ……」


 改めて郁夫——勇者に頭を下げて、私はお兄様と家に帰った。

 もう二度と、あの男の顔を見たくない。

 馬車の中でずっと怒っていた私に、お父様すら珍しく気まずそうな顔をしていた。

 おそらく前世と今世あわせても、私はこの時ほど腹を立てていたことはないだろう。

 そして、これよりも腹の立つことは……多分、生涯ないと思う。

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