第88話 『集う想い』

「解析……?」


 スドウヤクミと名乗った彼女が告げた突然の申し出に、イドラは困惑を隠せなかった。

 

「ええっと、解析、っていうのは? ステータスを見るってことか? 天恵試験紙……とはまた違うのか?」

「天恵試験紙? いえ、アンダーワールドのギフトを正しく解析できるかは私にも未知数だけれど、能力がわからないなら確かめられるかもしれないわ」

「なんだって!?」


 順化により色を変えたマイナスナイフは、今や空間斬裂の能力を手放している。

 性能の把握は急務だった。

 イドラの表情に食いつきを察したらしい。スドウは見た目の様子とは裏腹に、疲労を感じさせない所作でドアに一歩近づき、肩越しにイドラを振り返る。


「ついてきて。詳しい話をさせてちょうだい」


 *


 廊下を渡り階段を下り、またしても建物内を移動した先に案内されたのは、青いライトの点いた異質な部屋だった。

 部屋自体は広々としているが、そこかしこに置かれた大きな機械たちが幅を取っており、決して走り回れるような場所ではない。機械に馴染みのない地底世界の出身でなくとも、ここがなにをするための場所なのか、一目でわかる者はそういないだろう。

 ただイドラはどういうわけか直感的に、精密機械とそのランプが発する光に占められたこの空間に、どこか工房じみた雰囲気を感じ取った。

 鍛冶屋の工房。金属を打つ音が響く、火の粉が舞う、熱気に満ちた職人の仕事場。

 なぜそんなイメージを抱いたのか、イドラ自身にも知る由はない。


「……ここは?」

「廊下より暗いですね。な、なんだかお化けが出てきそうです」


 ソニアの感想に、スドウは微笑ましいとばかりに小さく笑みをこぼす。

 ヤナギはまだ総裁室ですることがあるらしく、あの病室で既に別れた。よって、イドラたちは三人でこの部屋——コピーギフト第二抽出室に訪れていた。


「第一抽出室なら、もうちょっと広々としてるんだけれどね……っと。あっちはまだ作業中だから」


 イドラたちが見慣れない内装を眺める間に、適当に辺りから丸椅子を三つ持ってきたスドウはそれを並べ、浅く腰掛けた。

 促され、イドラとソニアもそれぞれ座る。そうして三者が輪状に着席したところで、スドウは「こほん」と控えめな咳払いをすると、静かな興奮を銀縁眼鏡のレンズ越しに湛えて話し始めた。


「結論から言うわ。あなたのギフトを、一度私に預けてほしいの」

「マイナスナイフを預ける……そうすると、能力がわかる?」

「その可能性が高い。厳密ではないかもしれないけれど、きっとさわりくらいはつかめる。つかんでみせる」


 言葉尻から熱意は感じられたが、しかし同時に、能力を把握できる確証もないようだった。

 イドラは閉口し、慎重に思考を巡らせる。するとスドウはさながら逡巡する主婦に商品の長所を力説するセールスマンのように、説明を始めた。


「ここは数値観測によって、地底世界からギフトを可能な限り抽出……コピーギフトとして引き揚げサルベージする場所なの。でも同時に、そのコピーギフトの性能をチェックするための設備もある」

「性能……能力、ええと、そっちで言うところのスキル? とか、ステータスか」

「そう。ついでに言うなら、設定した起動コードのチェックも。それで、あなたのギフトは言うなれば、一切情報の損失なしにサルベージされたコピーギフトなわけで——」

「イドラさんのギフトが……コピーギフト?」

「——ああいえ、そうじゃないのだけれど、本質的にね。起動コードがない、元々の所有者にしか使えないといった差異もあるみたいだけれど」

「……??」


 ソニアは今一つ理解できていなさそうに小首をかしげたが、話の流れを断ち切らぬようにか、口を挟みはしなかった。

 対し、イドラはなんとかスドウの話を咀嚼する。聞き慣れない用語の意味も、ある程度わかってきた。


(コピーギフトは僕のいた地底世界に存在するギフトの模造品。起動コードは、ソニアのワダツミで言うところの『氾濫フラッディング』、それからカナヒトの場合は『伝熱ヒーティング』とか言ってたアレか……)


 複製天恵コピーギフトは、イドラのいた地底世界に存在する天恵ギフトの模造品。ならばイドラたちの持つ真正のギフトは、コピーギフトから起動コードをなくし、模造による劣化を抑えたものと言える。


「なるほど話が見えてきた。ここにあるコピーギフトの性能を知る設備を、僕のマイナスナイフに使ってみようってことか」

「そういうこと。本物のギフトが直接そのまま持ち込まれたのなんて初めてだし、コピーギフトに対する理論がうまく働くかはわからない。でも、的を大きく外すことはないはずよ」

「あ……なんだろこのボタン、上にある光が点滅してて……押したらどうなるんでしょうか」

「ソニアちゃん、そのスイッチは押さないでね」


 イドラは思考を続けながら、見るともなしに周囲の機械を眺めた。

 どれがどういう風な働きをするのかなど、イドラにはまるでさっぱりだ。ついていけない話に飽きつつあるのか、これ見よがしな突起に手を伸ばそうとするソニアと違い、興味も特に持てはしない。

 だがおそらく、この中のどれかが、地底世界からコピーギフトを抽出する機械なのだろう。そしてまた別のどれかが、コピーギフトの性能を知ることができる、天恵試験紙のような機能を持つ。

 一面の設備は、すべてこの二つのタスクのためのものなのか。それともまだできることがあるのか、やはりイドラに関心はない。

 それよりも気がかりなのは、スドウの——


「スドウ。もしかしてあんたは、僕のギフトに期待を懸けてるのか?」

「待ってソニアちゃんッ、それだけは押さないで! その赤いのだけは本当にヤバいの!!」

「え、す、すみません、なんか、光ってると気になっちゃって……」

「なにしてるんだ……?」


 どうもソニアは見慣れない表示灯の光や機械部品が気になるらしかった。イドラは旅中でいつか見た、おもちゃの棒を目先でひらひら動かされる猫を連想した。


「ごめんなさいイドラくん、ええと、なにか言ったかしら?」

「言ったさ。あんた、僕のギフトの性質が変わったことに反応してたろ。怪我を治したり、空間を飛び越えたり、って話にも」

「……ええ」

「率直に訊くが——僕のこいつが、寝たきりの先生を助けられる見込みはあるのか?」


 腰のケースから短剣を引き抜き、手の中でくるりと半回転させる。

 慣れた動作、慣れた手癖。しかしその刀身の色はまだ見慣れない、ほのかに輝くような赤を湛える。

 空間に触れる能力を、このナイフは失っている。それだけは確認済みだ。


「フラットな目線で見れば、確率はきっと高くない。けど」

「けど?」

「……ふふ、運命なんて言葉、信じたことはないけれど。あなたがはるかな地底の世界から、この方舟までたどり着いたのには意味がある。そう思いたいの」


 そう言って、柔らかくはにかむスドウ。

 イドラは理由もなく、故郷の村で椅子代わりの岩に座り込み、遠くの山々を眺めながら、ウラシマと話していたときのことを思い出した。


「助けたい、って思ってるんだな。先生……ウラシマさんのこと」

「ええ、友達だもの」

「そっか……そうだったのか」

「あの子は戦闘班、私は開発室と所属は違うけれどね」


 カナヒトもまた、ウラシマのことは気にかけているようだった。

 彼女を想う者の存在に、イドラは胸が温かくなるのを感じる。地底世界で旅をしていた時は、そんな人たちがいるとは思いもしなかった。


「うまくいくかはわからない。だけどそのギフト、私に預けてくれないかしら」

「……イドラさん?」


 再び問いが投げかけられる。即答をしないイドラに、隣からソニアが窺うような目線を送る。

 イドラたち地底世界アンダーワールドの者にとって、ギフトとは自らの半身に等しい。

 肌身離さぬ相棒。生き死にを決める生命線。

 イドラも、例外ではない。澄んだ刀身に目を落とす。これまで、マイナスナイフに何度も助けられてきた。

 草原の岩陰で魔物に裂かれた傷を治し、真っ白の雪原で因縁のイモータルを討ち取った。ソニアの暴走を抑え、レツェリのデタラメなギフトに対抗した。

 もしコピーギフトと真正のギフトの間に大きな、スドウの見落とす甚大な差異があり……マイナスナイフが失われでもすれば。

 ギフトの喪失は地底世界の人間にとって最大の恐怖。ギフトに生き方を決定付けられた者は、ギフトに依存する生き方を取った者だ。そのかなめを損なえば、人生そのものが瓦解する。

 しかし。


「ああ。先生の友達だって言う、あんたを信用するよ」


 もっと恐ろしいのは、病室であのままウラシマが永遠に眠り続けることだ。

 イドラは己の生命線をスドウに手渡す。ギフトを預けるとともに、信頼をも預ける。

 スドウのウラシマを想う気持ちは本当だと感じた。病室で独り、目を覚まさないウラシマに寄り添っていた彼女のことは、信頼するべきだと思えた。


(だいいち……ギフトだったら、ソニアも失くしてるんだ。だってのに、僕がギフトを貸すくらいで渋ってたらかっこ悪いもんな)


 スドウは赤い短剣を両手で受け取ると、「確かに受け取ったわ」と真剣な顔でうなずいた。

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