第18話 パワフルガールと桃の水
しばらくして泣き止むと、ソニアは地面にぺたりと手をついて深々と頭を下げた。
「改めてありがとうございますっ! イドラさんのギフトがなかったら、わたし……もうどうなっていたか」
「いいよそんなの。顔を上げてくれ、正直うまくいく確証もなかった」
イドラがそう促すと、少女は控え目に言われた通り顔を上げ、泣き腫らした目を向けてくる。心なしかさっきよりも生気の光を湛えた、しゃんとした目だ。
「もう殺してくれだなんて言わないな? そんなこと口にするもんじゃない。特にキミみたいな、まだ小さな子どもが」
「は、はい。ごめんなさい」
「……とはいえ、今夜の発作をやり過ごしただけで、明日や明後日にはまた起こるのかもしれないけど。その辺り、自分の感覚としてはどうだ?」
「あ……それは、たぶん。起こる、と思います。でも今夜はおかげでほんとに楽になれました」
「そっか。だとすれば、そのつどマイナスナイフを使えばイモータル化の進行は止められるかもしれないな。根本的な解決にはならないだろうが、それを探すための時間稼ぎにはなる」
「え——でもそれだと、イドラさんの旅のご迷惑になってしまいます」
「今日だけしのいだって意味ないじゃないか。助けるっていうのは、一時的に、目が届く時にだけ手を差し伸べることじゃない」
「イドラさん……」
マイナスナイフの『イモータルを殺す』機能がソニアのイモータル化を止めているのであれば、それができるのはおそらくこの世でマイナスナイフだけだ。ならば、イドラは継続してさっきのように発作を止めてやらなければならない。
そうしなければ、彼女のイモータル化は進む一方になる。
(もっとも、やっぱり、人間が完全にイモータルになってしまうとは考え難いが……)
どこかで、限界が来るように思う。精神は言わずもがな、肉体にもだ。
「とにかくこれからは、僕がキミの発作を止める。イモータル化を抑制する。それが可能なのは、きっと僕のマイナスナイフだけだから」
「わ、わたしも、できるだけ荷物にならないよう、がんばりますからっ! これでもけっこう、色々できると思います!」
「そう言ってもな、子どもに危ないことはさせられないよ」
「いえ、ただのお子様だと侮るなかれ、です!」
泣き腫らしても泣き疲れてはいないのか、ソニアは夜中だというのに元気に人差し指をビッと立てて身を乗り出す。突然闊達になったようで内心びっくりしたイドラだったが、元々は明るい子だったのだろうとすぐ思い至った。こっちが素なのだ。
「不死憑きになったおかげとは言いたくないですが、今のわたしはちょっとすごいんです。力もちなんです!」
「力もち?」
「パワフルです!!」
「パワフル……」
服の袖をまくり、上腕二頭筋を誇示する形を取るなどしてくる。
色白の細腕だった。力こぶなどまるでない。むしろ監禁生活のせいで栄養失調に陥っていないかと心配になる。
「——、いや、でも。そうか」
正気を疑いかけたイドラだったが、しかし思い返せば納得できることはいくつかあった。
一年、あんな生活をしていたにしては、ソニアはあの岩屋を出てすぐに歩行できていた。それは中々にありえないことだ。仮にイドラがあそこに丸一年ぶちこまれたとして、出てすぐに森を歩いたりするのは難しいだろう。
錠のあざが消えていたのもおそらくは。ソニアの体は既に、ふつうではなくなっているということだ。
(この体になってから調子がいいって、昼間ソニア自身も言っていた。そういうことだったのか)
見た目通りとは思わない方がいいのかもしれない。
イモータル化というのが言葉通りであれば、不死にして暴虐の怪物の力を身に宿すことになる。体力や回復力の面で影響が出ているのかもしれないとイドラは推察した。
「元々病気がちでしたが、そういうのもなくなりました。集落のみんなは、ご飯もほとんど食べないのに平気なわたしを気味悪がりましたが……決して旅の邪魔にはなりません。わたし、イドラさんのためならなんでもします!」
「その気迫は嬉しいけど……再三言うが、危ないことはさせたくないよ。自分のことを不死憑きなんて言うのもやっぱりやめたほうがいい。確かにキミは人とは少し違う体をしているのかもしれないが、決してイモータルのように不死じゃないんだから」
イモータルとは違う。それは、マイナスナイフを刺して無事なのだから明らかだ。彼女の体には、あの真っ白い不気味な砂ではなく、確かに赤い血が
「それに、あのイモータルでさえ死ぬんだからな、僕のマイナスナイフで。なにごとも過信しないことだよ」
「むぅぅ。マイナスナイフ……そういえばわたしてっきり、あっちがイドラさんのギフトだと思ってました」
「あっち? ってどっちだ」
「あれです、あの。ええと、背中にしょってた……細い剣みたいなの」
「あー。ワダツミか」
周辺に目を凝らすと、飛び起きたときに蹴っ飛ばしでもしてしまったのか、やや離れたところにその刀は転がっていた。
ワダツミと、その元の持ち主であったウラシマに心の中で詫びながら、イドラは拾い上げると鞘についた土を手で払う。
「これは先生……恩人の形見のギフトなんだ。
ギフトは不壊。そして、その固有の能力はギフトを授かった本人以外には決して使えない。それがルールだ。それにイドラに剣術の経験はないから、単に武器として利用することもままならない。
旅をして何年か経てば、体も大きくなって扱えるようになるかも、と希望を抱いた時期もあった。しかし刀を振るうというのは単に体格があればいいわけではない。技術が要る。誰かに師事すれば技術を教わることもできたかもしれないが、それをしたかった誰かは死んで、しかも死体ごと消えてしまった。結局、取り回しの良いナイフしか使っていないのが現状だ。
なので持ち運びはしているものの、イドラには文字通り無用の長物だった。
だが心情的に無下にもできない。なにせ亡くなったウラシマの、二つしかない遺品だ。
「
「ああ、いいけど重いぞ」
「いえっ、へっちゃらです!」
イドラが鞘に収まったそれをそのまま手渡すと、ソニアは言葉通りひょいと軽々しく手に取った。
「鞘から出してもいいですか?」
「うん。手を切ったりしないように気を付けてな」
万が一そうなっても、マイナスナイフで治せなくもない。イドラがわりかし軽率に頷くと、ソニアはその刀身を抜き放つ。
ギフトは不壊。刃こぼれもしないし、錆びることもない。ウラシマが三年前、村に入ってきた魔物を倒したあの時となんら変わらない姿で、凛と月光を弾く。
まだ年端もいかない少女と、その背丈の半分ほどの長さがある太刀というのは、ひどくミスマッチな組み合わせに見えた。
「えいっ。えいっ。……どうですか?」
「おお。大したもんだ」
「そうですよね!? わたし、お役に立てると思います!」
可愛らしい掛け声でソニアがワダツミを振るうと、ビュンビュンと鋭い風切り音を立てて闇夜の中を白刃が踊る。子どもの遊び、と言うにはあまりに素早い腕の振りだ。力比べでは大の大人さえ凌ぐだろう。
もちろんイドラと同じで、剣術を習ったこともないだろうから、その振りには型もなにもあったものではなかったが……ここまでの腕力なら動きの粗さなどカバーできるはずだ。
「そうだな、流石に驚いた。こんなに早く振り回せるなら、魔物が相手でも倒せるかもだ」
「なんならこの剣……ワダツミ? イドラさんが使っていないなら、わたしが持っておきましょうか? ああでも、大事なひとの形見なら自分で持っておきたいですよね」
「それは剣じゃなくて刀って分類らしいぞ。実を言うと、形見はもう一つあるんだ。だから、ソニアが持ちたいって言うんなら任せちゃってもいいかな」
ソニアに見えるように、左手の袖を軽くまくり上げる。手首で光るのは、傷ひとつない黄金色のブレスレット。
これもウラシマが遺したものだ。去年辺りから、ようやくサイズが合うようになった。
「ほんとですか? それにしても、綺麗な腕輪ですね」
「ありがとう。まあ、もちろん重かろうが先生の形見を持つのはまったく苦じゃないんだけどね。でも——」
「でも?」
「ソニアがどうしても。どうしても持ちたいって言うんなら、うん。ほら、僕としても戦いの時なんかはやっぱ邪魔……いや、動きを阻害することもないとは言い切れないっていうか」
「…………。苦なんですね?」
「…………ちょっぴり」
これ幸いと、イドラは三年間ほぼ役に立たなかったワダツミを渡すことにしたのだった。
ソニアの方もワダツミはお気に召したらしく、えいえいと木の枝を振る男子のように素振りを繰り返す。殺傷力はその比ではないだろうが。
そんな中ふと、ソニアはさっきイドラに聞いた言葉を口にしてみた。
「ええと、
「なん……うわぁっ!?」
すると、掲げた刀身から透明な液体が湧き出てくる。次々と溢れる液体は重力に引かれ、突然のことに困惑する二人をよそに滝のように地面へと落下し、足元をドボドボの水たまりにした辺りで出なくなった。
「ソニア……それ、どうして先生のギフトが使えるんだ?」
「わ、わかりません! なんでぇーっ!?」
ソニア自身もわからないようで、丸い目をしばたたかせて混乱している。
「ギフトは、それをロトコル神に賜った本人にしか使えないはずだ!」
「わたしにもなにがなんだかっ。ちっさなころ、わたしだって友だちのギフトで試したことあります。でも、その時は全然ダメでした!」
「なら……もしかして、おかしいのはこのギフトの方なのか?」
——だとしても、誰にでも使えるギフトなんて聞いたことがない。
「イドラさんはこの刀で試したことがあるんですか?」
「ない。他人のギフトなんて、使えないのが一般常識だろう」
試そうだなどとさえ思わない。ソニアだって、ふざけて言ってみただけに違いないのだ。
ギフトが当人にしか使えないなんてのは、幼児でも知っている当たり前のことだ。なぜならギフトとは、ロトコル神がその人間のためだけに天から落とした、唯一無二の道具なのだから。ロトコル教以外でも大体は似たような、神や超自然的存在がその人間の十歳までの成長を祝う、祝福のようなものだと認識されている。
ギフトはパーソナルでなくてはならない。これを疑うのは、水が低いところから高いところに落ちたり、夜の次に夕方がくる、といった風なことを信じるのとなんら変わりがない。
しかし実際にそれが眼前で起きてしまったのだから、我が目を疑いたくなって当然だ。世界の法則を覆すような、異様極まりない出来事だ。
イドラは、無言で手渡されたワダツミの柄を強く握る。やはりイドラの手にはずしりと重い。十六になった今でも、満足に扱うのは無理だろう。
「いくぞ。——
瞬間、ぶわりと鈍色の刃から液体が湧き、全身に鳥肌が立つ。
「で、出た……っ!?」
びたびたと足元の水たまりを拡大するその音とともに、常識が瓦解する。
おかしいのはソニアではなく、この、ワダツミの方だった。マイナスナイフという自身のギフトを持つイドラにも、ソニアにも、このギフトは能力が行使できる。
こうして二度、自身の目で見てもまだ信じられず、イドラは我を忘れてぼうっとしてしまう。すると、そっとソニアの小さな両手が差し出され、自由落下する液体を手に収まるだけ掬った。
「……これ、飲めるんでしょうか。飲めたら、すっごく便利ですよねっ」
「あ、こらっ」
お腹を壊すかもしれない、とイドラが言おうとするも、それより早くごくりと細い喉が液体を嚥下した。
「——。おいしい、飲めますよこれ!」
「なんだって……!?」
「しかもほんのり桃の香りがします!」
「それは流石に嘘だろ!!」
半ばやけくそな思いで、イドラも片手で掬って飲んでみる。
程よく冷たく、軟水特有の優しい口当たり。それに鼻に抜けるこの風味は——
「桃だ……!」
「でしょうっ!?」
世に売り出せば一世を風靡してしまいそうな感さえある、ほのかな甘味とさっぱりした後味。いくらでも飲みたくなるくらいだ。
「どうして能力が使えるのかはまるでわからないが……これを使えば飲み水にはまず困らなくなる。なんてこった、僕はこの三年間無駄に水に気を配って旅をしてきたのか」
衝撃の事実だった。これにいち早く気づいていれば、どれだけ楽に旅できただろう。
誰にでも能力が使用可能なギフト——常識を覆すワダツミの性質に驚いたものの、とにかくこれはソニアが持つことになった。ソニアのイモータル化を完治させる方法が見つかるまでは、マイナスナイフでの対症療法を続けるしかない。その間いっしょに旅をする以上、魔物などに襲われることはままあるだろう。イモータルには通じないだろうが、自衛手段として武器を持っておくのは悪くないはずだ。
もっとも、子どもが持つにしては少々大きく、物騒すぎる代物だが。見た目は不釣り合いなことこのうえない。
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