第50話

「……よう、久しぶりだな」


 生里は粘り気のある笑みを俺達に向けた。

 執着と怒りで作られた笑顔。プライドの高い生里の、その表情はそこはかとなく不気味だった。


「生里……!!」


 俺はアカネを後ろに下がるようにと、アカネの前に手を出すが――効果はなかった。

 俺の手を払いのけ、前に出る。そして、一度は敗北した父を挑発するように指差した。


「何しに来たんだ、負け犬! いや、お前は蛾の能力だから「負け蛾」か? どっちでもいいけど、さっさと汚い羽根で飛んで逃げたらどうだ!!」


 アカネは強気に笑う。

 どうやら、アカネは知らないようだ。

 生里が同じ相手に二度負けないと称される人間であることを……。


「……俺がお前達に負けたかやってみるか?」


「はぁ。一度負けたのに、しつこく挑むとか私が一番嫌いなタイプだよ」

 

 アカネは俺の時間貯蓄と、ダメージを引き受け、まとめて返す自分の【魔能力】があれば、生里には負けないと思っているようだ。


「アカネ!!」


 生里の噂を知る俺は、アカネの名を呼び強引に背に移動させる。

 チラリと俺は視界の隅へ意識を向け、貯蓄している時間を確認する。


 99:99:99


 数字は俺が貯蓄できる再上限に達していた。

 なぜなら、先日の絵本えもとのように、俺が時間を使わなくて良いように仲間たちが戦いを引き受けてくれているから。

 因みに、俺達の中で一番戦っているのは阿散さん。彼女の場合は俺に力を使わせないためでなく、自分が戦いたいがために、戦闘を勝ってでるのだ。


「どちらにせよ、今、この場には頼りになる仲間は居ないんだ」


 俺がやるしかない。

 仲間を求める思いが態度に出てしまったのか。俺の希望を砕くことが楽しくて仕方がないと、生里が口を開いた。


「言っておくが、仲間はこないぜ? 俺の手下達が命張って足止めしてるからなぁ」


「……」


 生里は銀の管轄に足を踏み入れるに当たり念入りに準備をしてきているようだ。

 アカネが俺に「皆、大丈夫だよね?」と服を掴んだ。


「ああ。絵本えもと達なら大丈夫だ」


 俺は絵本えもと達が負けるとは思っていない。だが、恐らく赤の群衆クラスタは勝とうとも思っていない。

 その証拠に生里は「足止め」と言った。

 勝敗を度外視した時間稼ぎ。

 生里は俺とアカネを倒すことしか考えていないのだ。

 クレイジーにクレイバー。そうなった相手ほと厄介なことはない。


「……戦うしかないか」


 生里は俺達に復讐するためにやってきた。話し合いで穏便になど、考えられるほどの甘さは俺にもない。

 戦う覚悟を決め、時間を加速させる。

 生里の意地の悪い笑みが固まる。俺はその頬目掛けて拳を突き出す。まだ、変化もしていない状態ならば、一撃で勝負を決めれるはずだ!

 だが、俺の拳が届く直前。

 生里の動きが加速した。


「馬鹿が!」


 蛾に変化した生里が、俺に糸を吐いた。全身に巻き付く糸に絡めとられた俺は、生里の前に転がる。

 身動きの取れぬ俺を見下すと、サッカーボールのように顔面を蹴り飛ばした。

 糸に縛られたまま地面を転がる。

 壁にぶつかった俺にアカネが駆け寄った。


「……なんで」


 俺は攻撃を受けたことよりも、自分の視界に数字が浮かんでいないことに愕然とする。この時代に来てから常に表示されていた貯蓄の時間が、どこにもなくなっていた。

 これまでにも、加速した時間が破られたことはあったが、数字が消えることはなかった。


「馬鹿な……」


 例え、隙を作っても時間を貯蓄し直せば――。だが、やはり視界に数字は表れない。

 何が起きたんだと糸から脱却しながら立ち上がる俺を生里が笑う。


「あれ、ひょっとして、能力が発動しなくて戸惑ってる? はーはっは。特別に教えてやるよ。これが俺の――もう一つの【魔能力】だよ!!」


 生里は笑いながら腕を俺に向ける。たった、それだけで身体が何倍にも重くなる。服が泥水を含んだかのように重い。立っているのがやっとだ。

 そして、それはアカネも同じようで、「うう……」と、膝を付いたまま必死に重さと戦っていた。


「もう一つの――【魔能力】?」


 馬鹿な。

 生里の【魔能力】は蛾の力を身に宿すこと。現に今だってその姿になっている。まさか、その他にも【魔能力】を持っているというのか?


「そうだ。俺はお前らと違って選ばれた人間の中でも、更に選ばれた人間だ。【魔能力】を二個持ってるんだからなぁ」


「……そ、そんなこと出来るの?」


 一人の人間が【魔能力】を二つ持つこと。

 この時代を生きていたアカネも知らぬのか。生里が膝を付いた姿勢で重さと戦う俺達の間を、ゆっくりと歩く。

 手を伸ばせば届くのに、それすら出来ないほど身体が重い……。


「ああ、出来たね。普通の人間には無理だけどな。ま、簡単に言えば俺は選ばれた人間――主人公なんだよ」


 一度、敗北した相手には負けない。確かにそれは俺が『特訓』で見てきた漫画の主人公たちと同じだった。

 俺の目線に合わせるように、腰を下ろして頬を掴む。


「ま、発動条件が一度、その相手に負けることってのが、不便だけどな」


 生里は俺の頭を踏みつける。固い地面が頬を打ち、口内が血の味で満ちる。


「俺の真の【魔能力】は、一度負けた相手の力を抑制することだ!」


 相手の【魔能力】どころか、身体の力をも奪う。そして、力をマイナスされた俺達と違い、自分は昆虫の力でプラスする。

 圧倒的に開いた差こそ――生里が求める力か。

 こんなの――どう足掻いても勝てる訳がない。


「これが、同じ相手に二度負けない……」


 俺が思っているよりも、理不尽な力だった。銀の管轄を良くすることに目を向け、生里の復讐から逃げていた。

 もっと、早くに行動を起こしていれば……。

 倒れた身体を起こすが、膝を付くことが限界だった。自分の身体が嘘のように重くて立ち上がれない。荒れた海の中を、重石を担いで泳がされているようだ。

 膝を付き頭を垂れる俺達は、王に忠誠を誓う奴隷。


「さーてと、どうやって殺そうかなぁ」


 能力も使えず動くことすら出来ない。

 俺は必死に思考を続けるが、どう頑張っても打破する糸口が掴めなかった。

 腰を曲げた俺の上に座る生里。

 強化されているはずの肉体が、生里一人の体重も支えられなかった。腹から地面に落ちる。力を込めた両手は転がる小石を掴む腕力はなく、震える指先が砂利を感じるに留めた。


「くそ……」


 勝てないのであれば、せめて、時間が稼げれば……。

 そうすれば、誰かが絶対に助けに来てくれる。そんな俺の希望を読み取ったのか、俺の背中に尻を付けた生里が、「そうだ」とわざとらしく手を叩く。


「お前が俺を楽しませてくれたら、その間は殺さないでいてやるよ」


 生里が自分を楽しませる対象として選んだのは――アカネ。

 自分の娘を指差した。


「た、楽しませる……?」


「そうだ。俺はお前らと違って器がデカいからな。直ぐに勝負を付けたりはしないのさ」


 口ではそう言っているが、俺達に負けたことは悔しいのだろう。俺の背に座りながらも、右手で髪を掴むと、ガンガンと顔を地面に打ち付ける。顎が固い土に触れ、脳内を二つに裂くように雷が走る。


「が、がは……」


 そんな俺の姿も、アカネの背を押すきっかけになってしまったのか。


「何をすればいいの?」


 と、自ら行為を生里に問うた。

 ペチャリ。

 踏みつけられて顔が見えなくても分かる舌舐めずりの音。不快感に背筋が寒くなる。震えた俺の頭をもう一度地面に叩きつけた。


「何って、お前は助かるために何ができる?」


「私に出来ること?」 


「そうだ。こいつを、こいつを、こいつを! こいつを!! 助けるためにお前はどこまでならできる!」


 生里は叫びながら、俺の手足に口から糸を吐く。糸が巻き付くだけならば痛くもなんともない。だが、俺の手足首に巻き付いた糸には毒が練り込まれていたのか。皮膚に食い込むように巻き付いた糸が振れた部位を溶かしていく。

 皮膚は溶け、肉を焼く。


「がァっ!!」


「銅次!!」


 生里によって負荷を掛けられているアカネは声を出し、手を伸ばすことが精一杯の抵抗だった。


「さぁー、どうする? お前が悩めば、こいつの手足が千切れるぜ? それとも、千切れた傷も自分が引き受けるのかぁ?」


「なんでも!! なんでもしますから、どうか、命だけは助けてはくれませんか?」


 涙を浮かべてアカネは言う。

 自分を捨てた父への懇願。

 母を殺した復讐すべき相手に遊ばれる屈辱。


「は~はっはっは」


 生里はこれこそが自分がいるべき空間だと笑う。

 一度負けた相手が、這いつくばり命を乞う。それほど気持ちのいいことはないと、笑い続けた。何度も自分の力に酔いしれた生里は、唐突に笑みを消すと――、


「脱げ」


 アカネに指示を出した。

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