第111話 着火

 武史のパーフェクトピッチングは、まさに爆発であった。

 直史のそれとは、全く性質が違う。

 今季初の三連敗を食らった後に、攻撃的な一撃。

 ピッチャーだからこそ、出来る攻撃というものがある。


 そしてこの火種は大きく燃え広がった。

 翌日のラッキーズとの第四戦、ジュニアが先発してリードしたままリリーフへ継投。

 リリーフ陣も奮起して、7-3と安全圏で勝利した。

 サブウェイシリーズは2-2で五分に終わったが、この勢いは止まらない。

 ホームゲームのマイアミ戦、そしてアリゾナとの四連戦と、連勝は続いていく。

 アリゾナ戦では二失点した武史であるが、それを余裕でカバーする打線の力がある。

 奮起したのは投手陣だけではなく、打線陣もそうであるのだ。


 三連敗の後は九連勝して、そして遠征が開始される。

 最初の三試合はワシントンなので、特に問題はないと思われる。

 その次は移動に一日を使って、ナ・リーグ中地区のシンシナティで、これもそれほど強くはない。

 ただシンシナティとは今季初対決なだけに、不慮の事態が起こる可能性は考えておかないといけない。

 そして遠征の最後がインターリーグの試合となる、ア・リーグ西地区のヒューストンとの試合だ。


 ヒューストンはアナハイムに続き、地区二位の座をシアトルと争っている。

 だが地区優勝チームは間違いなくアナハイムでも、勝率は微妙なところなのだ。

 地区優勝したチームは、間違いなくポストシーズンに進める。

 だが二位のチームではなく、そのリーグ全体の中から、地区優勝チームを除いて勝率の上位三チームがポストシーズンに進めるのが、現在のシステムだ。

 シアトルは微妙にヒューストンとの差を詰めている。

 あと一ヶ月シーズンがあれば、充分逆転の可能性はあるといった感じで。


 シアトルが調子を上げたのは、アナハイムといい勝負をしたからだろう。

 アナハイムの投手力の評価の一種である失点は、確かに平均はそう変わっていない。

 だが特定のピッチャーの数字が悪く、リリーフ陣もやや調子を落としている。

 夏場だからという話もあるが、ヴィエラの離脱が分かりやすい理由だろう。

 得点力はそれほど落ちていないが、坂本などは気付いていた。

 直史が投げるときの得点が、やや落ちてきている。

 まだサンプル数が少ないが、少なくとも平均得点を下回ることは多くなっている。

 それを言ってみると、大介と武史はうんうんと頷いたものだ。


「昔からそうだからなあ」

「でも結局一点もやらないかだなあ」

 大介の場合は味方としても敵としても経験しているので、気持ちは分からないでもない。

 高校時代はまだしも、一度負けたらそこで終わりのトーナメントがほとんどであったので、打線の方もかなり積極的であった。

 それでも真田との投げ合いは、0行進でえらいことになったが。

 大学時代もまだいいが、プロ入り後は極端だ。

 明らかに直史の投げる試合だけ、得点力が落ちている。


 一点あれば大丈夫なのだから、意地でもその一点を守るぞという気迫。

 去年のアナハイムには、そんな偏りはなかったが。

 直史の存在に慣れてしまえば、そういうこともあるのだろう。

 プロなら自分の成績が年俸に直結するので、もっと積極的に点も取らなければいけないだろうに。

 まあ他の誰だって「ムラオカ」呼ばわりはされたくないとは思う。




 ヒューストン戦は九月の頭から行われる。

 まず目の前にあるのは、ワシントンとの試合だ。

 オットー、スタントン、ワトソンという、決してスーパーエースクラスではないピッチャーのカード。

 だが中でもオットーとスタントンは、充分すぎる先発としての役目を果たしている。

 二人はスタントンがわずかに離脱したのを除けば、今年はずっと先発のローテを守ってきた。

 それだけでも充分に価値がある。

 そこそこ点を取られた試合も多い。

 だがメトロズは点を取られたら、むしろそこからが強くなる。

 ワトソンも第六先発として投げることが多く、ちゃんと戦力になっている。

 ウィッツの契約が今年で切れるメトロズだが、次の世代のピッチャーは、確実に育っているのだ。


 オットー 22先発14勝3敗

 スタントン 18先発13勝2敗

 ワトソン 16先発9勝4敗


 特にオットーとスタントンなどは、勝ち負けだけを見ていれば、超一流のピッチャーに思えてくる。

 実際は防御率などを見ても、そこまで傑出したピッチャーではない。

 多少は打たれても、打線が逆転してくれる。

 それがなければせいぜい、一つか二つの貯金が作れるピッチャーに過ぎない。

 もっともMLBでは、そういったある程度試合を作ってくれる、安定したピッチャーも必要なのだが。


 この二人も来年でFAになることを考えると、今年のストーブリーグが熱くなることは考えられる。

 休めの年俸であれば、メトロズは慰留するだろうが。

 FA権を取るということは、それだけ大きな年俸を獲得するということである。

 MLBはこれだけ毎年新戦力が入ってくるにも関わらず、人材不足があちこちで起こっている。

 なのでFA選手は、大きな契約を結びたがる。そして需要は絶対にある。

 

 まだ来年の話ではあるが、逆にあと一年なので、この二人は必死で来年の成績を上げていくだろう。

 FA前の一年の成績が、FAで得られる年俸に大きく関係するからだ。

 大型契約を結べるかどうか。

 この二人の人生が成功するかどうかは、来年一年にかかっていると言っても過言ではない。

 もっとも成功したからといって、その成功が一生続くとは限らない。

 引退後に破産したスポーツ選手が多いのは、よく言われていることである。




 ワシントンは今年、マイアミのすぐ上で、最下位争いをしている。

 いや、さすがにマイアミよりは、そこそこ上にいるが。

 大介のMLBデビューした一年目は、まだそれでもそこそこの成績であった。

 順位はともかく勝敗数が、大きく違ったのだ。

 だがそこから大物選手の契約切れなどに、新しい充分なオファーを出すことが出来なかった。

 戦力不足というのが、ワシントンの弱体化の簡潔な理由である。


 もっともこの地区はもう、メトロズがとにかく強すぎる。

 二位のアトランタとの間にも、随分と差が開いているのだ。

 アトランタの自力優勝などは、もちろんとっくに可能性は消えている。

 メトロズは現時点で、既に103勝。

 まだ九月に入っていないのだ。


 ア・リーグのアナハイムは98勝。

 敗北の数で言えば、メトロズは25敗、アナハイムは30敗。

 消化した試合の数が並んだので、明確に差が分かる。

 5ゲーム差というのは、残り34試合の中では絶望的な数字ではない。

 だが絶望的ではないというだけで、とても希望を持てるとも言えないだろう。

 それにリーグが違うので、直接対決で差を詰めることが出来ないのだ。

 八月の始まりの時点では、まだ逆転の目はあると言われていた。

 しかし今の状況を冷静に見つめれば、もう主力が二人ほど離脱しても、ここから逆転は無理ではないかと思えるのだ。


 それにしてもバグのような勝ち星の数である。

 去年のメトロズとアナハイムも、とんでもない勝ち星だとは言われていた。

 だがメトロズがもし、ここから五割でしか勝てなくても、最終的には120勝に達する。

 確率的にはそれよりもさらに、勝っている可能性が高い。

 130勝に到達する可能性すら、残されていると考えていい。

 残り34試合を、27勝7敗で終わらせればいいのであるから。


 アナハイムにしても、勝率五割で115勝。

 五割以上はさすがに勝てると考えれば、去年の成績を上回り、117勝も達成すると考えた方が自然だ。

 両者共に、またも記録的な勝率が続く。

 去年と違って、ややメトロズ有利が分かりやすくなっているが。


 単順にカードの強さだけを言うなら、またもメトロズ有利に傾いている。

 だがメトロズは、シーズン序盤であった雨天中止が残っているため、ここでどう戦うかで勝敗が傾く可能性はある。

 もっともそれを考えるのは、首脳陣の仕事だ。

 大介は今日も元気に、ホームランを狙っていく。




 128試合を消化した時点で、大介のホームラン数は、54本。

 これだけで既に、ホームラン王が例年ならば決まっている。

 二位の選手がまだ40本に達していないことを考えると、とんでもない数字だ。

 しかし去年の記録を上回る可能性は、かなり低くなってしまっただろう。


 八月に入ってから大介は、打率が一気に低下していた。 

 もっともそれでも、四割に近い数字を残していたのだが。

 MLB三年目の途中で、既に200本塁打を記録。

 当たり前だがこれは、最年少記録ではないが最速記録である。

 打率の記録はまだ、更新の可能性が残されていると言うか、現時点で残りの試合を欠場したら、更新が確定する。

 規定打席には到達しているので、それもまた一つの手段である。

 もちろんそんな手段を、チームも大介も採るはずがない。


 他にも大介に、期待されている記録はある。

 それは盗塁の記録だ。

 自身の最高記録は、二年目の去年の115個。

 これはMLBでもシーズン歴代六位の記録であった。

 一応記録は138というものがあるのだが、これは19世紀の記録なので、近代野球以前の記録として、実際には130という数字が扱われることが多い。

 なお20世紀以降の記録であれば、大介の盗塁数は三位にまで上がる。


 大介の盗塁は、セイバー・メトリクスが盗塁の価値を低いとした現代に、波紋を及ぼした。

 なにしろこの盗塁数の上に、成功率はほぼ90%であったからだ。

 もちろんこれは大介が、それだけ塁に出ていたということもある。

 ただ通常強打者と言えば、パワーはあっても足はそこまで、というパターンが多かった。

 もちろん700-500を達成したボンズや600-300を達成したロドリゲスのような例もある。

 しかし走塁は力を入れすぎれば、それなりに故障の危険性があるのだ。

 大介のように体重が軽く、それだけにクイックネスにも優れた選手というのは、本当に少ない。


 現在の大介のMLB通算盗塁数は、なんと299個。

 八月に入ってからの大介は、相当に盗塁数を伸ばしている。

 あまり走りすぎるな、と言われても敬遠されて前の塁が埋まっていなければ、試みるのが大介である。

 MLBはピッチャーもキャッチャーも、敬遠に対応する能力が低い。

 それはそもそも、盗塁の価値が低いものとされて、積極的に走るバッターが少なくなったからだが。


 ただ、観衆は思い描くのだ。

 守っては鉄壁、打ってはホームラン、歩かされたら盗塁でチャンスを作る。

 そんな万能なプレイヤーが、今ここに存在する。

 ホームランだけでも充分であるが、大介は走塁でも魅せる。

 打撃三冠に出塁率、そして盗塁王まで。

 大介はNPB時代、九年のキャリアで七度の五冠を達成している。

 四冠まで達成した選手は数人いるが、五冠を達成したのだ大介一人。

 他の打って走れるプレイヤーが、樋口や悟ということを思えば、どれだけそれが異常か分かるだろう。


 そしてこの日のワシントンとの第一戦、やはり敬遠されることのある大介。

 即座に走って、MLB通算300盗塁達成。

 その小さな体のどこに、そんな瞬発力があるのか。

 そう思う人間もいるかもしれないが、むしろそれは逆である。

 小さいからこそパワーが、他に逃げずにバッティングや走塁に集まる。

 自分自身のパワーによって、体が壊れることがない。

 実際のところトッププロのプレイでのパフォーマンスというのは、全て怪我とぎりぎりでのプレイとなっている。

 スポーツが健康にいいというのは、あくまでも一般人レベルのスポーツ負荷の話だ。

 大介としてはもう、ホームランを狙っていきたい。

 勝率トップが完全に決まれば、もう少しエゴイスティックに打っていくだろう。

 とにかくこの試合で、またも一つの区切りがついた。




 年齢的に走塁が厳しくなるということはある。

 純粋に100m走などの記録を見れば、何歳ぐらいが限界かは分かるであろう。

 また野球というのは、単純に走るのではなく、あるいは回り込んだりもする。

 ベースを蹴る時の負荷は、通常の走ることよりも、よほど大きなものである。


 大介ももう30歳になった。

 腱や靭帯の老化は、食事や運動ではどうにもならない。

 ある程度は衰えるのを防ぐことは出来るが、柔軟性はどんどんと失われていく。

 NPBの記録と通算していいなら、大介の盗塁は900を超えた。

 年齢的にここから盗塁数が減るとしても、日本記録の1065は超える可能性は充分にある。

 MLBの記録はさらに多く、1406盗塁。

 日本記録を足していいなら、これも超えるかもしれない。


 ワシントンとの第二戦と第三戦は、久しぶりの二試合連続ホームラン。

 またここでも盗塁が一つ記録され、その通算記録は更新されていく。

 様々な記録をもっと簡単に更新したいのなら、NPBで六年か七年やって、そこからポスティングするべきであったろう。

 そうすれば試合数の多いMLBで、より積み重ねるものを多くする機会を得たはずだ。

 だが大介は、九年間を日本でやって、そこからMLBに来たのだ。

 さすがにここから、MLB単体でホームラン記録などを抜くのは難しい。

 それは盗塁など、他の数字にも言えることだ。


 だが大介は、シーズンの記録を様々に更新した。

 三冠王を、五冠王を、訪米から二年連続で達成している。

 これだけでもう、野球殿堂入りの資格はあるだろう。

 直史と同じようなものだ。


 八月の試合は、これでシンシナティとの三試合を残すのみ。

 そのカードの第一戦は、武史が投げてくる。

 最も熱い八月が、野球の季節が終わっていく。

(つっても高校野球も秋からが来年に向けての本番みたいなことはあったしな)

 ワシントンから今度は、シンシナティへの遠征が続く。

 大介の打率更新への期待は、まだまだ持たれたままである。

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