第26話 救世主様


「君のおぞましい欲望は強すぎる。婚約者の妹に、それも子供相手に、君が何を言い、何をしようとしていたか。……この場での出来事が全て見えてしまう私に対して、まだ嘘を重ねるつもりか?」


 ……あ、セレイス様が青ざめたのは、嘘がバレているからなの?

 そういえばお兄さん、強烈な残留思念は「聞こえる」って言っていたな。行動まで見えたりするんですか。ふーん、すごいな……。


 ……ん?

 今、「この場での出来事が見える」と言った気がする。

 場に残る過去が見えるというと……もしかして、過去視と言うやつでは……。

 井戸に向けて叫ぶ私が見えたのも、そういう能力だったの?


 少し落ち着こう。

 お兄さんは、ノルワーズ公爵閣下と呼ばれていた。

 王都に来る前の勉強で「ノルワーズ公爵」の名前も覚えさせられた。私の記憶違いでなければ、王族公爵様だ。

 お兄さんが、王族。

 ……ああ、うん、それっぽいよね。大金持ちなはずだ。

 は、ははは……。


 少し前までの絶体絶命の状況を忘れてしまいそうだ。今までの自分の態度を思い出すと、たらりと背中を冷たい汗が落ちていく。

 密かに青ざめている前で、公爵閣下と一緒にバルコニーにやってきた人たちが表情を変えてひそひそと囁き始めていた。

 こちらはセレイス様のクズ行為が原因だろう。




「リリー!」


 バルコニーに駆け込んできたのは、オクタヴィアお姉様だった。少し青ざめた顔が、私と目が合った途端に少し緩んだ。


「お姉様……」

「こんなところにいたのね。探していたのよ」


 お姉様は息が乱れ、髪が少しほつれて頬に張り付いていた。

 いつも身なりに気を遣うお姉様にしては珍しい。

 ほっとしているのに泣き出しそうな紫色の目を見ていると、ガチガチに固まっていた体から緊張が解けていくのを感じた。


 周囲からは興味本位の視線が集まった。

 でもお姉様は全く気にせずに、私をぎゅっと抱きしめてくれた。それから私を守るように前に立ち、公爵閣下なお兄さんにきりりとした強い目を向けた。


「閣下。リリーは私の妹です。何かあったのでしょうか」

「……君はアズトール伯爵の後継者だな。名はオクタヴィアだったか」


 おや。お兄さん、お姉様の名前を知っていたんですね!

 おかげで周囲の目がぐっと好意的になりましたよ。なんていい人だっ!


「オクタヴィア嬢。もし君が私の身内なら、間違いなく婚約は解消させるだろう。そこの下劣な男が、本当に君の婚約者ならば」

「……なぜ、そのようなことをおっしゃるのでしょうか」

「妹に聞け。口にするのもおぞましい」


 公爵閣下は吐き捨てるようにそう言って、興味を失ったように背を向けた。

 オクタヴィアお姉様は顔を強張らせて私を見た。

 さっとドレスを見た気がする。幸い、お姉様を心配させるような乱れはないはず。顔の表情も、もう深刻さはないと思う。

 今青ざめているのは、お兄さんのせいだからね!


 そこへ、顔色を変えたゼンフィール侯爵も駆けつけてきた。すでに簡単にあらましを聞いているのか、不機嫌そうな閣下を見て青ざめていた。


「愚息が、何やら閣下を大変にご不快にさせてしまったようで……!」

「不快どころでないな。ゼンフィール侯爵。通常なら家庭の問題に踏み込むことはしないが、子息のおぞましい欲望を目にしてしまったからには黙って見過ごす気にもなれない。……相応の対応を期待する」

「そ、それは……」

「それとも、ゼンフィール侯爵家では、婚約者の妹に言い寄ることを良しとするのか、聞きたい。それも、あのような子供相手に」


 ゼンフィール侯爵の結構整ったお顔は、さらに青ざめた。

 もしかしたら、セレイス様のことは何と無く察していたことがあったのかもしれない。

 ……気付いていたのなら、しっかり見張って押さえ込んでくださいよっ!

 いや、今はそこは保留でもいい。もっと重要なことがある。興味を失ったように背を向けたノルワーズ公爵閣下を呼び止めねば!


「閣下!」


 公爵閣下は足を止めてくれた。

 でも振り返った顔はいかにも嫌そうに見える。なぜ?


 でも、私がお姉様の制止を振り切って駆け寄ると、ひそひそ囁き合いながら見ていた取り巻きを追い払ってくれた。もちろん青ざめたゼンフィール侯爵親子も。

 手を動かしただけで、全員いなくなるなんて、さすが権力者は違う。


 バルコニーには、私とお姉様と閣下の三人だけになった。出入り口の近くには帯剣した人が何人か立っているけれど、たぶん閣下の護衛だし、離れているので気にしない。


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