第三十四話 青ノ鬼


 気が付けば、私は青を見下ろしていた。

 手には白い鞘に包まれた刀。

 風で揺らぐ金の髪は、自らのもの。


「……殺さないで。最期まで彼と生きたいの」


 背に矢が突き刺さった鬼を、庇うように青が私を見上げる。

 その青い瞳の、強い意志に私は彼女に羨望の眼差しを向けた。


「貴方は彼が妖でも、共に生きたいと決断できたのね」


 私の言葉に、青の瞳は戸惑いに揺れる。


「貴方は、彼を殺しに来たんじゃないの? 」


「鬼を殺すかどうかは、私が決める」


「……それなら私は、貴方に乞うわ。彼を助けて。金の髪に金の瞳の貴方は、噂で聞く、生力しょうりょくを操る現人神あらひとがみなのでしょう」


 青の言葉に私は逡巡すると、目を伏せる。


「……私は神ではないわ。もうすぐ死に逝く者を助けられる程万能ではないの」


 青の瞳は絶望の色を映し、やがて諦めにかわる。


「そう……」


 私は、青と横たわる鬼を見て、刀を持つ手が震える。

 周りの人間たちの望むがまま、人を喰らう妖達と……黒曜と戦う事を選び、今もこうして刀を握る私は、何故彼女のように決断できなかったのだろう。

 もう、選んでしまった戦いは止まらない。

 私が逃げることは許されない。

 この手はもう血に染まっているのだから。


 だが、鬼をこのまま死なせ、この二人をわかつことが本当に正しいことなのだろうか。

 私が決断できなかった、人と妖が共に生きるという選択を選んだ、この二人が生き続けることを阻むことは、私の真の願いを否定することにならないだろうか。


「……一つだけ方法があるわ」


「それは何なの」


 青が涙で濡れた瞳を上げる。


「貴方の生力と魂をすべて彼に移植し、の。そうすれば彼は死ぬことは無い。……だけどそれは人とも妖ともつかない混沌の存在になる。貴方とも彼とも言えない存在になる」


「……構わない。それで彼が死ぬことが無いなら。それに、私も彼の中で生きられるなら本望よ」


「本当に分かってる? 貴方達は、妖と人の魂が常に互いを喰らい合うような、二つ巴の存在になるのよ」


「……まて」


 青の膝の上で横たわっていた鬼が意識を取り戻す。


「気がついたの」


 青が嬉しそうに言う。

 だが、鬼は険しい顔をしている。


「青は人間のまま生きるべきだ。俺はこのまま死んだって構わないから」


「何を言うの……貴方が死んだら、私が生きていけるとでも。すぐに私も殺されるわ。そうでなくたって、私は貴方が死んだら私も死ぬつもりなんだから」


「青……」


 鬼は深いため息をつくと、私を見る。


「……その二つ巴の存在は、互いを感じられるのか」


「可能性はある。常に均衡で成り立つ存在だけど、魂同士の関係は貴方達次第だと思う」


「そうか」


 鬼が僅かに口角を上げる。


「青が望むなら、俺は構わない。……一緒に生きてくれるか」


 青の涙が一筋零れる。


「そう、約束したばかりじゃない」


 青が微笑む。

 その花が綻ぶような笑みは、鬼が愛したものだと、私は知っている。


「……あいつらが追ってくる前に、頼む」


 鬼と青は頷き、私を見つめる。

 その赤と青の二つの強い眼差しに、私は伸ばした手を握る。


「本当にいいのね」


「お願い」


 鬼と青は迷わなかった。

 躊躇ってるのは私だ。

 本当にこうする以外、二人が生きられる方法は無い?

 焦燥するほんの僅かな時間、自問自答するが、答えは同じだった。


「……貴方達が望むなら」


 言いながら、私は黒曜が雨有に告げた言葉と、既視感を覚えた。

 黒曜もただ目の前の存在を助けたかっただけなんだ。

 正しい方法なんて分からない。

 ただその方法を探して藻掻く。


 私は二人に手を伸ばす。

 金の光に包まれた二人は笑っていた。

 私はこれ程美しいものは、きっとどこにも無いと思った。

 金の光は二人を覆い、やがて輪郭を変えていく。

 一人の輪郭へと。


「己穂様! こちらにいらっしゃったのですか……その方は一体……」


 私の後を追いかけてきた、付き人の男が、その存在を見ると放心する。


 その人が纏う色は青色だった。

 姿は鬼に似ているものの、隻眼の瞳は青のものと同じく深く円やかに輝く。

 額から伸びる二本の角も、青い。

 肩につかない程の青い髪が風に絡む。

 瑠璃色の千早は、その人が纏う着物に変わっていた。

 沼の横に咲き誇る青い牡丹達は、まるで彼の為にあるよう。

 

「自分が誰か分かる? 」


 私の問いに、彼は瞬きをする。

 その青い瞳にやがて意思が戻る。


「ああ、青と鬼の記憶もある。僕は青であって、鬼でもある。二つの魂が常に揺らぎあう、妖でもあり人間でもある存在」


 彼を見つめる男は、相変わらず惚けていたが、我に返る。


「つまり貴方様は一体何者なのですか……」


「そうだな……青と鬼……青ノ鬼あおのかみと名乗ろう。僕はもう完全な妖では無いのだから」


 「……村の者達に伝えてきなさい。もうここには鬼はいない。いるのは、社に祀るべきかみなのだと」


 私が男に告げると、男は頷き、村へ走り出す。


「僕は殺されないだろうか」


現人神わたしかみだと認めたのだから、彼らも貴方を認めざるを得ないでしょう。これからの人間との関係は貴方次第だけど」


「どうすればいい」


「人間達を助けてやればいいと思うわ。貴方が人間達の中で過ごしたいのならば」


 青ノ鬼は逡巡した後、私に答える。


「僕は人間でもあり、妖でもある。人間の中で暮らすが、妖が助けを求めてくるのであれば、人間だけでなく妖も助けたい」


「……貴方は凄いわ。私が出せなかった結論を簡単に出してしまった」


 私は羨望の眼差しで青ノ鬼を見つめた。

 青ノ鬼は困惑し、私を見つめ返す。


「君は違うのか、僕達を助けてくれたのに」


「私は本当に貴方達を助けられたのか分からない。……それに後戻りするには、私は殺しすぎた」


「僕達が君に助けられたと思うのに、君は迷う必要なんてない。後戻りなんて、今からでも遅くない」


 青ノ鬼が私に手を差し伸べる。

 これからの妖と人間の未来に繋がる手。

 ……だが、私がとるには遅すぎた。


「私は私を信じる者達を、もう裏切れない」


「……鴉は君との未来を望んでいた」


 行き場を無くした青ノ鬼の手は下がる。


「だけど、彼は私の大切な人を殺したのよ」


「そして、君も妖を殺した」


 青ノ鬼は、切なく微笑む。

 その笑みは青にも似てるように思えたし、未来の彼らに似ているようにも見えた。


「ならせめて、僕が君の願いを叶えてあげる。青と鬼ぼくたちの願いでもあるのだから」


 私は、千里は知っている。

 青ノ鬼の運命の先には、雨有の視たような後悔も待っていることを。

 だけど、その先の未来は……まだ分からないから。


 だから青ノ鬼に己穂として、微笑んだ。

 妖と人の未来はまだ変えられる。

 変えてみせる。

 千里と智太郎が、共に生きられるように祈りながら。


 

―*―*―*―《 過去夢 展開 end 》―*―*―*―


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る