再びの都へ

 内戦の終結後、解放軍だけでなく、補給や資金や物資の調達、募兵といった後方支援に従事していた者たちを含めて、ルブラン・サロンの面々は続々と都入りを果たした。もともと彼らの根拠地は首府であるカーボベルデであったから、ほとんどの者にとっては凱旋と言っていい。民政はルブラン、カッシーニ、トルドー、軍政はペドロサ、アレグリーニ、そしてヴァレンティノらが中心となって指導にあたり、人心は急速に安定を取り戻した。

 急務は、一刻も早く帝国全土を掌握することと、新しい体制づくりである。

 前者はドランシー地方で政府軍の残党が盤踞ばんきょしているほかは、特に大きな抵抗が起こることもなかった。よほど、民心が離れていたのであろう。帝国の滅亡は、多くの民衆から歓迎された。

 問題は後者である。新しい国家体制については、サロン内でもしきりと議論されてきたところではあるが、彼ら自身、これほど早期に内戦における勝利を手にしうるとは考えていなかったこともあり、実は白紙に近い状態である。皇帝や王に権力を集中させる独裁主義的体制か、あるいは象徴的な王のもとで官僚が実権を握る評議会制度とするか、大貴族による分権支配か、あるいはそれ以外の新制度をとるか。それすら、決まっていない。

 また、厄介なのは帝国が倒れた途端、ルブラン・サロンの一部の野心家たちは水面下で影響力伸長のための政治工作を始めたことであった。宮廷にしろ軍にしろ国家にしろ、そこに権力がある以上は、腐敗しない組織など存在しないというささやかな実例であろう。ただ、この時点ではその腐敗も、致命的な段階まではいたっておらず、まず決めるべきは、この国の頂点を誰とするかであった。

 人々は、テオドールがその座に就くことを望んだ。彼は、王とするにはあまりに若く、実力も実績もまだまだである。だが性格穏やかで、私心がなく、謙虚でしかも公平である。ルブラン・サロンのメンバーとの付き合いにも、偏りがない。

 ルブランやカッシーニ、トルドーといった面々では、民衆はともかく、サロンの仲間からは支持を得られない。彼らは影響力の差こそあれ、あくまでも同格の仲間であるという意識が強すぎる。その点、テオドールはサロンの指導者という立場でやってきたし、彼のような人物が政権の首座に君臨した方が、全体の均衡という点ではおさまりがいい。

 だが、テオドール自身はこれを固辞した。彼は王にも貴族にもなるつもりはなかった。ただ、ソフィーのそばにいたい。

 彼がそう言うと、サロンの人々は一様に絶句し、なかには興ざめたような表情を浮かべる者もいた。地位にも名声にも執着しないこの青年の無私と無欲は称賛に値するが、いささか度を過ぎている。彼らは恋うる女のためならば名もなき平民のままでいい、とまで言い切るテオドールに、好意は持ったが、あまりに脱俗的で、理解を超えている存在に思われた。

 いずれにしてもテオドールにその気がない、ということで人々は困惑したが、ここでブーランジェ未亡人が一案を提出した。

「術者の姉妹を、女王として推戴すいたいしましょう」

 この案に、テオドール以外の全員が喝采かっさいを上げつつ賛同した。なるほど、彼らの団結と解放の象徴、ソフィーとソフィアの姉妹を女王としていただくのであれば、国を再統合し、民衆の支持を集めるのにこれほど都合のいい手はない。それに、政道に無関心な彼女らを王として君臨させるのならば、当然、その存在は旗印であるにとどまり、要するに政務は彼らルブラン・サロンのメンバーが司ることになるであろう。

「ブーランジェ未亡人の案こそ、採るべし!」

 折しも、姉妹はアルジャントゥイユとエクランから、それぞれサロンの招きに応じて都へと向かっている。

 戦火の傷跡がところどころに残る都の大門で、望みうる最高級の出迎えをすると、姉妹は戸惑い、やがて道々、もてなしを受けるうちに、彼女らがどうやらこの国の女王として祭り上げられそうであることを知った。

 ソフィアはまず、姉の横顔から、その表情を確認した。空いた口がふさがらない、という様子である。彼女も同じ心境であった。まったく、馬鹿げている。

 やがて、ソフィーは出迎えの面々から視線を外し、

「まだ、家を焼け出された人が、あのように多く」

 彼女の見つめる方向に目を転じると、都の大路であるというのに、むしろを敷いた乞食が延々と並んで、ぼんやりと女王歓迎の行列を眺めたり、恵みを乞うなどしている。

 ソフィーはルブランらとの話の途中で、そうした人々に駆け寄っては、衰弱した者たちに口づけをして、救いを施した。ソフィアも、その真似をした。しかし、乞食はたとえ健康を取り戻しても、その日を終えるべき家がない。一方で、ルブランらは女王戴冠たいかんの儀式や、新たな都となるべきアルジャントゥイユの王宮造成の話などをしている。

 延焼をまぬがれた王宮の一角に着いてから、ソフィーは居住まいを正し、いかにも厳格な態度で、サロンのメンバーたちに告げた。

「皆さん。皆さんがその志によってよりよい世をつくりたいと願い、そのために行動したことは私も尊敬しています。新たな国の使命は、一人でも多くの人を救済し、平穏に暮らせる世をつくることでしょう。ですが、皆さんは先ほど、戴冠式や新たな王宮の話ばかりをして、その日の暮らしにさえ困る人々は、まるで眼中にもない様子でした。私が真に望む国の姿は、人と人が手を取り合い、ささやかな希望とともに生きてゆける社会です。故郷のセーヌ村のような。しかし皆さんは、あくまでも権力と富をもてあそんで、つい先日までの支配者と同じ道を歩むのですか。そうであれば、私は女王どころか、皆さんとたもとを分かつことになるでしょう」

 ルブランは思わず恥じ入り、うなだれたまま目線を上げることもできなかった。彼に続く者たちも同様にこうべを垂れ、いきおい、偉大な女王を見送る臣下のような格好になった。

 このような経緯があったので、姉妹の女王即位の話は中断となった。しかし、国体が存在しなければすなわち国も存在せず、ルブラン・サロンのあいだでは姉妹が共同統治者として、あるいは少なくともそのどちらか一方を女王として立てるというのはもはや既定の路線であった。

 姉妹を迎えての酒宴が開かれる直前、ソフィーはヴァレンティノに会いに行った。

 彼女が最後に会ったとき、彼はシチリア川で手ひどい敗戦を喫し、これが一手の将かというほどみすぼらしい身なりであったが、今や大軍を預かる若き将軍として幅を利かせており、服装からして大人物で、外見はたいそう立派になっている。

 彼女はそのようなヴァレンティノの姿に、祝辞を述べるどころか、ため息をついた。心中、喜びはなく、失望だけがある。

「ヴァレンティノ」

「ソフィー姉さん、無事でよかった!」

「ヴァレンティノ、その格好はどうしたの」

「都に入ってから新調したんだ。俺も、立派な将軍だからね。みんなが、戦功は抜群、俺のことを英雄ヴァレンティノだと言ってる」

「それが、あなたの志なの?」

 彼は、どうやら彼の慕う人がその行いに対して腹を立てていそうなことを感じ、しゅんとたくましい肩をすぼませた。いたずらをしたり、無茶をしてソフィーのお叱りを受けるのが、彼はうれしい。だがこのときばかりは、ソフィーの軽蔑を買った気がして、たまらなく悲しかった。

 ぽつり、と先ほどまでとは人が変わったように小さく弱い声で、彼は答えた。

「違う」

「では、あなたの志は?」

「平和で豊かな世の中にすることだ」

 だっ、と彼は美々しく着飾った衣装を売るために走り出した。それは誰も追いつけないほどに速く、英雄どころかまるで村の悪童そのままであった。

 さて、彼は志を述べたが、本心とは違う。彼にとっては、平和で豊かな国をつくるなどというのは実に大それたことで、現実離れしている。自分が世の中を変えるような働きをしているという実感もなかった。彼が軍を率いて東奔西走したのは、ただ単に、ソフィーに褒めてほしいからであった。戦いに勝って、ソフィーに能力や苦労を認めてほしい。誰もが彼を解放運動の殊勲者と称える、そのうちのほんのわずかな一握りでいいから、ソフィーにも褒めてもらいたい。この頃から、英雄ヴァレンティノ、南方の若獅子、解放将軍ロマーノなどと呼ばれ歴史に輝かしい名を残すこの男も、ソフィーに対してだけは従順な犬のような忠誠心でもって仕えていた。

 彼は地位に伴って得た金銀や宝玉などの財物のほとんどを困窮せし民に分け与え、自らは生涯、庶民のような暮らしに甘んじた。ソフィーがさとさなければ、彼の名はいま少し俗物的な人間として後世の人々に記憶されていたかもしれない。

 同じ時刻、ソフィアは王宮のテオドールのもとを訪ねている。

 彼はソフィアの来訪を知ると、山積する仕事を中断して、彼女を自室に招き入れた。抱擁し、口づけを交わす。今や、ソフィアは彼に対する愛情を率直かつ素朴に表現できるようになっている。ソフィーがその姿を見たら、驚くであろう。

「ソフィア、久しぶり。また君に会えてうれしいよ。ずっと会いたかった」

「私も会いたかった。あなたに無事でいてほしくて」

「心配かけたね」

「でも、もう心配しなくていいでしょ」

「そうだね」

 テオドールは素直な男だ。彼の瞳にやや暗い影が差したのを、ソフィアは見逃してはいない。

「テオ、何かあるの?」

「うん」

「教えて」

「ルブランさんやほかのみんなが、君たちを女王にしたいと言っている話、聞いた?」

「うん、聞いた。セーヌのみなしご姉妹が、この国の女王様? ついこの前まで、あなたの家に居候していたのに」

 ソフィアは、おかしさにこらえかね、くすくすと頬を緩ませた。まったく、世間というのは途方もない、とそう思ったのである。半分は、呆れている。思えば、彼女らは奇跡の術者としてあがめられ、その存在は天のような慈愛と恵みに満ちていると言われているのに、初めて都に入って以来、彼女たちが主体的かつ能動的に決定したことは数えるほどしかない。治療に優先順位をつけることを決めたくらいのものかもしれない。そのほかは、姉妹が別れてそれぞれに診療を行うようにしたのも、帝国に対する挙兵を決めたのも、ソフィアの愛する男をその指導者として担ぎ上げたのも、そして彼女らを女王として推戴すいたいし新たな国づくりをするなどという話も、すべては他人が計画し推進している。彼女たちは、翻弄されてばかりではないか。

 だが、ソフィアにはそれが少しおかしいように思えた。つらい決断を迫られることもあったが、実のところ彼女たちの運命は多くの場合で誰かの思惑や都合に振り回されており、一方で彼女たちは神に匹敵する名声と、その志を実現するための場を得た。

 彼女の視線はその事実に注がれていて、これからどうなるのかについては、女王位というのがあまりに想像可能な範囲を超えているので、見当がまったくついていない。

 テオドールは解放運動の指導者という地位にあったために、その点について多少は想像がつく。

「君とソフィーが女王になるということは、僕はその臣下になるってことだよ」

「あなたが臣下」

「そうなったら、僕と君の関係がどうなるか、気がかりなんだ」

「今までどおりよ」

 ソフィアはこのとき、奇妙に楽観的であった。彼女にとって不本意なことではあるが、彼女とテオドールが恋仲であることは、ルブラン・サロンにあっては周知の事実なのである。これまで持ちつ持たれつの関係で、それなりに親密にもしてきた彼らが、ことさらにソフィーとテオドールの仲を裂くとは思われなかった。それに戦いは終わって、テオドールが危険な戦地に赴くこともないであろう。あとは、彼女たちが名実ともに結ばれて、多くの人々の祝福を受け、幸せに暮らすことができるに違いない。

 さて、ブラニクの見立てはそうではない。

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