第77話 先頭打者回避
開幕から六試合を終えたメトロズは、いよいよ遠征に向かう。
フィラデルフィアで三試合、そしてマイアミで四試合。
そこからはまたホームに戻って、フィラデルフィアとの対戦。
「なんでこんなに偏ってんだ」
また武史が同じことを言っているが、MLBはそういうものなのだから仕方がない。
試合の数にしても同地区のチーム相手には19試合。
つまりホームとアウェイの数が、どちらかの有利になる。
全体的に見ればホームとアウェイの試合の数は同じになるし、数年間のサイクルでは平等になるようになっているのだ。
もっともその数年間の間に、チームのメンバーは大きく変わる。
なのでどうしても、利益と不利益は偏る。
たとえば去年はなかった、メトロズとアナハイムのレギュラーシーズンにおけるインターリーグ。
これがどちらのホームで行われるかだけでも、かなりの結果の偏りとなるだろう。
そもそも今のMLBにおいては、この二つのチームと戦いたいチームなど、どこにもないのだから。
移動したらスタジアムで練習し、すぐにその日に試合。
フィラデルフィアはそもそもワシントンとニューヨークの間に存在する都市で、この三つの都市はそれほど離れていない。
MLBの広さを意識するようになるのは、同じ地区ならマイアミとアトランタ、そして中地区や西地区のチームと戦う時である。
四月にある試合はナ・リーグ東地区のチームだけとの対戦になる。
ずいぶんと偏っているが、これも仕方のないことなのだ。
アメリカは広すぎて、チームは多すぎる。
MLBに実際に来てプレイしてみれば、NPBがどれだけ整備されているか気づくだろう。
だから結果的に、タフなプレイヤーしかMLBには残れない。
大介はこの二年で結果を残し、己のタフさを証明している。
フィラデルフィアもマイアミと同じく、今年も大きな戦力補強はしていない。
だが数年以内にはポストシーズンに進出するべく、実績の出来てきた選手を放出し、プロスペクトと入れ替えている。
メトロズがとにかく圧倒的に強く、その次のアトランタもまだ地位は磐石。
残りの三チームが弱いというのは、去年と同じような感じだ。
コンテンダーではないチームであっても、そのシーズンの戦い方には違いがある。
マイアミなどはとにかく運よく、選手が揃って順調に成長するのを待つというスタイル。
もちろんこれもオーナーとGMが変われば、方針も変わるわけだ。
フィラデルフィアは弱いは弱いなりに、工夫をして選手を入れ替えている。
やはり上が勝とうと思っていないと、選手たちにもその空気が伝わってしまう。
そのあたりはメトロズもアトランタも、ちゃんと未来を見ながらチーム作りをしている。
メトロズは今年、坂本をFAで、武史をポスティングで取った。
そのため他の補強には、それほどの金をかけることが出来ていない。
ただピッチャーはクローザーも含め、去年よりはちゃんと整備されている。
終盤にリードしていれば勝てて、終盤までリードするだけの攻撃力がある。
とにかく大介の一番が効果的で、この日も一回の表から、ヒットで塁に出ることになった。
単打であれば敬遠と同じ。
それだけでお徳感があるというのは、ちょっとおかしな話である。
その後のシュミットの打席で、大介は走らないが、ちょろちょろと動きは見せる。
盗塁王の足を無視して投げることは、もうMLBでは難しくなってきた。
盗塁も送りバントなどと一緒で、その成功率からすると、割に合わない選択だというのが、セイバー・メトリクスの統計であった。
しかしそれを信じてランナーが盗塁をせず、ピッチャーもそれを警戒する技術を失ってしまえば、盗塁は大きな武器として復活する。
走らなくても走る様子を見せる。
それだけで充分に、シュミットへの援護となるのだ。
初回からシュミットのホームランが出て、メトロズは二点先制。
最初に点を取ってしまえば、あるていどの戦力均衡が働いているMLBの場合、試合は有利に展開することになる。
ましてやメトロズは強力打線を誇っている。
中でも思ったよりはるかに効果的なのが、大介の得点、つまりホームを踏む回数である。
長打力のある選手なのに、打点より得点が多いというのは、三番を打っていたNPB時代は一度しかなかった。
だがMLBに来てからは二年連続で、大幅にMLBの記録を連続して更新している。
バッターボックスに入った大介は脅威だ。
しかしランナーに出た大介はさらなる脅威だ。
統計の話をしよう。去年の大介は798回も打席に入って、223打点を上げた。
意外と少ないように感じるのは、300打席以上をフォアボールで引く必要があるからだ。
とりあえず一打席あたりに0.279点が入る期待値となる。
対してランナーに出た場合。
ヒットとフォアボールの数を合わせれば512でその間に289回のホームを踏んでいることになる。
つまり期待値は0.564だ。
81本のホームランを引いたとしても、ホームラン以外でホームを踏んだ回数、ヒットからホームランを引いた出塁数とすると、0.483の期待値となる。
もっともフォアボールを抜いて、勝負した時の期待値となると、打点も加わるのでとんでもない数字になるのだが。
統計のマジックのように感じるが、大介はランナーに出した時の方がうるさい、というのは確かなように思える。
このあたりはセイバー・メトリクスの評価を含めても、なかなか数字とイメージの差がある。
確かに大介は一番に置いておくのが、一番得点を得やすいのかもしれない。
だがファンが求めているのは、大介のホームランだ。
かつてワールドカップで打ったような、場外まで飛んでいくホームラン。
大介はMLBに移籍してから、まだ場外ホームランは極端な構造のスタジアムでしか打っていない。
ただのホームランと場外ホームランは、点数としては一点として価値は同じ。
だが観戦していたファンにとっては、10倍どころではない差があるだろう。
大介もさすがに、狙って場外ホームランは打てない。
ただ一番打者というのは、本質的には一番自由度が高いなとは感じている。
大介の一番打者というのは、他の一番打者とはもちろん、打力が違う。
そして走力を考えれば、超一流の一番打者とも言える。
一番とか二番とか、そういう規格で評価するべきものではない。
言うなれば0番打者とでも言おうか。
打点数が増えなくても、得点数が増えればいいことだ。
そもそも前にランナーがいれば増える打点は、純粋な評価はしにくい。
歴代の最高打点を、それでもあっさりと超えてしまうところが、大介のおかしなところだが。
NPBと違ってあがりの日がなく、スタジアムに常に詰めている。
武史は昨日完投したばかりなので、今日は間違いなく投げることなどはない。
なのでのんびりと試合を見物しているのだが、久しぶりに本格的に味方として眺める大介の打席は、ピッチャーとして対決したくないな、と感じるものである。
武史は直史と違って、大介と戦う義務も、そして勝てる自信もない。
直史にとっても確実な自信などはなかったのだが。
まだMLB一年目で、これからどういうキャリアを自分が過ごすのか、もちろんそれは分からない。
だがいずれ大介と敵対するとするなら、全力でそれだけは回避したい。
高校時代から比べて、プロではさらに強くなっていたが、同じように味方側から見て、はっきりと比較できる。
大介を打ち取れるのは、ほとんどいないだろう。
マイナーの方では今、105マイルを出すルーキーが出てきて、大きな話題になっているとも言われる。
二十歳でそのスピードというのは、まさに上杉クラスだ。
武史はその頃は、さすがにそこまでの球速はなかった。
コントロールが悪いためまだメジャーには上がってこらないらしいが、大介への対策として考えられるかもしれない。
事実NPB時代は、上杉と武史は、かなり大介を抑えているピッチャーだったのだ。
もちろん一番抑えていたのは直史である。
去年のワールドシリーズを見れば、もう直史でさえ大介を抑えるのは、ギリギリに近いようになっていると思う。
ただあの兄が、最後にはストレートを投げて大介を打ち取ったというのが、野球のピッチングの面白さになるのかとも思う。
今年の対戦チームは、去年よりも大介と勝負していると言われている。
そして勝負されていながら、大介は散々に打ち破っている。
やはり敬遠するしかない、と思われるだろうか。
しかし敬遠した結果が、大介が打点の倍以上にホームを踏むことにつながっているのだとも思う。
フィラデルフィアは東海岸有数の大都市で、NBAのチームがあるため武史も名前は知っている。
ただこのアウェイの試合においても、観客は満員となっている。
大介のバッティングを見るために、これだけの観客が集まっているのだ。
チームの垣根を越えて、圧倒的な人気を誇るプレーヤー。
スーパースターの器を、大介は持っている。
やはりあの、全力で野球を楽しんでいるプレーが、人々には受けているのだろうな、と武史は思う。
武史ももちろん、真面目に試合では投げている。
結果を出さなければクビになる。それがプロスポーツの恐ろしい現実だ。
だから兄の助言も樋口の助言も、また大介の助言さえも聞く。
その中で何を取得するかは、最後は自分の判断になるが。
ただそのあたり、直史は実兄だけに、かなり慎重に考えてくれているのは分かる。
家から出て独立し、妻子ももういるというのに、おそらく一生直史には頭が上がらない。
仕方がないかなとも思うが、このMLBという舞台で直接対決するという機会が生まれている。
アナハイムは今年も好調で、またもメトロズとのワールドシリーズになる可能性はあると思う。
その時に果たして、自分が直史に勝てるのかどうか。
いや、もちろん勝負する相手は、アナハイムの打線陣なのだが。
大介が味方にいてくれるとはいえ、アレクに樋口という、過去に援護してくれていた選手と今度は対決する。
本当に実現したら、かなり大変な勝負になるだろう。
フィラデルフィアとの第一戦は、8-1でメトロズが圧勝した。
そして第二戦も、6-2で危なげなく勝利していく。
これで開幕から八連勝。
東海岸は今年もメトロズなのかと、とにかく強すぎる試合展開である。
去年までは明らかにバッティングによる打力のチームで、今年もその打力と得点力は健在だ。
ただ明らかに守備力が増している。
ピッチャーの防御率も良化しているが、それは奪三振や与四球の数字の変化にも表れている。
チームの投手陣からすれば、坂本のリードが投げやすい、ということになる。
正確には面白いリードをしてくる、というものだが。
そう称えられている坂本自身は、今は単に自分のリードに、相手が戸惑っているだけだと認識しているらしい。
リーグも地区も違ったこともあるが、坂本のようなタイプのキャッチャーは今のMLBには珍しい。
ピッチャーのご機嫌を損じないように、それでも上手く狙ったところに投げさせる。
チーム状態は間違いなくいい。
それに相手の不幸を喜ぶようだが、アナハイムは先発の柱の一人、ヴィエラが一ヶ月の離脱となった。
ローテが抜けたことで、どうしても成績は落ちるだろう。
それでも地区優勝を逃すほど、極端に戦力が落ちるわけではないが。
去年と同じように、勝率でメトロズがアナハイムを上回っていること。
ホームのアドバンテージがなければ、メトロズが勝つのは難しい。
去年はそれがあってなお、負けているのだから。
ただ武史もある程度、考えてはいるのだ。
自分にあって直史にない部分。
それは単純に言えば球速だが、そこから生まれるもの。
奪三振。
瞬間的な快感を観戦者に与えるという意味では、武史の方が直史よりも、ピッチングで上回っている。
ホームでの応援を加味して、それで勢いをつける。
どんな勢いをつけても、それでも濁流をせき止めてしまう直史。
ほとんど超自然的な力に近いような、あの兄に挑むということ。
(負けても死ぬわけじゃないしな)
畏敬する兄ではあるが、畏怖しているわけではない。
そんな無責任な能天気さが、武史を直史に勝たせるかもしれない。
アメリカの西海岸では、アナハイムが開幕からの連勝を続けている。
東海岸のメトロズと、どちらがそれを伸ばしていくか。
もちろん他にもしっかりと、オフシーズンで補強してきたチームは多い。
だがそれでも去年に続き、この二チームが圧倒的なスタートダッシュを決めている。
第三戦のメトロズの先発はオットー。
打線の援護もあって問題なく、最初の先発も勝利していた。
現在のメトロズの打線の調子を考えれば、五失点ぐらいは充分に逆転の範囲内。
そんなアナハイムの一回の表、大介をどうするかが、フィラデルフィア首脳陣の迷うところである。
簡単に敬遠してしまえば、恐ろしいランナーとなる。
去年は一年間で115盗塁と、二位以下にダブルスコアで盗塁王となったバッターだ。
その走力に長打力がついていることが、本当に反則以外の何者でもない。
一応弱点としては、外角にあるのではと言われたりしている。
外角を打つために、あの長いバットをつかっているのだ。
身長から手の長さも考えて、間違いなくアウトコースは本来なら苦手。
だが大介は普通に、アウトコースもホームランを打ってしまう。
単純に歩かせるわけにもいかないが、真っ向勝負はもってのほか。
ならば外角をメインに、ボール球の打ち損じを狙えばどうだろうか。
おそらくそんなことを考えているのだろうな、と大介は外のボール球をあっさりと見逃す。
確かに大介はボール球を無理に打ってミスショットすることはあるが、これは一回の表なのだ。
出塁出来るなら出塁し、二塁を狙った方がいい。
ここまでの二試合から、そのぐらいの考えは至ってもいいだろうに。
大介はあっさりとフォアボールを選び、一塁からピッチャーに圧力をかけることを選ぶ。
もう少しあからさまではない、ゾーン内で勝負してもよかろうに。
そう大介は考えるのだが、これまでの大介の数字を見れば、そんな恐ろしいことが出来るはずもない。
シュミットがストレートを弾き返して、いきなり長打で大介はホームに帰ってくる。
二人だけで普通に一点と、この一番と二番の組み合わせは恐ろしい。
いいバッターは打線の前に置くという、セイバー・メトリクス以降の打順の革新。
それが一番上手くいっているチームが、今のメトロズなのかもしれない。
ただこの日、試合自体はそうそう簡単に決着がつかなかった。
ピッチャーの調子は水物というもので、オットーがいまいち立ち上がりが悪かったのだ。
ビッグイニングを作ってしまうわけではないが、毎回ランナーを出してしまう。
そしてポツポツと得点も許す。
メトロズベンチはなんとか、五回までは投げてほしいと考える。
そこからリリーフにつないで、あとは打線の援護を信じよう。
去年もメトロズは、ハイスコアゲームを制してきたのだ。
9-8などというスコアでの勝利も何試合かある。
この日も結局、オットーは五回五失点で降板。
この時点で5-5と、勝利投手の権利を持っていない。
実はメトロズはここまで、八試合連続で、先発投手が勝ち投手となってきた。
その連続記録が、ここで止まってしまったのだ。
なおアナハイムの方は、リリーフデーでリリーフ陣の継投による勝利があったため、既にその記録は途切れている。
その意味ではメトロズは、もったいないことをしたと言えるかもしれない。
メトロズの人間は首脳陣から選手まで、アナハイムより先に負けるのは嫌だな、と思っている。
去年MLBの歴史を塗り替える117勝に到達し、21世紀以降初のワールドシリーズ連覇へと、メトロズは驀進していた。
それを止めたのがアナハイムというか、直史であった。
坂本もその一員であったのだが、やはりアナハイムは直史の印象が強すぎる。
そして今年のアナハイムは、去年はなかった得点力が、大増加している。
ほとんどの試合で五点以上を得点と、メトロズのお株を奪うような得点力。
そうなるとメトロズとしても、なんとしてでも勝とうという気分になってくるではないか。
リリーフ陣を、七回のビハインド展開から、勝ちパターンを投入。
おいおい、と他は思うかもしれないが、メトロズベンチとしてはごく自然の選択であった。
そしてその間に、回ってきた上位打線。
今日はまだ一本もヒットを打てていない大介が、フラストレーションをためている。
もちろんこんな大介と、勝負するわけにはいかない。
フィラデルフィアのホームだったのでよかったが、それでも申告敬遠には、残念そうなため息が混ざる。
そしてこんなことをされては、次のシュミットが黙ってはいない。
ピッチャーとしてはまさか、シュミットまで歩かせて、逆転のランナーを出すわけにはいかないのだ。
だがそれでカウントを悪くして、甘い球を投げてしまうならば。
それならもう最初から、勝負を避けてしまっていた方がいいだろう。
シュミットの打球はスタンドに到達し、逆転のホームランとなる。
そしてここから、メトロズはもう得点を許さなかった。
九連勝となった。
日程の都合でアナハイムは、もう10試合を消化している。
試合に勝ったのはいいものの、その後アナハイムも10連勝したことが明らかになる。
そして明日、またメトロズは移動である。
フィラデルフィアまで来て、一試合にも投げずに、そのまま次のマイアミへ向かう。
どうもこのあたり先発ピッチャーの、扱いに納得がいかない武史である。
詰まった日程で多くの試合を消化するなら、いっそのこと日本のように、ロースターとベンチ入りを別にすればいいのでは。
武史はそんなことも思うのだが、そうなるとピッチャーがよりたくさん必要になる。
MPBは12チームだが、MLBは30チームもある。
それだけのチームに、ピッチャーを充分に供給できるのか。
それは出来ない、というのが今のMLBの考えなのだろう。
キャンプを行ったフロリダ、そしてNBAの試合を見に行ったマイアミで、武史は今季初のアウェイ登板となる。
同じアメリカなのに、マイアミとニューヨークではかなりの緯度の差がある。
幸いと言うべきか、武史の投げるのは三試合目。
マイアミのチームの傾向は、この間の試合を見て分かっている。
あとはどうやって封じるかという問題だ。
飛行機を降りれば、あのキャンプの時の熱気が甦る。
ニューヨークは四月でまだ寒かったものだが、こちらはやはり暖かい。
この気温差と気候差は、やはりアメリカならではのものだろう。
日本も北海道から福岡まで、そこそこ緯度に差はある。
だが日本の場合は北海道も福岡も、ドーム型の球場だ。
アメリカの場合は基本的に、全ての球場が野天となっている。
当然ながらそれにともなって、天気や気候も変化するというものだ。
幸いにも武史の登板する試合に、天気が崩れる様子はない。
ただこの環境の変化は、いずれ体調を崩すことになるのではないか。
馬鹿ではないがほとんどまともに風邪も引いたことのない武史は、そんな繊細なことを考えていた。
自分のことが分かっていないという点で、武史はやはり、まだまだ限界に遠い人間なのである。
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