あがつま ゆい

「そこで、なにをしているんだい?」


「酒を飲んでいるのさ」


「なんでお酒を飲むの?」


「忘れるためさ」


「なにを忘れるためなの?」


「恥ずかしい思いを忘れるためさ」


「いったい、なにが恥ずかしいの?」


「酒を飲んでいることが恥ずかしいのさ」というなり、酒飲みは黙りこくり、そのあとはもう一言も口を利かなくなりました。


-星の王子さま 3番目の星に住む酒飲みとの会話




◇◇◇




「彼」は学歴至上主義者だった。

 高校では進学校に在籍していながら遊んでばっかりの同級生を馬鹿にして、オレはあのクズ共とは違う高学歴のエリートなんだ。と確認してえつに浸るような青年だった。

 予定では今頃は難関の国立大学に受かって、充実したキャンパスライフを送っている……はずだった。




 実際の彼は「ランクを落とせば」受かる大学も沢山あったのだが「学歴至上主義者」である彼はそれがどうしても許せず、難関の一流国立大学に受からなければ意味がないとかたくなに思っていた。

「学歴の無いやつなど死んだも同然」と常日頃思っていた彼なのだが、まさか自分自身がその「学歴の無い死んだも同然の人間」になるとは思ってもいなかった。


 今まで周りにぶちまけていた恥知らずな学歴崇拝の言葉たちが、全部刃物となりはね返り彼の全身に隙間なく深々と突き刺さった。


「学歴至上主義者」である彼は、2浪した上で挑んだ3回目の試験でも「玉砕」し、親からの説得もあって進学はあきらめ、

 結局家計を助けるために地元の人材派遣会社の派遣社員として就職することになった。




 そこから先の彼の人生は端的に言えば「地獄」だった。

 ただでさえ「オレよりも年下の先輩」に、さらに言えば「中卒というオレより学歴の無い先輩」にアゴで使われるのが彼には想像を絶するほどの精神的苦痛であった。


 俗に「神様は乗り越えられる試練しかお与えにならない」と言うが、彼にとっては「とてもじゃないが乗り越えられるわけがない程の苦痛に満ちた試練というか『拷問』」だった。


「年下である中卒の先輩」に少なくとも「年上である高卒なオレ」がヘコヘコ頭を下げるのがどうしても許せなかった。何としても許せなかった。

 なぜ「学歴エリート」少なくとも進学校卒であるこのオレが、目の前にいる「中卒派遣社員」というゴミクズの底辺にヘコヘコ頭を下げねばならんのか!


 1度「中卒の分際で偉そうに指示してんじゃねぇ!」と盛大にブチ切れた時もあったが、周りの人間は「まぁこういう奴もいるよね」と軽く流されたのも許せなかった。

 それら全てが最大限の侮辱であり屈辱だった。そう、まさに「最大限の侮辱であり屈辱」だった。




 そんな彼を救ってくれたのは「酒」だった。

 少なくとも酒を飲んで酔っ払っている間は「3回試験に落ちた挙句派遣社員として就職してしまったオレ」と向き合わなくてもよかった。

 それが彼にとって唯一の救いだったが「幸福な時間」はそう長くは続かなかった。


 最初は酒を飲んで頭を麻痺さえできればそれでよかったが酒に耐性ができるに従い、酒を飲んでも以前ほど頭を麻痺させることができなくなっていた。

 そのくせ酒による思考力低下で、酔っ払う前では考えなかった余計なことを愚考ぐこうするようになった。




「高学歴のエリート」であるはずのオレが「酒を飲む」という低俗な事でしか問題を解決できない。

 酔っている間は「3回試験に落ちた挙句派遣社員として就職してしまったオレ」と向き合わなくて済むが、いつしか「酒を飲んで酔っぱらうという行為自体」が、「酒に酔っている自分自身」が、

 とてつもなく惨めで恥に感じられるようになった。


「自分と向き合うことを避けるために酒を飲む、という行為それ自体」が「高学歴のエリートであるはずのオレ」には耐えられない物だった。

 もし本当に「高学歴のエリート」ならそれ以外の解決策なんていくらでも編み出せるはずだからだ。




「3回試験に落ちた挙句派遣社員として就職してしまったオレ」と向き合うことがどうしても出来ず、そしてそれを避けるために酒を飲む以外に解決策が見つからない、見つけられない自分が何よりも嫌になった。


 最初は「忘れるために」飲んでいた「彼」であったがいつしか「酒を飲んで酔っ払うことでしか問題を解決できない自分自身」が何よりも嫌いになって「それすら忘れるため」にさらに飲酒の量は増えていった。




 やがて彼は仕事を辞め「連続飲酒」をするようになった。


 起きたら意識のある間ずっと酒を飲み続けて気絶するように眠り、また起きては酒を飲み続け気絶するように眠るのを繰り返す生活を送るようになった。

 曜日の感覚はもちろんの事、朝と夕方の区別すらつかなくなるまで、そう時間はかからなかった。


 そうなるまで飲まないと自分自身と「向き合ってしまう」ので、それが何よりも恐ろしかった。

 酒を飲むこと以外にこの現状を変えることができない自らの無力さ、ふがいなさが恥ずかしくて、それすら忘れるためにさらに飲酒の量が増えていった。




「3回試験に落ちた挙句派遣社員として就職してしまった上に、そこすら続けられずに辞めて酒におぼれているオレ」

 というどうしようもない奴と向き合うのは文字通り「死ぬよりも恐ろしい」どころではない「言葉などという軟弱で未熟なコミュニケーション手段では到底表現しきれない位の」恐怖であった。


 そんなどうしようもない自分と向き合う位なら死んだほうがましだと真剣に思っていたし、実際それよりは酒におぼれていた方が向き合わないだけまだましだった。


 この頃になると完全に記憶が飛んでいて、数日前に何をやっていたのかはもちろん、昨日何をしていたのかさえ思い出せなくなっていた。




 そうして今、彼は救急車で病院に担ぎ込まれ、真剣な顔をした医師に申告された。


肝硬変かんこうへん……?」


「そうです。肝硬変です。あなたはもう1滴たりともお酒を飲む事は出来ません。お酒を飲むのを辞めますか? それともお酒に殺されたいんですか? どっちがいいんですか?」


「酒が飲めないくらいなら死んだほうがいいや」


 即答だった。それに対し医者は激怒した。




「馬鹿な事言わないでください! あなたはもう本当に死ぬ1歩手前まで来ているんですよ!? いつ死んでもおかしくない状態なんですよ!? これが助かる最後のチャンスだと思ってください!」


「なんでそこまでして、こんなオレにかかわるんだ?」


「少なくとも私はあなたを救いたいんですよ! あなたを救いたいんですよ!」


「救ってどうする!? 救ったところで大学に入れなかった過去は変えられないんだぞ!?」


「昔の事なんてどうでもいいでしょ! 今! まさに今! あなたは酒に殺されかけている状態なんですよ!?

 このままお酒を飲み続けたら『確実に死ぬ』っていうところまで行ってるんですよ!? 事の重大さをわかっているんですか!?」


 医者はそれこそ石にかじりつく位必死になって説得するが、その相手はどこ吹く風だった。

 その後、彼は医者の警告を無視して酒を飲み続け、結局肝硬変による静脈瘤じょうみゃくりゅう破裂で亡くなった。31歳の早逝そうせいだった。

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