第百五十話 穢れた愛
煙管を得る為の道を往くには、彼女の名を呼ばねば。そして私は、罪を告白しなければならない。客人である
「
私の一言で黒い燕の折り紙は飛来して
琥珀の短い髪はサラリと、私を見上げた彼女の頬を撫でた。感情を纏わないからこそ、翡翠の瞳は硬質に飾られている。何も言わぬ彼女の代わりに、
「私は貴方に、
私が慎重に紡いだ一言に対して、流石の翠音も直ぐには返答出来なかったらしい。僅かに琥珀の睫毛を羽ばたかせ、思案している。
「……私は貴方様を恨む理由などありませんが」
「それは、
忌まわしい牙を隠す唇が許せなくて、爪で抉ってしまいそうになるが……いつか私を大切に想ってくれていた人達の存在を思い出して、腕を下ろした。
傷など治ってしまう今の
「私は貴方の妹を殺したの。……
翠音は僅かに翡翠の瞳を見開いたが、直ぐに無感情に戻ってしまう。
「そうですね、咲雪は炎陽様と
腹違いとはいえ妹である咲雪を、異端者と罵っておきながら……憎悪が無いなど、小さく矛盾している。翠音には
「なら、私の罪悪感の為に聞いて。……隣に座ってくれる? 」
秘匿とは、時に宝玉なのだ。言葉少ない翠音が隠匿する真実の輝きを、私は知りたくなってしまう。
「咲雪は元々、死を望んでいた。肥大する妖力により死する半妖の
私は抱え込んできた悔いを重く吐き出す。『憎悪』という言葉に、翠音の猫耳がピクリと反応した気がする。
「
「正確に言うと違うのかもしれない。私は、咲雪に亡くなった母の面影を重ねてしまった。私を置いて逝きたがる、死を望む咲雪が許せなかった。そして……智太郎を私と同じ孤独な子にしたかったから」
「
心無しか、翠音の淡々とした声音が柔らかくなった気がした。だが嫌悪を
「……何言ってるの。こんな穢れた愛があるわけ無いじゃない」
「穢れていても、愛であることには変わりありません。私も穢れた愛を守る為に……
「それが囚人である
「そうです。私は今も紅音を殺し続けています」
黎映が救えなかった紅音は、今も囚われの身なのだろう。私は眼前に居ない紅音に、憎悪の理由を問うことは出来ないが……翠音は今、私の目の前に居る。
「紅音が、父であるはずの炎陽を殺そうとした理由は何? 」
翠音は僅かに眉を寄せた。私も炎陽を責められない。他人の領分へ触れてしまったのだから。
「何故、そのような事を聞くのですか」
「ただの好奇心だよ。答えたくなければ、別にいい」
「私達の母である原初の妖『孔雀』……
「翠音は、炎陽が憎くないの? 」
まるで
「私が憎いのは寧ろ……
小さく呟いた翠音は、我に返ったように口を
だが私には、もう一つ疑問がある。炎陽に刃を向けた紅音を、何故翠音はすぐに殺してしまわなかったのだろう。単純な私は、翠音が姉である紅音を囚人として生かし続ける理由は一つしかないように思えた。
――本当は生き続けたかったはずの咲雪のように、翠音は紅音を生かし続けたかったのでは無いだろうか。
「翠音は、紅音を……」
紡ぎかけた私の言葉に、翠音は怯えるように小さく肩を竦めた。……やはりこれ以上は問うべきでは無い。私は、彼女を責め立てに来た訳では無いのだから。
「血の渇望を抑える『煙管』を翠音は持っていない? 生前、咲雪が使っていたの。……私はそれが欲しい」
「『煙管』ですか……。咲雪が
どうやら翠音は『煙管』について、深くは知らないらしい。私は深く溜息をついた。翠音が知っていれば、会わずに済んだのに。……油断ならないあの男に。
「炎陽のところに、案内してくれる? 」
「畏まりました」
私が命じると、僅かな感情の起伏さえ閉じ込めた翠音は『従者』に戻ってしまう。名残惜しさに、寂寞が尾を引く。
「翠音ともう少し話してみたかったな。思えば、
案内をする為に先を行く翠音が振り返ると、翡翠の瞳は心無しか柔い光を宿して瞬いた。
「……機会がありましたら」
小さく微笑を返した私は、期待に歩む足取りが軽くなる。
「無駄な事を。まるで妖に
ある部屋の前に案内された私は、襖の向こうから聞こえてきた炎陽の声に立ち止まる。どうやら、先客が居たらしい。
また別な機会にしようと翠音に告げる前に……私は襖の隙間から香る、
――襖の隙間。私の
闇の羽が霞んだ向こう。恐ろしいのに、
私は、まだ散りゆく幻想に浸っていたの……?
黒曜が今
冷えた体温で震える私に気づく事無く、黒曜は
「私は無駄だとは思わない。
私からは見えない炎陽を、黒曜は真っ直ぐに睨む。
「
例え、私の味方では無くても。生きる為の渇望に抗いながら、黒曜は
黒曜に愛すら返せない私は、一体彼に何を返せるというのだろう。私だけ享受するばかりで、黒曜の想いすら
黒曜に、死も愛も返せない私が出来ることは何……?
私と黒曜は、何処か似ている。望まぬ
「
襖を
ごめんね、黒曜。
貴方を愛し続けられていたら、
息を殺した静かな嗚咽は、願いを叶える神が居ない事を私に自覚させた。
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