【1-9】

 微笑ましそうに僕を眺めていたカミュは、ふと首を傾げた。


「ところで、ミカさん。ミルクガユはミカさんにとって、大切な思い出深い料理なのですよね? 今まで、自分で作って食べてみようとは思わなかったのですか?」

「そういえば、そうだね。なんでかなぁ……、自分で作って食べたいとは思えなかったんだ」

「今こうして作っていただいていることには、何の抵抗もありませんか?」

「うん、無いよ。……なんでだろう?」


 無意識にカミュと反対方向へ首を傾げると、紅い悪魔も僕と同じ方向へ頭を傾け直す。彼は図体が大きいけれど、ちょっとした仕草がなんだか可愛らしい。


 ──それにしても、改めて考えてみると、どうして僕は今までミルク粥を作らなかったんだろう。中水上のおじさんとの思い出をそのままにしておきたかったんだとしたら、今こうして何の不快感もなく作っていることに説明がつかない。


「……あ」

「ん?ミカさん、どうされました?」

「もしかしたら、僕はひとりぼっちでミルク粥を食べたくなかったのかもしれない。だから、……今まではずっとひとりぼっちだったから、作ろうと思えなかったのかも。無意識に、なんだろうけどね」


 僕は風邪をひくことも多かったから、白粥も卵粥も何度も作ったことがあるし、お世話になっていた養護施設でもレトルトのお粥は何度か出してもらえた。

 でも、ミルク粥は食べる機会も作る機会も無かった。──中水上なかみかみのおじさんのように傍にいてくれようとした人は、いなかったから。


「僕にとってのミルク粥は、ひとりぼっちじゃないって教えてくれた、人との繋がりを感じられるものだったから、一人で作って一人で食べるなんてことはしたくなかったのかもしれない」

「なるほど。今は、魔王の──誰かのために作っているから、孤独な料理ではないと無意識下で考えたのかもしれませんね。……孤独ではない、あたたかな食事。うちの魔王に相応しいといいますか、彼が密かに望んでいるものでしょう。ミカさんを召喚できたことに、不思議なご縁を感じますね」

「縁……、ねぇ、カミュ。魔王様ってどんな人なの?」


 カミュの語り口から、なんとなく魔王に自分に近いものを感じて、質問を投げ掛けてみる。美しい悪魔は、ちょっと困ったように眉尻を下げて微笑んだ。


「現在の魔王のお名前は、ジルベール。私は、ジル様と呼んでいます。……ジルベールという名は、アースでもよく聞くそうですね」

「うん。僕のいた国では少なかったけど、世界規模で見れば決して珍しい名前じゃなかったかな。こっちの世界でも、そうなの?」

「ええ、そこまで多いわけではありませんが、そこそこ親しまれているお名前のようです。……そして、うちのジル様は、お名前の通り、ごくごく平凡な人間でした。……いえ、魔王になるにはあまりにも優しすぎる人です」

「人……? え、魔王様って人間なの?」

「……ええ。魔王は、魔王の魂に選ばれた人間なのです。本人の意思に関係なく、選ばれた人間は『器』として魔王の魂を受け入れ、その役割を全うしていただくことになります」


 不意に、カミュは瞳を伏せる。長い睫毛が、宝石のような紅い瞳に翳を落とした。


「この星には七人の魔王がいらして、私はプレカシオン王国の代々の魔王にお仕えしておりますが……、ジル様の先代から少々様子がおかしくなりまして、魔王らしさが薄れてしまわれました」

「魔王って七人もいるんだ。……他の魔王も、ジル様みたいな感じ?」

「いいえ。他国を担当されている方は、いかにも魔王らしい振る舞いをされていますね。殺戮を好み、苦痛や絶望を分け与えることに尽力するような……。ジル様は、残虐な行為とは無縁の方ですから、魔王としての役割が……、って、おや。ミカさん、鍋の様子は大丈夫でしょうか」

「えっ? あっ、危ない危ない」


 話に夢中になっている間に、鍋の中はだいぶ煮詰まってきている。米の粒がふっくらして、ミルクの嵩も減ってとろみがついてきていた。いつの間にか、ほんのりと甘みを含んだ良い匂いが調理場内に満ちている。


「よし、いい感じに煮えてきているね。教えてくれてありがとう、カミュ」

「いいえ、そんな。お安い御用です。とても素朴ですが、美味しそうに仕上がってきていますね」

「うん。あとは、味を調えてもう少し煮たら完成かな」


 調味料が並んでいる棚から、塩と胡椒の瓶を取る。それぞれを少し指に出して舐めてみると、どちらも僕が知っている塩と胡椒の味とほぼ同じだった。塩はちょっとピンクっぽいけれど、しっかりとした風味で美味しい。胡椒も、やや緑がかっているけれど、とても良い香りだし味もいい。

 ふたつの調味料を手に鍋の側へ戻り、時々味見をしながら塩胡椒で整えていく。中水上のおじさんが作ってくれたミルク粥は、甘みは抑え目でしっかりと塩味が効いていた記憶がある。思い出の味に近づくように意識して、調整していった。


「うん、こんなもんかな」


 ふんわりと甘い匂いと、強くない程度のしょっぱさ。優しい味わいのミルク粥は、思い出の中のものと少し違うけれど、かなり近付けられたと感じた。


「ミカさん、出来上がりましたか?」


 嬉しそうに鍋を覗き込んでいるカミュへ、僕は頷いて見せる。


「うん。お待たせ。これで完成だよ!」

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