通りゃんせ殺人鬼

「じゃ、この辺りで」

 お腹一杯まで食べた俺達は人気のない十字路で別れようとしていた。家の方向はさっぱり分からないがレイナは真逆の方向にあるらしい。少し寂しそうに見えるのは気のせいだろうか。

「また。明日」

「レイナ」

「ん?」

 近づいてその左目をじっと覗き込む。特別何かが見える訳ではないが、それでも黙って一分以上見つめていると、次第に彼女は恥ずかしそうに頬を染めた。

「な。何?」

「いや。やっぱ可愛いなと思って」

「はぅううッ。 や。やめてよ。そういう冗談」

「冗談のつもりはないんだが、まあいいや。また明日な」

 うーん面白い。

 反応が良い子は好きだ。異性として。玩具として。これ以上揶揄うのは可哀想だなとも思ったので。去り際だけは潔く。背中で手を振りながら反対側へ。朱莉が当然のようについて来た。

「本当は君と一緒に帰りたいけど、僕は今回、あっちから帰ろうと思う」

「ふーん。どうしてだ?」



「尾けられてる」



 穏やかだった日常は終焉を告げ、ゲンガーに脅かされる不穏な非日常の気配がする。レイナが帰ろうとしないのは朱莉が待たせているからだろう。俺達の内緒話を怪訝そうに見つめていた。

「何人だ?」

「三人だね。僕が思うにゲンガーとかじゃない。僕達は要注意人物とかじゃないし、悪戯に殺人をするのは彼等にとっても不都合が生じるからね。予想が正しければ、救世人教の奴等だろう。駅前に居たのも三人だったね」

「復讐しに来たのか?」

「さあ、それは分からない。ただ、澪奈は事情を知らないし武道の心得があるでもない。僕が一緒に行かないとどう考えたって危ない」

 俺は朱莉にも武道の心得があるなんて思わない(体つきとかを見ても分かる)が、信じない訳にもいくまい。大丈夫、彼女は相手がゲンガーとはいえ躊躇なく殺しにいける異常性がある。俺みたいな一般人よりは大分頼りになる。

「という訳でサヨナラ。また明日、会える事を楽しみにしておくよ」

「ん。気をつけてな」

 多分、二人の為になるのはここで俺が歩き出す事だ。先に距離を開けておけば、当然追跡という選択肢にリスクが伴う。平和ボケか現実的なのか自分が尾行されているなど信じられないが、足音に気を遣いながら全力で背後に耳を澄ませると、確かに足音のようなものが付いてきていた。


 ―――まあそうだよな。


 三人も居て全員が尾行対象を統一する必要はない。そりゃあ分散するか。運の悪い事に俺達も三人だったので、配分もあっちが二人でこっちが一人か。追い回される事に慣れていないので尾行を撒く術は思いつかない。家に帰れば今日は安全が保障されるが、帰る場所を特定されるという絶大なデメリットの手前、家に帰りたいとも思わない。

 難しいのは現時点でもそうだ。尾行に気付いた事を表明するか、素知らぬフリをして逆に追い詰めるか。ドラマ知識で申し訳ないが多くの場合気付かれた尾行は単なる追跡劇になって体力が物を言う。最善なのは尾行に気付いた素振りを見せぬまま撒く事だが―――ネットで検索しても駄目だ。何の成果も得られない。


『姉ちゃん。助けて』


 それだけメッセージを残して、今は出来る事をやろう。角を曲がって振り返るくらいじゃ引っかからないだろうから……どうしよう。全く人通りがない訳ではない。たまに通る他人様に助けを求めるか。いいや、それは逆効果だ。交番に駆け込んだ方が余程効果的。残念ながらそんな安置はない。

 それに、声を掛けた相手が無害な保証はないだろう。最悪グルという可能性もある。例えば前方から背の低い金髪の男性が歩いて来たが彼が―――


 え?


 一見して中学生にも見える金髪の男性。そう思わせない理由は偏に目の隈だ。この暗闇でもはっきりと分かる寝不足。白衣を着ているが職業は医者だったりするのだろうか。白衣を着ているだけで医者というのも早計な考えだが。

「―――」

 この男性には、声を掛ける気にもならない。本能が危険を察知したのもあるが、寝不足は少なからず人の精神に影響を与える。その最たる影響は怒りやすさだ。生来の性質を差し引いても寝不足で脳が休めていない人間は通常の何倍も怒りやすい。

 口を引き結んで通り過ぎる―――何もされなかった。


「うお、な、何だ! やめろ、貴様何を―――ぐわッむ」


 声が聞こえた瞬間、俺は無我夢中で駆け出した。よく分からないが尾行していた奴が絡まれたらしい。運の悪い事だ。安心したら喉が渇いてきたのでコンビニに寄ろう。




















 適当に買った炭酸飲料を舐めるように飲みながら、俺は車止めの上で一息ついていた。何があったかは考えたくもない。巻き込まれたくないのだ。ゲンガーが関与している訳でもない事件に関わるべきは警察で、そこに首を突っ込むと碌な事にならない。

「はぁ~」

 二人に無事を確認するメッセージを送ったが返答はない。真っ最中か手遅れか。俺には信じる事しか出来ないので待つしかない。


 ―――齊藤君のゲンガーをどうやって見つけるかだよなー。


 一歩間違えば人殺しの二択は避けたい。だが接点が無い以上、下手に刺激するとまた命を狙われる可能性がある……?


『そうだね。ゲンガーは自分が偽物と気付かれるのを嫌う。君だと分かり次第適当に理由を付けて孤立させてから殺すだろう……馬鹿に理解が早いけど、経験者とかじゃないよね』

『お互い正体を把握してればね。ただ、それはリスクが高い。自分から偽物と開示しなきゃ相手も開示しないし、バレるのが嫌いな奴等だ。もし相手がゲンガーでなかったらすぐさまぶっ殺してしまうだろうけど、本物なら人間が一人消えた事になる。事件になれば面倒だ。それは『本物』として平和に過ごしたい彼等にとって不本意でしょ』


 何だかなあ。

 違和感がある。まだはっきりと言葉には出来ないが、飽くまで水面下で侵略したいゲンガー達は自分達が気付かれる事を許さない。そういう話だった筈だが、何故俺を狙った・・・・・?

 俺はゲンガーの事なんて何一つ知らなかった今までもこれからも、自分が『偽物』になるその日まで知らなかっただろう。幾ら山本ゲンガーが未熟だからってこんなバカみたいなミスをするだろうか。それ以前に、あの時の思考も含めて情報に矛盾がある。

 いつだったか俺は『こいつ偽物を疑ってるっぽいから殺しておこう』というゲンガーの発想を避ける為に行動していたが、それは彼等の行動方針に合わない。本物なら人間が一人・・・・・・・・・消えるのだ・・・・・。事件になれば不本意な状況になるのは明白。お構いなしなら水面下で動く必要がない。もっと大胆に殺してもいいだろう。テロリストに協力するとか。

 極論、ゲンガーは自分がなり変わる予定の『本物』さえ殺せば後はなにもしなくていい。周りには本物だらけなのだから、『本物』らしさを保つ為という名目で犯罪に手を染めるのは明らかに矛盾している。

 朱莉が嘘を吐いているのかと言われたらそれもない……厳密には、今は考えられない。嘘を吐く理由がないし、何よりゲンガーから俺を助けたのは事実だ。

 せめてもう一人、ゲンガーについて知る人間が居てくれれば。



「弟君! ようやく見つけた!」



 横断歩道を無視して近づいてきたのは心姫こと俺の姉貴だった。立ち上がって歓迎しようとしたがそれよりも早く押し倒され、危うく飲料を零しそうになる。

「助けてなんて言われてびっくりしたよッ。無事? 無事なら良いけど……」

「姉ちゃん、流石に抱きしめられるのは恥ずかしい」

 血縁関係にあるので全くドキドキしないが、これがもし赤の他人なら危なかったかもしれない。何気に、姉貴は俺の知る女性の中では一番スタイルが良い。

「何言ってんの! 弟君が助けを求めてくるなんて引っ越してからは初めてだし。最近は物騒だから何かあったと思うのが普通でしょうが! なに、タチの悪いイタズラ? だったら私怒るよ」

「どんな事があっても姉ちゃんにそんな事しないよ。危なかったのは本当。誰かに尾行されてたんだって言っても……」


「信じるよ」


 間髪入れずに、即答。

「……心の病気とかって、思わないんだ」

「弟君は私に嘘言わないもんね。信じるよ、全部。引っ越す前に言ったでしょ? 弟君が危ない時は私が守ってあげるって。この命に代えても」

「そんな重い発言してるからいつまで経っても彼氏が出来ないんじゃないか?」

「それは私の仕事のせいだよ。結婚は人生の墓場なんて言葉もあるけど、私は墓場なんて行きたくない。まだまだ調べたい事たくさんあるしね」

 俺の頭をポンポンと二回叩いてから姉貴は立ち上がった。

「話、聞かせてよ。何があって尾行されたのか知りたいな」

「……俺としてはあまり姉ちゃんを巻き込みたくないかも」

「安楽椅子探偵くらいにはなるよ? 危ない事に首を突っ込みたがるのはどうも、血筋っぽいしね」

 心姫は俺を元気づけるように笑ってみせる。昔からそうだった。姉貴はいつも強くて―――優しくて。両親との仲が拗れずに済んだのも殆ど彼女のお蔭だ。感謝してもしきれないが、せめて今は。

「姉ちゃん」

「んー」

「…………ありがとう」

「んー」


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