第18話 出血


 「ミドリッ!!」


 アンリが呼びかけるミドリは肩が裂けて大量の血が噴き出している。その倒れこんだ地面にはミドリの体内から出た血が広範囲に広がっていて止まらない。


 「どうして!?あの柱は避けたんじゃないの!?」


 「違う!直撃は免れたけど、ミドリの右肩をかすめていったんだ!その大きさと速さから先端が数センチぶつかっただけでもこんなに深く傷を負ってしまっているッ!」


 「そんな……。私を庇って…………」


 ミドリの肩はアンリの言う通り結晶の柱が数センチかすめて通っただけだったが、その数センチ分、大きく肩の肉をえぐり取っていた。


 二人はミドリの肩を何とか止血しようとルナはドレスの裾を破いて傷口を塞ぎ、アンリは腰に巻いていた革のベルトをきつく巻き付けて対応し、何とか先ほどまでの流血は収まったが、相当重症な事には変わりない。


 「ミドリ、大丈夫か」


 「あ、あぁ。ルナは平気か」


 ミドリは何とか痛みを堪えて起き上がるが、あまりの激痛に顔をしかめた。


 「私はいいのよ!ミドリはそれ以上動いたら余計に傷口が開くわ!だめよ……」


 これ以上の出血は生死に関わるとみたルナとアンリはミドリをこれ以上動かさないようにしたが、これでは状況は一向に良くならない。


 一発目の柱が外れたことを見た人間もどきはさらに二発目を準備しようと近くの鍾乳洞にまた手をかけている。洞窟の出口まではあと500メートル程あり、今度は後ろの人間もどきに気を付けながら走れば逃げ切れる距離かもしれないが、それはルナとアンリに限った話で重症のミドリにそれは叶いそうもない。


 「どうしたらいいんだ…………」


 当然アンリもルナもミドリを置き去りににして逃げるようなことは考えていないが、とはいえミドリを連れて出口まで走れるほどの輸送力も持ち合わせていない。だがその間にも後ろの人間もどきは次の攻撃を仕掛けてこようとしている。


 「どうしてあの人間もどきは私たちに攻撃しようとしてくるの!?私たちは何もしていないわ」


 「いや、何もしていないことは決してない!動物にしても人間にしても妖魔にしても何もなしに攻撃してくるものはまずない。それなりに理由がないとおかしいんだ。だからきっとあの人間もどきにしたら僕たちがあの鍾乳洞に足を踏み入れたのが縄張りを荒らされたと思ったに違いない!見た目はそうでも奴を、分かっちゃいることだが人間だとは思わない方がいい!」


 アンリがそう言うと、再び背後から「ブォォォオオ」という獣のような咆哮が聞こえて、人間もどきは結晶の柱を三人めがけて投擲した。


 「ミドリは避けられないわ!」


 「いや、外れている!」


 ルナは今度こそ避けられないと覚悟したが、投げられた結晶の柱を冷静に見ていたアンリはその飛来する物体の方向が三人よりもかなり上を通過することをすぐに見切った。


 が、一枚上手だったのは投げられた結晶の柱を見切ったアンリでは無かった。


 彼の予想通り投げられた柱は三人の頭上を通過していった。だがその通過した柱は彼らの遥か先の洞窟の入り口近くの天井に激突し、天井の壁を崩落させた。


 「何ッ!」


 アンリは崩れ落ちた方を見ると、その先には先ほどまで見えていた洞窟の出口の光が遮られるほど崩落した天井の岩で埋め尽くされていた。完全に出口が塞がれてしまったのである。


 「しまった…………」


 ミドリは辛うじて首を回して周囲を見渡すと、出口を塞がれてしまったことを確認して思わず呟いた。


 「どうしよう、アンリこれじゃあどのみち脱出できなくなってしまったわ」


 「分かってる。今考えている!」


 ミドリは手負いで動けそうにはなく、ルナは恐怖に支配されていてこれもまたまともに動けそうにはない。


 アンリは自分がこの状況を何とかしなければならないと自覚していたが、退路を断たれ、目の前には巨大な化け物が鼻息を荒くしてこちらにゆっくりと向かってくる。人間もどきは三人の退路を断ったのをいいことに落ち着いた様子で焦ることなくゆっくりと歩いてくる。そしてその手には第三の結晶の柱を既に手に持っている。


 「アンリ…!!弓矢持っていただろッ。それであの化け物を攻撃しろッ!」


 アンリは目の前に迫る状況の打開策を思いつかずに思わず舌打ちをしたその時、ミドリがアンリに対して言葉を絞り出した。アンリは今まで忘れていたが、ミドリの言葉で自分が腰と背中に弓矢を背負っていたことを思い出した。


 そしてそれを思い出してからのアンリの行動は早かった。地面に片膝をついて体を安定させ、背中に背負った弓を構えて弓矢を胸いっぱいにひきつけて素早く化け物に向かって矢を放った。


 放たれた矢は一直線に化け物の左胸に直撃した。


 「当たった!」


 ルナはアンリの放った矢が化け物に命中して喜びの声を上げたが、化け物は動きを止めない。しかしそれはアンリも想定内だった。


 彼は野生の大型の熊を相手にするときに矢を一、二本当てたところで重症であることには変わりなくとも死ぬまで動きを止めることなく敵に突進を続けることを知っている。動物の生命力や闘争本能というのは人間とは桁違いの胆力を持っている。

 

 今現在目の前にいるのは大型の熊をも凌駕する巨体の化け物である。矢が仮に心臓に直撃していたとしても直ぐに動きを止めないことはアンリの予想の範囲を超えるものではなかった。


 「まだだッ!」

 

 アンリは自分を鼓舞するかのようにもう一度気合を入れ直してすぐさま第二射を放ち、その矢の軌道を見届けることなくまた第三射、第四射を放った。


 「す、すご、い」


 ミドリは矢の軌道をすべて見ていたが、この緊張状態でアンリは全ての矢を、第一の矢を左胸、第二の矢を右太もも、第三、第四を頭部に全て命中させている。


 「これでどうだッ!」


 アンリは腰の矢筒に入った最後の五本目の矢を取り出して渾身の力で放った。そしてその矢はまたも正確に目標の左足に命中し、化け物は膝から崩れ落ちた。


 「やったわ!」

 

 化け物が地面に膝をつく様子を見てルナは声を上げたが、完全に化け物は倒れているわけではないのでアンリは警戒心を緩めてはいなかった。


 「まだ分からない。膝をついただけだ。今のうちにどうやって逃げるかを考えないと。……ミドリ、自分で歩けるか?」


 「あぁ、幸い怪我をしているのは脚じゃない。立たせてくれれば後は自分で何とか歩ける」


 「この洞窟は色んな出口に繋がっているはずだから取り合えずはこの場を離れよう。あそこがいい」


 そう言ってアンリは三人がいる場所からすぐ近くの脇道に逸れるための分かれ道を指さした。


 ミドリはアンリに肩を貸してもらい立ち上がると、三人は数十メートル先の道を目指して歩き出したが、やはり事態はそう簡単に収束しなかった。


 背後からまたも「ブォォォオオ」という地響きのするような雄たけびが聞こえると、三人が向かっていた脇道に逸れるための入り口を結晶の柱を投擲して再度道を塞いだ。


 「何なのよ!あの化け物は倒したんじゃないの!?」


 ルナは絶叫するような声を上げ二人を見たが、ミドリもアンリもその答えを知るはずはない。


 振り返って化け物の方を見ると、確かにアンリの放った矢は体に突き刺さったままで、体から血が出ているのも確認できるがその様子から致命傷に至っているようには見えない。


 「皮膚が相当厚いのか……?僕の命中させた場所は急所を突いているはずなのにどうしてそんなに直ぐに動けるんだ。五発も当てれば普通の生物なら少なくとも動けないはずだ」


 アンリも自分の放った矢がまるで効果を示していないことに衝撃を覚えている。


 「つまるところ、普通の生物じゃあないって…ことなんだろうよ、あの化け物は」


 ミドリは壁を支えにして10㎝以上深く裂けた肩を押さえながら何とか立っている状態で化け物をにらみつけながら言った。


 その化け物は長い腕を前に出して支えにしながら四つん這いで三人に向かって歩いている。矢は刺さったままだが、痛がる様子はなく肩で大きく息をしながら鼻息荒く唸り声を上げている。


 そして何がきっかけだったのか分からないが、今までは移動はゆっくりと歩いていた化け物だったが、三人に向けて突然走って突進してきた。しかもその速度は速く、チーターのように手と足を起用に使って体を曲げたり伸ばしたりしながら物凄い勢いで向かってくる。


 「速い!?」


 「まずい、避けろ!」


 まずルナがやはり声を上げて、次にアンリが他の二人に対して指示をした。


 化け物は三人のうちの誰かに対して突進を仕掛けたというわけではなく、血走った目で興奮しながら暴走するように向かってきたので、三人はそれぞれに何とか壁際に避けて化け物の突進を躱すことに成功した。とはいえ化け物の攻撃は終わったわけではなく、三人を勢いそのまま通り過ぎると、すぐに振り返ってまた雄たけびを上げて突進の準備を始めて体を縮こまらせている。


 「どうするの、これじゃ私たち三人ともやられて終わりよ!!」


 「考えないと…………!!!」


 アンリはとにかくひたすら考えるという言葉を繰り返しているが、ミドリはそうでは無かった。

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