終章 ―幸―
終章―幸― 1
葵祭から数日後、一連の毒の事件に関わった者たちの処分が下された。主犯格とされる源大臣、兵部大輔とその北の方は流罪。彼らに加担した者は官位剥奪や財産没収となった。都が安定してから、帝の裁きによる死罪は行われなくなったが、ここまで明確に帝を殺そうとしたのだ、例外的に死罪の沙汰が下るかもしれないと言われていた。だが、帝はその判断はしなかった。
清涼殿に呼ばれていた菫子は、そのことを尋ねてみた。帝の装束は、紅の長袴に二藍の直衣で、夏仕様となっていて涼しげだ。帝は体を脇息に預け切ったまま、軽い口調で答えた。
「むやみに人を殺すものではないからのう」
実際に命令すれば、それがいとも簡単に出来る人物だからこその言葉と言い方であった。菫子は、帝の言葉を聞いてある意味で安心した。
「主上であれば、わたしがもしもの場合でも適切に対処なさることでしょう」
「それは、兵部大輔の北の方が申したことか」
「はい」
捕縛後に大叔母から聞いた話によると、毒小町の毒は変化することがあるらしい。弱くなったり、滅多にないが逆に強くなることもあると。母は唇の毒が弱まり、宮仕え、つまり密殺の仕事を辞めることになったのだという。
菫子の高熱を引き起こす毒も、いつの日かもっと弱くなったり、もしくは人を殺めることの出来るほど強くなってしまうかもしれない。後者になった場合、きちんとした対処をしてくれる帝がいることで、菫子自身が安心出来る。
「その時は、よろしくお願いいたします」
「うむ、承知した。まあ、そのもしもが来ないことを祈るがな」
帝は手をひらひらさせて、この話は終わりだと示した。いつものように隣に控えている俊元に、帝は目配せをした。俊元は手元の資料に目を向けながら、口を開いた。
「東宮様が、東宮の座を辞されたんだ」
「そうなのですか」
東宮は、微量の毒を飲まされていたことが分かり、菫子の指導の元、治療中であった。何度か菫子も会ったが、ほわりとした優しげな男性だった。一連の事件は東宮派によるものであったが、東宮が指示をしたことは一切なかったという。むしろ傀儡として反乱に利用され、もしも反乱が成功したとしても、引き続き政治の傀儡とされていただろうと言われている。
「利用されていたとしても、東宮の座にいる者に何の処分もないのは、おかしいだろうとおっしゃられてね。それに、ご自身がこの座にいることがまた争いの種になるだろうから、とも」
「清廉なご判断でございますね……」
帝が、少し複雑そうな、拗ねたような顔をして、唸っていた。どうしたのかと首を傾げていたら、帝は独り言に近い口調で言った。
「あやつ、最初は姓を受けて臣下に下ると言いおった。さすがに毒に侵されている者を今すぐにとはいかぬ。今は親王の一人という扱いだ。ただまあ、臣下に下った方が色々と自由で、あやつは気が楽かもしれんな」
「そこは追々、ご本人と相談の上で決められたらよろしいかと。今はご兄弟、気兼ねなく話すことが出来ますし」
「そうだな」
俊元に言われ、帝は気分を変えるように、
「そなた、今後はどうする」
元々、菫子が宮中に呼ばれたのは、毒の調査をするため。それが終わった今、身の振り方を決めなくてはならない。その決める権利が与えられていることに、帝の心遣いが見えた。
少し前に、俊元の計らいで父と会う機会を得た。約十年ぶりに会う父は、やはり歳を取っていたけれど、それでも懐かしさを覚えた。父から、藤原家に帰ることも出来ると聞かされた。もし別の可能性があるのなら、そうしてもいい、菫子の好きに選んでいいとも。
菫子は、考えた。たくさん考えた上で、答えを出した。
「お許しいただけるならば、わたしは、内裏女房を続けたく思います」
始まりは、ほぼ強制的に連れて来られたことからだった。でも、今は自分の意志で、ここに居たいと、そう思う。
「うむ、許可する。俊元、あれの準備と知らせを出しておけ」
「かしこまりました」
帝と俊元の間で、短い言葉でやり取りがなされていた。もしかすると、菫子が宮中に残ることを望むと、予想していたのかもしれない。
「藤小町、明日もう一度、清涼殿に来てくれる? 紫檀と紫苑も連れて」
「はい。かしこまりました」
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