第42話 四女はエッチな悪魔ちゃん⑥


 僕は美月ちゃんの手を引いて、通学路を自宅に向かって歩いていく。


「…………」


 美月ちゃんは無言。無表情。瞳はぼんやりと前方を真っすぐ見つめている。

 ただ、右手はしっかりと僕の手を握りしめており、どことなく上機嫌な様子が伝わってくる。

 僕と一緒に小学校から帰宅するという珍しい状況を、美月ちゃんなりに楽しんでいるのかもしれない。


「そういえば……今日は華音姉さんも飛鳥姉も留守だったね。晩ご飯は何が食べたい? 外食でもいいよ?」


 華音姉さんと飛鳥姉。大人勢が留守にしており、今日の日下部家は高・中・小の未成年者3人だけ。

 華音姉さんから夕飯代は預かっている。外食か、あるいは何か買って帰るつもりだ。


「んんっ……」


 美月ちゃんが考え込むように視線をさまよわせる。

 ぼんやりとした眼差しだったが……そこには不思議と真剣な色が混じっていた。

 たっぷり3分程無言で考え込み、やがて答えをひねり出す。


「お寿司…………回らないお店の」


「容赦ないな! いや、いくらでもいいけどさあ!」


 華音姉さんから預かっている夕飯代だけでは回らない寿司はきつい。

 だが、今の僕の預金残高は100億円。勇者として魔王を倒した報酬がほぼ手付かずで残っている。その気になれば、寿司屋を店ごと買い取ることだってできるだろう。


「確か、駅前に高級そうなお寿司屋さんがあったよね? 風夏にも連絡して、アッチで合流しよう。後から飛鳥姉が羨ましがりそうだね」


「ん……」


「ああ、問題ないよ。臨時収入があったからデザートだって好きなだけ食べていい。お兄ちゃんに存分に甘えなさい」


「ん、好き。大好き」


 美月ちゃんがムギューッと抱き着いてきた。


「おっふ……」


 冗談で言ったつもりなのだが、本気で甘えてきた。

 超絶美少女に『大好き』と言われてハグされてしまった。わりと理性が崩れそうな状況である。


「……お願いだから、僕以外にそんなことをしないでくれよ。ロリに目覚めそうになったじゃないか」


「ん……好き」


「ありがとう……あー、こんな所を見られたら通報されちゃうよ。さっさと風夏に連絡をとって……ん?」


 駅前に向けて路地を曲がった僕達だったが……進んだ道の真ん中に人影が立っている。

 そこにいたのはウチの高校の学生服を男子生徒が2人。名前はわからないが、不思議と見覚えがあった。


「あ……」


 思い出した。

 コイツらはさっき校舎の裏庭で月白さんを強引にナンパしていた3人組の2人だ。1人が何処に行ったのかは知らないが。

 まさかとは思うが……僕にやられた仕返しをするために追いかけてきたのだろうか?


「……お前、さっき俺を殴ったよな?」


 2人の不良――その真ん中にいた男が口を開く。


「……何のことかな? 誰かと間違えてない?」


 答えながら、「ありえない」と心の中でつぶやく。

 相手が自分を認識するよりも先に、顎を強打して気絶させたはずである。仮に僕の姿を見ていたとしても、脳を揺らした衝撃で直前の記憶など吹き飛んでいるはず。


「お前だ……お前に、ちがいねえ……」


「間違いない、まちがいない、マチガイナイ……」


「ちがいねえ、ちがいねえ、ちがいねえちがいねえちがいねえちがいねえ……」


「コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス……」


「コイツら……クスリでも決めてるのか?」


 2人の不良は瞳の焦点が合っていなかった。僕を見ているようでありながら、虚ろな眼差しは何も映していないようだ。

 明らかに様子がおかしい。異世界にいた頃に薬物中毒になった人間を見たことがあるが、まさにこんな感じだった。


「よりにもよって美月ちゃんと一緒の時に……!」


 僕は美月ちゃんを自分の背中で庇うようにする。

 彼らがどうしてこんな不気味な有様になったのかは知らないが……美月ちゃんをこちらの事情に巻き込んでしまった。

 月白さんには申し訳ないが、俺は手を出さずに適当に先生に報告しておけば良かったとすら思ってしまう。


「美月ちゃん、下がってて。危ないと思ったら僕を置いて逃げていいから。どこでもいいから、近くの家かお店に逃げ込むんだよ?」


「ん……気をつけて」


 コクリと頷いた美月ちゃんをその場に残して、僕は2人の不良の前に出た。

 その気になれば、美月ちゃんの身体を抱きかかえてここから逃げることくらい超簡単。

 だが……目の前にいる不良らは僕のことを狙っている。そして、僕と美月ちゃんが一緒にいる場面を見られていた。

 つまり、僕がいない場所で美月ちゃんが狙われるという可能性が生まれてしまったことになる。


「この不良達はここで潰す。そんでもって警察に引き渡す。まあ、どう考えてもまともそうじゃないし……あとは適当にどうにかしてくれるだろう」


 そういうわけで……僕は前に飛び出した。

 2人の不良の真ん中を通り抜け、両手で左右の不良それぞれにラリアットを決める。


「グゲッ!」


「ガハッ!」


「はい、おしまい」


 2人の不良が道路に倒れる。間違いなく決まった。殺すほどではないが、しばらく起きることはできないはず。

 しかし……


「ぐ、が……よくも、よくも……」


「コロスコロスコロスコロスコロス……」


「……マジかよ。冗談でしょ?」


 ありえない。

 魔族やモンスターであればまだしも、ただの人間……それも格闘家や軍人でもない素人が、この一撃を受けて立ち上がれるわけがない。


「コイツら……本当に人間か?」


 俺の疑問はすぐに氷解することになる。

 立ち上がった不良らが腰を折ってうずくまったかと思うと、見る見るうちにその姿が変貌していったのだ。


「「ウガアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」」


「ッ……!」


 2人の不良が目の前で化け物に変身した。

 右の不良は鳥の頭、両腕が制服を破って大きな翼に。左の不良は狼の頭、両手両足が爪の生えた獣の四肢にそれぞれ変貌する。


「参ったな……日本に帰ってきてから変な事件に巻き込まれてばっかりじゃないか」


 ひょっとして、日本は異世界よりもファンタジーなのだろうか?

 自分が信じていた常識が粉々に砕け散ってしまったような心境である。


「一応、訊いておくけど……超能力者か妖怪変化か宇宙からの侵略者じゃないよね?」


『キイイイイイイイイイイイイイッ!』


『ガアアアアアアアアアアアアアッ!』


「はい、返答は期待していなかったよ。さて……とりあえず斬ろう!」


 アイテムボックスから剣を出して斬りつける。もう美月ちゃんの視線を気にして入られない。

 鳥頭が翼をはためかせて頭上に飛びあがって回避し、狼頭が右手の爪で斬撃を受け止めた。


「速いな……想像以上に!」


『キイイイイイイイイイイイイイッ!』


 鳥頭が上から飛びかかってきた。猛禽類のような鋭い嘴を突き刺そうとしてくる。


「フッ!」


『ガアアアアアアアアアアアアアッ!』


 後方に飛んで回避するが、狼頭が距離を詰めて襲いかかってきた。


「フッ!」


『ガッ!』


 噛みついてきた狼頭の下顎を蹴りつける。そして、怯んだところを剣で胴体を切り裂いた。

 直後、鳥頭が頭上から飛びかかってきたので下から剣を投擲する。槍投げのようにぶん投げられた剣が鳥頭の胴体に真っすぐ突き刺さり、串刺しになって撃墜させた。


『グ、ウウウウウ……』


『キュイイイイイ……』


 狼頭と鳥頭が道路に倒れる。ドクドクと流れてアスファルトに広がっていく血の色は赤。人間と変わらない色だった。

 そのまま絶命するかと思いきや……2体の怪物の姿が徐々に変身していく。


「これは……」


「う、ぐ……」


「痛え、痛えよ……」


 狼頭と鳥頭が人間の姿に戻っていく。

 ゼエゼエと苦悶の呻き声をあげて身体を痙攣させている。


「これってもしかして……マジヤバくね?」


 彼らがどうして怪物に変身していたのかはわからない。

 美月ちゃんを守るため、怪物を剣で倒した判断を間違っているとも思わない。

 しかし……この状況は、傍目には俺が刃物で同じ学校の生徒を斬殺したように見えてしまうのではないか。


「クリーチャーに変身して襲いかかってきたからぶった切りました……うん、絶対に信じてもらえないよな」


 警察にせよ、救急隊員にせよ、こんなことを信じるわけがない。

 むしろ、俺の方が異常者か薬物中毒者のように扱われてしまうのがオチである。


「とりあえず死体を隠して……いや、まずは手当てをした方がいいのか?」


 俺はとりあえず、鳥頭だった少年の胸に刺さった剣を引き抜いた。

 同時に、アイテムボックスから取り出したポーションを2人の傷口にかけておく

 エリクサーのような上位の魔法薬と違って、ポーションには即効性の治癒力はない。それでも、止血してジワジワと傷を治していく程度の効果はあった。


「これで死ぬことはないと思うけど、警察と救急車はどうしようか……いや、その前に」


 それよりも、まずは美月ちゃんだ。

 不気味な怪物の出現、凄惨な戦いの現場を見てしまった美月ちゃんの心のケアをしなくては。


「美月ちゃん、ごめん! 大丈夫か……!?」


 後ろの美月を振り返り……俺は大きく目を見開いた。


 美月ちゃんはそこにいた。

 逃げることなく、いつものぼんやりとした無表情でこちらを見つめている。


 問題は、そのさらに背後である。


『ゲコゲコゲコゲコッ』


 美月ちゃんが立っている場所から5メートルほど後ろにある、マンホールの蓋が開いている。そして、そこから学生服にカエルの頭部を持った怪物が上半身を出していたのだ。

 蛙頭はギョロリと大きな眼球を動かして美月ちゃんの姿を補足し、ベロンと長い舌ベロを鞭のように振るってくる。


「美月ちゃん! 伏せて!」


 僕は咄嗟に叫び、駆け出した。

 焦りに焦って可愛い妹を助けようとするも……遠すぎる。この位置からでは間に合わない。

 自分に魔法使いとしての才能がないのが恨めしい。魔法が使えたら、美月ちゃんが攻撃を受けるよりも先に火でも雷でも打ち込んでやれるのに。


「美月ちゃああああああああああんっ!」


 必死に叫べど、時は止まらない。

 美月ちゃんは攻撃に気づいていないのか、ぼんやりと立ち竦んでいる。

 蛙頭の舌ベロ攻撃は吸い込まれるように美月ちゃんの頭部に迫っており、鋭く小さな頭を弾こうとして……


「…………は?」


「ん……」


 パシリと。内野フライでもキャッチするような気軽さで止められたのだ。

 驚くべきことに……蛙頭の舌ベロ攻撃を右手で受け止めたのは、僕の可愛い妹分である美月ちゃんだった。


「鬱陶しいですわ。下級悪魔ふぜいが、誰の頭に汚い舌を叩きつけようとしているのですか?」


「み、美月ちゃん?」


「滅びなさい……デーモンフレア」


 驚きの状況はなおも続く。

 舌ベロを受け止めた美月ちゃんの瞳が金色に輝いたかと思うと、その右腕から炎が溢れ出たのだ。

 蛙頭の舌から胴体へ、まるで花火の導火線が燃え尽きるように炎が進んでいく。


『ゲコオオオオオオオオオオオッ!?』


 蛙頭の身体が炎に包まれる。

 ガソリンでも被ったように真っ赤な炎に包まれた蛙頭は、バッタリと地面に倒れて動かなくなってしまう。


 驚いて目を見張る僕の視線の先……美月ちゃんが白い髪をかき上げて口を開いた。


「やれやれ……不覚ですわ。まさかお兄様と一緒にいるところを襲われてしまうだなんて。これでは正体を隠し続けることができないではありませんか」


「…………」


 普段の無口から一転して、ペラペラと流暢に話す美月ちゃん。

 小学生の少女の口から紡がれる理解不明な言葉の数々に、僕はパクパクと口を開閉させる。


「……仕方がありませんわね。お兄様」


「っ……!?」


 驚きすぎて言葉を失う僕を、美月ちゃんが真っすぐに見つめてくる。


「この状況を見て、聡明にして賢明なるお兄様であればお気づきかと思いますが……私はこれまでずっとお兄様を騙しておりました」


「へ……だ、騙す?」


「はい」


 美月ちゃんは右手を胸に、左手でスカートの裾をつまんで、丁寧な仕草で頭を下げた。


「私の本当の名前はルーナプレイナ・アスモデウス。地獄から地上にやってきた悪魔なのです」

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