偽物の世界
部活が終わって、今度こそ放課後。またもゲンガーを見つけてしまった俺達に安息の時間はないと思われたが、前回と違って先攻はこちらだ。あの時は訳も分からず襲われて、いつ正体に気付かれるか分からないというぼんやりした不安があったが、今回は……まだ大丈夫。俺は部活の一環で取り締まっただけ。危険はないはずだ。
「んー疲れたねえ。じゃ、今日も一緒に帰ろっか」
「大神君結局来なかったな」
「バックレたらしいよ。先生が怒ってた」
……彼は真面目なんだか不真面目なんだかさっぱり分からないな。
ただ活動するとなると俺達の誰よりも精力的に活動するので、やる気自体はあるのかもしれない。いつもの流れで朱莉と一緒に帰ろうとすると、普段は俺達を見送るまで身じろぎ一つしないレイナが不意に俺の手を掴んで。
「一緒に。帰りましょう」
「は?」
「え?」
ピキッ、と何かに罅が入る音がしたのは錯覚だろうか。気のせいとか比喩とかでもない気がする。女の子からそう誘われる事に悪い気はしないが、レイナというのがどうにも解せない。朱莉の方を見ると無表情で、何とも思っていないように見えるかもしれないが俺より先に反応した時点でその内心は穏やかじゃないか。
気持ちは分からないでもない。ゲンガーについて知っているのは俺達二人だけで、これからの戦略とか方針とかを相談したいのに邪魔が入ってしまった。要はそういう事だろう。人でなくとも人と全く同じ外見の存在を躊躇なく殺せる時点で、彼女のゲンガー嫌いは筋金入りだ。そっちの方面で今、凄まじく機嫌が悪いと予想する。
「……また、突然だな」
「貴方の。復帰祝いよ。部長の私が率先しなくて。どうするの」
「あ~」
これは失策。
断り辛いというより断れない。ほぼ身勝手な理由で二週間弱休んだ人間にそんな権利はないのだ。『他人事』だからと言って礼儀を欠くのは論外。まして交友関係があるなら猶更だ。
「分かった。いいぞ」
「まあまあ待って待って。僕も行くよ。部員の一人としてさ。万が一にも二人で風紀を乱し合う関係とかになっても不味いし」
「はぅッ。そんな。事をするなど到底」
「いやあ百戦錬磨の僕の見立てによると澪奈部長は結構ムッツリスケベな所あるからなー。女子の間で話題だよ。盗み聞きだけど」
「事実無根よ。それに。私はみ……何でもない」
女同士の醜い争いが始まる前に仕切った方が良い気がしてきた。銀造先生も大神君も居ないとすっかりストッパーが居なくなってしまって、困るのなんの。発端は俺かもしれないがこれは放っておくとどんどん論点がズレて最終的にお互いの秘密をバラす泥沼が待っているだろう。止めるのは義務だ。
「ほら二人共喧嘩しない。俺の復帰祝いなんだろ。ちょっと大げさだけど、なら早く行かないと絶対混むぞ」
「それも。そうね。大神君も。誘おうかしら」
「バックレたのにこういう時だけ参加は流石に俺が怒る。一度バックレたからには不幸もちゃんと享受すべきだと思わないか?」
などと言いくるめながら昇降口を出る。時刻は夜の七時。まだ春なので既に日は落ちて夜の闇が支配を強める時間だ。俺はまだ辛うじて夕方と呼びたいがほぼ夜なのでそう言われても違和感はない。
「で、どうしてくれるんだ? 何処かレストランとかに?」
「そうね。そんな感じ。かしら。駅の近くなら。たくさん見つかるだろうし」
「うー暗いなあ。暗いのって苦手なんだよねえ」
放課後になってからゲンガー殺してた奴が何か言ってる。
「匠君。手繋いでもいいかな……?」
「子供かお前」
「男同士なんだから問題ないだろ?」
「高校生にもなって夜が怖いなんて、お前どうやって生きてきたんだ。急に甘えるな」
「ぶー」
朱莉の性別は人前では『男』として扱う。そのつもりだが、何故本人が曖昧にしているのか理解できない。男同士だからじゃれ合うのが自然かと言われたら不自然だ。全てを狂わせているのは理由だ。夜が怖いとか、ゲンガーでも言わなそうな嘘を何故看過しようと思える。
「……そういえば。宗教の話だけど」
「こんな時くらい部活の話をしないでほしいよね」
「ごめん。なさい。でも。危ないから」
確かに危ない。思想は人を怪物へと簡単に変えてしまう。それはSNSでも分かるし、過去の歴史からも明らかだ。ただ、この国には宗教の自由があるので思想があったからと言って排斥しようとはならない。それを言い出したら無宗教だって立派な宗教だ。特定の傾向になびかないというだけで、八百万の神々がおわしますこの国はただ生活するだけでも『神様』を信じる事になる
だから『朝はスパゲッティ食べる教』だとか、『日中はトイレに行かない教』とか、飽くまで個人の範囲に留まる宗教なら許容するべきだ。問題なのは『殺人で徳を積める』だとか『将来訪れる滅亡を防ぐためにお金を盗みまくって大金持ちになる事で地球生物を選別する』だとか、従来の倫理を足蹴にするような思想。
「調べた。というか聞いたの。名前は救世人教」
「言葉の響きが完全に虞美人草だな」
「知らないねえそんなの。もうちょっと良いネーミングがあったと思うけど。どんな宗教なの?」
「先入観を。持って欲しくない。駅前で勧誘があるらしいから。聞くだけ聞いてく」
突然誘うなんてビックリしてしまったが、そういう理由なら納得が行った。ただ、それでも俺を食事に誘うのは偽装にしては力が入りすぎなので……ついでか。この話はこれ以上進まないので以降は雑談に切り替わり、いつの間にか話はテストの話になっていた。
「抜き打ちテストってクラス間の違いとかあるのか?」
「簡単」
「マジ?」
「匠くーん? 澪奈部長はいつも学年ベスト3の何処かに居るから参考にしない方がいいよ」
参考にはしないが、その情報を知ったら頼りにはしたくなってきた。抜き打ちテストの難易度はともかく、それだけ頭が良いなら俺に教えるくらいは訳ないだろう。なに、百点を取りたいとは言わない。十点くらい上がる程度で良いのだ。
「―――僕の聞いた限りじゃ、担任ごとに難易度は変わってるらしいよ」
「へー。じゃあ俺のクラスは最高難易度か」
「いや、全然。君は美子追っかけてて知らないだろうけど結構問題児とか居るから、むしろ優しめ。D組が一番難しいって聞くよ」
「澪奈の所じゃん」
「ふふん」
駅前には部活終わりの学生がごった返していた。素直に帰ろうとする者も居れば何処かへ遊びに行こうとする者もいる。夜遊びは度々注意喚起されているが学年集会など眠いだけなのだろう。俺もそうだ。
その中に、怪しい影が三つ。
ティッシュ配りの様にも見えるが、籠の中身は全く減っていない。そもそもティッシュかも分からない。人見知りが分不相応なバイトをしたのかと思えばそうでもない。きちんと話しかけている。制服の人間を狙って。
「あ、あの。きょ、興味ないのでもういいですか……?」
「興味がない! いいえ、貴方、それは目が覚める寸前です。どうか真実を目撃なさい。我々と共にこの世を救いましょう。偽りによって満たされた世界で我々だけが真実なのです。ウツシの神のお導きを聞きなさい。さあ―――」
千歳が、声を掛けられている所に遭遇したのは偶然か必然か。人混みに恐怖していない所を見ると注目される状況が恐ろしいらしい。この薄闇からもはっきりと分かる強面の男に優しい声を掛けられて縮こまっていた。箱で身体を押されどんどん壁際の方へ、他の仲間と思わしきグループの中心へと流されていく。
アブナいな。
「ちょっと、待ってろ」
二人を待機させて、一目散に泣きそうな程困り果てた後輩の元へ。勧誘に夢中で気付かない男の側面に身体をぶつける。
「失礼。少し道を聞きたいのですが」
「は? ……失礼。私はこの場所に詳しくないので他の方に」
「いい度胸だ、真実の人間」
男の目線がこちらと交差した隙に指だけで千歳に離れるように合図すると、視界の端から制服が消えた。
「我想うは真実の姿。いと愛するべきは真実の生。地這う黄泉に偽りの人は藻掻きかえらんとする。悲しきかな世界、既に真実は遠く闇の中へ。度重なる時の調停が我々を偽物へと覆した」
「は……は…………?」
「よく聞け。夢を夢と知るには己の頬を叩きそこで痛みを忘れねばならない。何故目覚めたと言えよう。我々は等しく現の夢を見ている。では証明してみせよ。真実の人間。己がまやかしを打ち破りし真なる人のカタチであると」
男は完全にペースに呑まれ、そして僅かに後悔したような表情を見せた。どう考えてもヤバイ奴に絡まれたとでも言いたげだ。彼の発言から適当にそれっぽくでっち上げただけなので、俺を危ない人間と認知する事は翻って己自身のおかしさを認定する事に繋がる。
「あ~やめてくれます? 俺、そういうの分からないんで」
「自ら穢れるか……じゃあ道を教えてください」
標準語に戻ったのでこちらも標準で対応する。取り敢えず、この男は俺を捌かなくてはいけないが、真実だの偽りだの抽象的で概念的で絶対が最もあり得ない単語を並べ立てても口先の勝負で新興宗教に負ける筈がないのだ。
だって『他人事』だから。
対岸の火事が現実であろうとも『自分』の身に降りかからないならそれは非現実であると言える。口だけなら何とでも言えるし、結果論で全能ぶる事だって出来る。例えるなら一対一の状況で相手は剣、自分は弓を使っているようなものだ。相手は対等な条件で目の前に敵が居ると思っているので負けようがない。引き分け以上には好転しないようになっている。
わざと大きな声でしゃべっているお蔭で男と俺に注目が集まった。この時点で今日は無理だと悟ったのだろう、二人に合図を送ってから群衆をかき分け男は何処かへと消えてしまった。俺も二人に迷惑を掛ける訳にはいかないので、黙って駅の外側へと歩きだす。
横の横断歩道から二人が合流してきた。
「今の、何?」
「まさか。教祖なの?」
「教祖から逃げる信者はいないだろ。適当に即興でなりきっただけだ。これでも昔厨二病に罹患した経験がある。舐めんなよ」
「それ、何も誇らしいとは思えないけど」
「……まあ。いいわ。丁度近くにレストランがあるし。そこで改めて」
「お、マジか。こっち歩いてって正解だったな」
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