序章―毒― 2
「主上! お下がりくださいませ!」
武装をした者が慌てた様子で声を張り上げた。何事かと俊元が短く問うと、苦い顔をしながら彼らは答えた。
「毒蛇が侵入したという情報を受けました。大事になる前に捕獲をと捜索しておりましたが、こちらに逃げ込んだという目撃情報があり……」
彼らは、宮中を警護する任にあたる、滝口の者。人間の侵入者に対してはその力を発揮するが、今回蛇のような小さきものの侵入には、対応に遅れが出たらしい。
「主上、奥へ」
俊元は帝を危険から遠ざけるべく、昼御座の中へと促した。その時、細長い体を巻き付けて高欄を上ってくる蛇を目の端で捉えた。
「!」
帝もその存在に気が付いたようで、咄嗟に身を引いた。
俊元は刀を抜いた。蛇が高欄からこちらに飛びかかろうとした瞬間に、それを斬り捨てた。驚いた鶯が、甲高い声を上げながら飛び去って行った。清涼殿に血の穢れを発生させてしまうことはよろしくはないが、帝の命の方が優先である。
「主上、お怪我は?」
「ない。よくやった、俊元」
「いえ、この程度は。――っ!」
毒蛇は一匹だと、思い込んでいた。
帝の背後を狙うかのように、別の蛇が高欄から鎌首をもたげていた。すでに攻撃態勢に入っている蛇に、ここからでは僅かに手が届かない。間に合わない。
その時、帝と蛇との間に、鈍色の着物が滑り込んできた。彼女が、蛇に立ち塞がったのだ。一瞬生まれた時間で、俊元は帝を昼御座の中へと押し込んだ。
「大丈夫で――!?」
蛇は、彼女の腕に噛み付いていた。その牙が深々と白い肌に突き刺さっている。
俊元はその光景に最悪の展開が頭をよぎるが、彼女の表情があまりにも冷静で、ふと思い至った。彼女の体全てが毒、つまりその血も毒である。体勢を見るに、わざと噛ませたようだった。
蛇は自ら彼女の腕から牙を抜き、その場にぼとりと落ちた。細かく痙攣を起こしている。いつの間にか彼女は矢を手にしていた。滝口の者が焦って落としたものを、拾ったようだ。そして、彼女は、矢尻で自らの腕を切り付けた。
「何をしているのです!」
「?」
彼女の腕から滴り落ちた血は、蛇に降り注ぎ、完全にその動きを止めた。彼女の唇が蛇へ向けて、ごめんね、と動いたように見えた。
思わず叫んでしまった俊元に、彼女は困惑の目を向けた。どうして責められているのか、分かっていないという表情だった。そして、何かに気が付いたようで、膝を付いた。
「血の穢れを発生させてしまい、申し訳ございません。処罰はお受けいたします」
「そういうことでは……」
言いかけて、今ここで言うことではないと思い直した。彼女は、あまりにも自己犠牲に躊躇がなさすぎる。それを目の前でまざまざと見せつけられた。自覚も全くないようだから、これは、かなり危うい。
後ろを振り返って見れば、帝が険しい表情を浮かべて彼女を見ていた。おそらくは俊元と同じようなことを思っていたのだろう。帝は俊元に目配せをして頷いた。しっかり見ておけ、ということだと理解した。
「お、おい、蛇が死んだではないか」
「本当に、この娘には毒があるのか! 毒小町は本当だったのか!」
思い出したように、側近たちが騒ぎ始めた。実際、目にするまで、毒を実感出来なかったことは、俊元にも理解出来るが、何故か彼女が嘘を言っていたような口ぶりである。彼女は、ほんの少し、悲しそうな顔をしたが、次の瞬間には表情を引き締めていた。
「申し上げます。これらの毒蛇は、野生のものではありません。
「蟲毒、とは何ですか」
「はい。蟲毒とは、人を呪うために作り出されたものでございます。蛇や蛙、虫など、毒を持つものを一つの壺に入れ、互いに殺し合わせるのです。最後に生き残ったものが蟲毒となり、人を呪う道具となるのです」
側近たちが袖で口元を覆いながら、おぞましい、と零している。俊元は、あまり顔に出さないようにするため、その光景を想像することは避けた。
「ただ、二匹いたことからも、術師ではない、素人の手によるものでしょう。毒が弱すぎます。……呪術については専門外のことゆえ、浅い知識で失礼いたしました」
彼女は、話し終えると再び頭を垂れた。矢尻で傷付けた腕は、帝の目に触れないよう、袖で覆っている。本人は浅い知識と言っているが、少なくともここにいる者たちよりも知識がある。毒についての知識にも期待が持てるというもの。
「でたらめを申すな! そう、そうだ。あの蛇どもはおぬしが用意したのであろう! 帝に認められるための自作自演だ」
側近たちは、なおも彼女を排除しようと動く。これでは話が一向に進まない。
「そうお思いならば、斬り捨てくださいませ。その蛇のように」
「……っ」
彼女の言葉に、側近たちが黙り込んだ。自分の手で斬るまでの覚悟はなかったらしい。だが、引くに引けなくなっているのもまた事実。
帝が、毒小町、と呼びかけた。
「何故、自らの腕を犠牲にして、助けたのだ。理由を述べよ」
「わたしは、体の全てが毒でございます。ゆえに他のどのような毒も効きません。が、一番の理由としては――――人が死ぬところを見たくありませんので」
「ははっ、そうか」
「主上を
「よい」
怒り出す側近に対して、帝は笑みを浮かべている。帝を他の者どもと同じように只の人と扱うことは不敬に当たることもあるが、本人が許しているのだから、問題はない。
「私とて、人が死ぬところは見とうはない」
先ほどの、気に入らなければ斬り捨てろ、という言葉に対する答えである。帝は続けて語りかけた。
「傷の手当を、と言いたいところだが、毒の体には誰も触れられぬか」
「洗い流すことが出来れば、それで充分でございます」
「そうか。俊元、井戸まで案内せよ。他の者はもうよい、下がれ」
「かしこまりました」
俊元は、彼女に近付き、こちらへどうぞと外に出るように促した。
背後では、まだ納得していない側近たちが何かしら言っている。だが、それは帝に一蹴された。
「おのれが解決出来なかったことを棚に上げて申すか。ひと月何の成果も上げられず……恥を知れ」
「も、申し訳ございません」
「失礼をいたしました……」
毒についての調査、それを初めに請け負っていたのは彼らだった。だが、一か月何も手掛かりを得られず、俊元へとそれが回ってきたのだ。前任者として出席していたはずなのに、役に立つ情報共有すらなく、帝の怒りを買うことになった。
俊元は、近くにいた役人に、清涼殿の祓えをするように言いつけて、彼女を井戸に連れて行った。
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