第30話 抜け出した?
翌朝。アリアは大広間にいるメイド全員に、連絡事項を伝える。表面上はいつも通りを装っているつもりだが、内心はかなり緊張していた。
「今日は体調でも悪いんですか」
「わ、悪くないわよ。どうして」
平然を装っているつもりだったが、あっさりローラに見破られた。気を抜いていたせいで、声が上ずってしまう。
「いつもアリアさんのこと見てるから、分かりますよ。体調が悪いって言うか、緊張してます? 顔が強張ってますよ~」
「わっ」
ローラは両手でアリアの頬を触る。急にその手で口角を持ち上げた。
「これで笑顔ですね」
「もうっ。びっくりするじゃない。何かと思えば―」
「アリアさん、笑顔笑顔」
ローラは両人差し指で、自分の口角を大袈裟に持ち上げる。アリアは「笑顔」の言葉に反応して、咄嗟にいつもの笑顔を作った。
「作った感が否めないんですけど、笑ってくれたのでオッケーですね」
嬉しそうに、ローラはピョンピョンと飛び跳ねている。それを見たアリアからは、小さな笑いが漏れた。
「ローラ、ありがとう」
「いいえ! アリアさんのためなので」
アリアはローラと別れて自分の仕事に戻る。今日は十五時にアクア王国へ行くことになっている。それまで、エリリカは書類に目を通し、アリアはメイド長としての仕事をこなすことにした。
アリアが廊下を歩いていると、執事長のトマス・ルートとメイドのアスミ・トナーが片隅で話をしていた。
「どうされたのですか。廊下ではなく、お部屋をお使いになってはいかがです」
「丁度良いところへ。アリアさんをお呼びしようと思っていたところです。昨晩、アスミさんがお城を抜け出したようなのです」
一瞬、トマスの言葉が理解できなかった。だって、アスミは誰よりも真面目に仕事をしている。アリアは半信半疑な気持ちでトマスに聞いた。
「この子は真面目な子ですわ。見間違いではないでしょうか」
「私もそう思って、直接聞いていたところです。そしたら、アスミさん自身が認めました」
「えっ! 本当なの?」
トマスの隣に立つアスミに視線を移す。彼女はエリリカの部屋で話を聞いた時のように、黒目を震わせて怯えている。アリアはその表情が不思議だった。正直、一回脱走したくらいなら、怒られて終了だ。そこまで怖がる必要はない。
住み込みの使用人として働く場合、基本的に勝手に外出することは許されない。城門の施錠があるからだ。しかし、勝手に外出するのが許されないのであって、許可を取れば誰でも自由に外出できる。許可といっても申請すればすぐに通る。惜しむほどの手間ではない。
アスミは、やっとのことで声を絞り出す。
「は、はい。ごめんなさい。その、少しだけ、散歩したかったのです。こ、ここ最近、嫌なこと続き、だったので」
「私としてはアスミさんの気持ちも分かるので、今回はお咎めなしでもよろしいかと思います」
トマスは優し気な瞳でアスミを見た。しかし、当の本人は下を向いてしまっている。アリアには、これほどアスミが怯える理由が分からなかった。
「そうですわね。非常事態でしたし。それほど気にしなくても大丈夫よ」
「す、すみませんでした」
数回頭を下げて、アスミは自分の持ち場へ戻っていく。その足取りは重く、鉛がついているかのようだった。
「トマスさん。アスミが抜け出したことを報告したのは誰でしたの」
「一階の窓からアスミさんが抜け出したのを、夜の警備兵が見つけました。見た時には、窓から外に出て遠くなっていたので、追いつくのは無理だったようです。窓を閉めると城に入れなくなるので、仕方なくアスミさんを待っていました。城に戻ってきたのは、三、四時間が経った後です。それで、警備兵がアスミさんに注意したそうです」
トマスの話を聞いて、アリアは酷く落ち込んだ。メイド長である自分は、全メイドを教育する立場にある。それに、心身の体調だって、すぐに気づけなくてはいけない。
「メイド長である私の責任ですわね。アスミの不安に気づくべきでした」
「それは、アリアさんのせいではないでしょう。全ては犯人の仕業です。どうか、一刻も早く、お嬢様と犯人を捕まえて下さい」
トマスのお願いに、アリアは力強く頷いた。エリリカが真実を見つける手伝いをする。それが、今のアリアにできる精一杯。側にいるだけで支えになれるのなら、いつだって彼女の側にいる。
その後、仕事や昼食を済ませて執務室へ向かう。エリリカは処理が必要な書類とにらめっこしていた。
「飽きた。疲れた。もう、無理~」
「本来はこのような職務が毎日ありますのよ。ほら、あと少しですわ。エリリカ様が休憩できますように、お紅茶とお菓子をお持ちしました」
「お菓子! 残り少しだし、すぐに終わらせるわ。待っててお菓子」
エリリカは凄まじいスピードで書類を片付けた。こういう時に限って、人一倍仕事を終わらせるのが早い。
書類を机の脇に置いて、アリアが持ってきたお菓子を手に取る。
「美味し~い。これ、きっとコック長の創作お菓子よ。今度、『美味しかったからまた作って』って言わなきゃね。天才よ」
「うふふ。良かったですわね。コック長も喜びますわ」
突然、エリリカがお菓子をすくってアリアの前に差し出した。
「はい、あ~ん」
「ええ、私は結構です。それに、勤務中ですし」
「大丈夫よ。二人だけの秘密ね」
「勤務ちゅ・・・・・・んぐっ」
エリリカは、少しでも開いた口にスプーンを突っ込んだ。アリアは口を押えて上品に咀嚼する。
「美味しい。でも、急にスプーンを入れたら危ないですわ」
「ごめんね。アリアは無駄に頑固で真面目だから、絶対食べてくれないと思ったのよ。だって、美味しい物はアリアと共有したいじゃない。あなたと一緒じゃないと意味がないわ」
「あ、ありがとう、ございます」
エリリカは眩しい笑顔をアリアに向ける。アリアが好きな、太陽みたいな笑顔。結局、今回もエリリカの行動を許してしまった。
「そういえば、もう十二時半を過ぎたわね。そろそろアクア城に向かいましょうか」
「かしこまりました。緊張しますわね」
イレーナ大臣に、ライ大臣の事件の話を聞きに行く。もうすぐ事件が解決するかもしれない。それだけで、アリアの肩に力が入る。
「私も緊張してるわ。どれくらいかっていうと、アリアが出した宿題をやり忘れて、それをどう切り出すのか考えてた時くらい」
「それは、どれくらいですの」
「アリアの緊張と同じくらいってことよ。さぁ、急いで急いで」
「わっ、押さないで下さいませ。危ないですわ」
こんな調子で歩いていると、十五時少し前にアクア城に到着できた。もちろん、フレイム王国の女王であっても、関所の通行記録を書くことは忘れない。
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