第11話 出発
☆
教会の朝は想像以上に早かった。
何となくのイメージから朝は早いのだろうなとミドリは覚悟はしていたが、壁に掛けてある時計を見ると時刻はまだ朝の五時である。想像よりも一時間は早い。
瞼の裏から光を感じたので目を覚ますと、アンリは既に起きて部屋のカーテンを開けていた。朝日はまだ昇っていないが空はもう明るくなってきている。橙色と紫色の混じり合ったような綺麗なグラデーションの空だった。
いつの時代のどの場所でもこの空は同じように人々の目に移ってきたのだろうか。変わらないものを目にしてミドリは少し懐かしい気持ちになった。
「おはよう、ミドリ。よく眠れたか?」
「おはよう。よく寝れたよ。それにしても朝早いんだな。まだ朝の五時だぞ」
「朝は僕の仕事があるからな。ミドリにも、もちろん手伝ってもらうよ。着替えは一応そこにあるのを着てくれていいよ」
「分かった」
アンリがそう言って指差したのは箪笥の上だった。
既にミドリの着替えを用意しておいてくれたらしい。ミドリの身長は180センチほどで、アンリの身長はミドリよりもやや小さいぐらいなので同じ服のサイズでも問題ないと思われる。なので用意された服ももしかしたらアンリのものかもしれないなと、不意に思ったが、ミドリはそれを拒むような潔癖でもないし、そんな失礼なことは言うような人間ではない。
ミドリは身支度を済ませるとアンリの先導を受けて教会の外へ出た。
向かった場所は村の中心近くにある井戸である。彼は朝に水汲みをすることが仕事の一つとなっているらしい。知識としては井戸の存在を知っているが、実働している本物をミドリは初めて見たので感動を覚えた。
「凄い、本物の井戸を使っているんだな」
「そうだよ、村の水は基本的にこの井戸から汲み上げて使うんだ。たまに川まで行くこともあるけどそれは本当に稀だな。ほら、ミドリも顔を洗いな。目が覚めるぜ」
アンリは汲み上げたばかりの透き通った新鮮な水をミドリの顔めがけてピシャリとかけて笑った。自然に冷えた水は冷たくて気持ちよく、寝起きでぼんやりとしていた頭を冴えさせるにはもってこいだった。
しかしこれだけではまだ起きてから30分もたっていない。仮に朝の仕事というのがこれだけであれば拍子抜けである。こんな早起きしなくても十分だろう。
「アンリ、朝の仕事っていうのは水汲みだけか?これだけならこんなに朝早く起きなくてもいいんじゃないか?」
「まぁじきにわかるさ」
そんな会話をしたのも懐かしく感じる二時間後。
朝七時。
「アンリ、これだけの仕事を毎朝一人でやっているのか……?」
結局あの後およそ5キロ強入る水の入ったバケツを両手に持って十往復し、薪をたくさん割って火を焚き、教会の庭の植物に水をやった後、さらには村の鶏のエサやりまで済ませた。
ミドリは筋力も年相応にそこそこついているし、体力も平均以上にはあるはずなのだがそれでも体はバキバキになっている。水汲みと薪割りが想像以上に身体の普段使わない筋肉を刺激して疲れたようだった。
アンリも慣れないミドリに仕事を教えながらだったので一人でやるのと結局同じ時間になってしまったらしいが、これを一人で毎朝やっていると考えるとミドリは尊敬せざるを得なかった。
「これだけでヘトヘトじゃまずいよミドリ。まだ一日は始まったばかりだ」
ミドリは体中のきしむ音を聞きながらなんとか腰を伸ばしたりしながら体を起こしているが、対するアンリの方はピンピンしている。
さすがは鍛えられているだけあり、まだもう一セットこの仕事があっても乗り切れそうなほど元気である。きっと弓の腕もこうして日々の鍛錬で鍛え上げたのだろう。見た目に似合わず相当勤勉な性格だとみえる。
もうすでに朝日は昇っていて、空気中の水分が光を乱反射して輝いて見える。
二人は朝の一仕事を終えて教会の庭で座りながら談笑をしていると、後ろの教会の建物と庭とを繋ぐ扉が開く音がした。
「二人ともおはよう。朝ごはんの支度が出来たわよ」
「おはよう、ルナ」
「おはよう」
扉の奥から出てきたのはルナだった。
彼女はアンリやミドリのように朝の五時からは動いていないだろうが、二人が活動している間も休んでいたわけではなく朝ごはんの支度をしていたらしい。聞けば他にも教会内の掃除も担っているようで、もしかしたらあれだけ大きい内部の掃除となれば五時から起きているのかもしれないがそこまでは聞くことは出来なかった。
二人はルナに対してそれぞれ挨拶をして朝食へと向かった。
☆
朝食はパンに目玉焼き、サラダ、そしてスープだった。
イメージするザ・朝食といった並びだが、これだけきちんと整った食事を毎朝並べている家庭がどれだけあるだろうか。ご飯に案内された時にルナは朝ごはんは質素でごめんね、と言っていたがミドリにとっては十分豪華であった。
それに昨日の晩御飯の時から感じていたが、ルナとターニャの作るご飯はかなり美味しい。人の作るご飯は独特の家庭の味のようなものがあるが、そう言ったものも感じることなく純粋に美味しいと感じた。目玉焼き一つとってもどうしたらこんなにおいしく出来上がるのかと不思議なくらい美味しい。
朝の仕事の後のご飯だからそう感じるのかは分からないが、少なくともここで生活している間はこの食事を毎日三食食べることができると考えるとそれだけで幸せを感じられる。人間の欲求の中でも大きな食欲を不満なく存分に満たすことができるというのがどれだけ重要な事なのかを、この場所も分からない辺境の地に来て改めて感じた。どれだけ不安でも孤独でも美味しいごはんがあれば精神は回復するのである。
例によってご飯の前に祈りを捧げたが、今回は感謝に加えて体の早い疲労回復をミドリはお願いしておいた。
「今日は村とこの周辺の地域の案内をミドリにしてあげましょう」
朝ごはんを全員が一通り食べ終わり一息ついたところでターニャが雑談を切り上げて今日の行動指針を示した。
「まだ彼は何も分からないでしょうから、アンリとルナが今日一日面倒を見てあげなさい。それに、色々教えてあげなさい」
「分かりました、ターニャ。だけど今日の日課の仕事はどうしますか?」
ルナがターニャの指示を了承しつつ、自分の仕事の心配をした。心配というよりは今日の分の仕事をやらなくていいのか逆に許可を取っているような雰囲気を感じる。彼女としても日課の仕事に追われるよりは村の案内という役割こそあれみんなと楽しく過ごしている方がいいのだろう。
「昨日は仕事を頑張ってもらうと言いましたけど、今日の分の仕事は大丈夫です。常日頃から頑張ってくれてますから一日ぐらい平気です。アンリもいいですね」
「はい、了解です」
「ではミドリも、今日のあなたは二人の話をよく聞いてよく学ぶことが仕事ですよ」
「分かりました」
ターニャは三人に平等に言葉をかけると今日の指示を終えた。
そのまま食事を終えて出発は一時間後になった。その間ミドリとアンリは部屋に戻っていたが、ルナは外に持っていく用の三人分のお昼ご飯を作っているらしい。
ターニャから今日の指示を受けてからの彼女の様子はまるで遠足に行く前の子供のような無邪気さだった。アンリはそれをみてやれやれ、といった様子だったがミドリは可愛らしい女の子だと感じた。
昨日の夜にアンリから聞いた話だとルナもミドリと同様に同い年らしいが、同年代でこんなにも純粋無垢で無邪気な女の子はそういないように思える。それもきっとこの広大な土地と自然に囲まれた環境が生んだのだろうか。
ミドリはそもそも手荷物というか私物と呼べるものが何もないので準備に時間はかからないが、アンリはミドリと雑談をしながらも弓を用意して矢の先を研いだり、腰に着けるポーチを取り出したりと口を動かしつつも手だけは止めずに忙しそうにしていた。
動物でも狩りにいくような準備だが、ミドリは前日妖魔のシルグというのに襲われたことをすぐに思い出し、用心するに越したことはないのかと一人納得した。
約束通り一時間後になるとルナは二人の部屋へ迎えに来た。
「ミドリ!アンリ!準備で来たわよ。さぁ行きましょう!」
ドアを勢いよく開けたルナの格好は白と黄色のエプロンドレスを着ていて、頭にはカチューシャとしての用途なのかふんわりとしたレースのものをつけている。手には大きめのピクニックバスケットを持っていてその上には綺麗な柄の布がかけられている。完全にお出かけの装いである。
「随分気合入ってるな、ルナ」
アンリもルナの服装をみて驚いている様子から普段からこのようなおめかしはしていないのだろう。
「いいでしょ、今日は楽しむのよ。どう?ミドリ」
「よく似合っているよ。素敵だ」
「あら、ありがとう。アンリもこれぐらい言えなきゃだめね」
「わー、素敵」
「もう、酷い棒読み」
アンリとルナのやり取りにミドリが笑うと二人もつられて笑った。
「とにかく行こうか」
三人はつられてどんどんおかしくなって笑いすぎて腹がよじれていたが、アンリが目に涙を浮かべながら落ち着かせるために行動を促した。
三人はそのまま仲良く教会を出発した。
三人は気が付いていなかったが、ターニャは心配そうな面持ちで教会の二階の窓から見送っていた。
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