野盗に慈悲を与える

 セーヌから徒歩二日以内には、村が四つ。アディジェ、ヴァランシエンヌ、カルパントラ、ウイユがそれである。

 ソフィーら姉妹は、これらの村を定期的に行きつ戻りつして、病に苦しむ人がいれば常に無償で治癒し、半年ほどでこの地域からペストを一応は撲滅することに成功した。

 一応は、というのはつまり、食料確保等の必要性から、どうしても他村との交易が発生し、その際に再びペスト菌が入り込んでくることがある。そのため罹患の経験があって免疫を持つ者以外のあいだでは、再蔓延の危険が潜在的に生じ続けているわけである。

 この状況のもと、上記五ヶ村の代表者たちはソフィーら姉妹も交えて、村をまたいだ総会を開いた。総会はルモワーヌとブーランジェ未亡人が主導した。ブーランジェ未亡人は聡明で徳の高い婦人で、このほど正式にアディジェ村の村長になっている。

 主な議題は、先頃より何度か要請がきている帝国の首府カーボベルデへ姉妹を移住させるかどうか、という点である。ただし、この要請の発出元というのは帝国の皇帝や官僚といった支配者層ではない。帝国はすでにペストの甚大な被害に対してなすところなく、兵士は逃散ちょうさんし、一方で役人に汚職が横行し、政道は腐敗して、政治中枢としての機能はほとんど麻痺している。

 多額の見返りを提示してでもカーボベルデの人々を救ってほしい、と一度ならず丁重に願っているのは、当地きっての富豪であるカッシーニ、ルブラン、さらに当代随一の教育者として知られるクレッソン、著名な詩人であるサイモン、さらに遊説家のトルドー、ほかにもセルバンテス、モラレス、モンテスキューといった有力者たちの連名がある。彼らは、帝国最大の都市であるカーボベルデですでに壊滅的な広がりを見せているペストを抑えるには、政治指導者の統制力に期待することはできないと感じている。そんな折、半島東北部のオリーブ農園地帯にて術者の姉妹が現れ、患者を治療して回っており、その力はまさに神業かみわざ、神通力であるとの評判を聞いた。

 ブーランジェ未亡人やほかの多くの者が当初そうであったように、カーボベルデのこの連中もどこまで噂を信じているかは分からない。だがたとえ怪しいと思っていても、とにかくわずかでも希望があるならつないでおきたい、とそのような心持ちなのであろう。

 話を聞いた者の大半は、姉妹を遠くへやることに渋った。当然であろう。姉妹が手元におらねば、ペストの再流行にさらされる危険がある。ペストのない村がある、というので、どの村も以前の使用人が戻ってきて、移住者も増えてきた。姉妹の力を、自分たちのある種の特権のように感じる、そのような歪んだ心理構造が彼らのあいだに芽生え始めているのかもしれない。

 しかし、総会の座長格と言っていいルモワーヌ、ブーランジェ未亡人あたりは清廉潔白な人柄で、大局を見る限りでは姉妹を行かせた方がよい、という方向性で会議を動かした。ペストの源泉となる場所があり、それは国内で最も人口の多いカーボベルデである、姉妹を赴かしめて源を絶つことで、結果として自分たちにとっての脅威も除去することができる、という論理である。カーボベルデに行く、ということについては姉妹の意志も確認した上で、上記のように話を進めた。問題となるのは、姉妹が長期にわたってこの地域を離れれば、ペストが再蔓延した場合に無防備になるという点で、この点については議論が紛糾しつつ、結局は要請に応じることで決着を見た。

 この半年間、姉妹の旅路の護衛は若くて活きのいい青年たちが交代で務めたが、そのなかでもテオドールは一度も警護番から外れたことはない。「君を守る」とソフィアに対して宣言した、その約束を律義に守っているのだ。

「今回の旅は長い。カーボベルデまでは、片道だけでも七日間はかかるだろう。道中、危険も多いだろうし、慣れない場所に長く滞在することになる。テオ、行くのか」

 出発の前日、ルモワーヌは息子にそう確認した。息子からは、明瞭な首肯しゅこうが返された。むしろ、だからこそ行く、とでも言いたげであった。

 息子も立派になった、といった表情で、父は目を細め、そしてさらに思い切ったことを尋ねた。

「テオ、ひとつはっきりさせておきたい。お前は、ソフィアが好きか」

「うん、好きだよ。心の底から」

 こうまで強く自分の好意を表明できるのは、それだけで一つの長所であり、魅力であり、あるいは才能であるかもしれない。心中、ルモワーヌが彼を自慢の息子と思っている所以ゆえんでもある。

「そうか。なら、今回もついていくといい。なぁテオ、あまり偉そうなことを言うのは柄じゃないんだが、ひとつ助言しておく」

「なに、父さん」

「あの二人にはほかの誰にもない、偉大な力がある。カーボベルデに行って多くの人を救えば、この国だけでなく、大陸全土に名前が知られるかもしれないし、歴史にも残るだろう。ソフィアには素晴らしい魅力があるが、しかし一方で未熟なところがある。そう、例えば、お前の好意にどう応えていいかさえ分からないくらいに未熟なんだ」

「うん」

「だから、お前が支えてあげるんだ。それは、ソフィアだけではなく、間接的にソフィーの支えになることでもある。相手は伝説の術者だ。生半可なまはんかな気持ちではなく、守ると決めたら、お前の全力で守るんだ。いいね」

「ありがとう。肝に銘じるよ、父さん」

 護衛は今回、テオドールを含めて六人となる。長旅であり、長期滞在の予定であるから、人数も多くしてある。

 だが、まだいる。

 この日、セーヌを訪れた五人のあぶれ者がいた。全員、村の入り口で剣を預け、丸腰で長老のもとへ突き出された。代表は、シノーポリと名乗り、術者の姉妹にお目にかかりたい、と神妙な表情で願い出ているという。

「シノーポリって、あのシノーポリ?」

 姉妹はその知らせを聞いたとき、ちょうどともにルモワーヌ邸で荷造りをしていたところであった。

「姉さんと私に会いたいって。なにかな」

「とにかく、行って話を聞いてみよう」

 長老宅では、五人の男が、後ろ手に縛られ、罪人のようにひざまずいている。そのうちのひとりはなるほど鈴のシノーポリに間違いはなく、二人はいつぞやシノーポリとともにいた手下のようだ。あとの二人は見覚えがない。

 長老からよくよく話を聞くと、この者たちは姉妹に話があるらしく、直接に会うまでは誰にも用件を話さないと言っているらしい。すでに、長老宅にはシノーポリの率いる野盗団に襲われたことのある連中が押し寄せて、彼らを殺すと息巻いているらしい。ほかにも多くの野次馬がいて、そのなかにはアレックスやアーヴェンもいるし、ルモワーヌ父子の姿もある。

 ソフィーはシノーポリに話を聞こうと思った。半年ほど前、ソフィアの術に恐怖して逃走して以来、このならず者がどのようにして世を渡ってきたのか、彼女にも興味がある。臆さず、シノーポリに近づき、しゃがみこんで、目線を合わせる。どうもこの男の目の色が変わった気がする。そう感じたのはソフィーだけであったか、それともソフィアにもそう映ったのか、どうであろう。

「話は聞いたわよ。私たちに話したいことがあるの?」

「あぁ、この半年、ずっとあんたたちの噂を聞いていた。あんたたちは風の術者、水の術者で、ここいらの村の連中を無償で治療していると。それと、あんたに言われたことを思い出して、野盗はやめて、子分たちと狩猟や採集や農耕に精を出してきた。俺たちでもやり直せるかと思ったが、やっぱり野盗の方が実入りがいい」

「それで、また悪さしたの?」

「いやいや、とんでもねぇ!実は情けない話だが、野盗に戻りてぇって子分どもといさかいになって、根城を追い出されたんだ。それで、こうなったら術者様のお情けにおすがりするほかはねぇと。聞けば、あんたたちはカーボベルデまで出かけて診察をするって。腕の立つ護衛として、連れてってもらえねぇもんかと思ったんだ」

「虫のいいこと言いやがって!お前なんざ来世はフンコロガシだ!」

 野次馬の群れの端からずいぶんと変わった罵声を投げつけたのは、アレックスである。ソフィアは険悪な雰囲気のなか、思わずぶっ、と吹き出してしまった。

 アレックスはさらに続ける。

「それに護衛なら、俺やアーヴェンが同行するし、今回はほかの村から腕利きが参加する。おまけにテオもな。まぁ正直こいつはあまり戦力にならんが。とにかく、お前らの手を借りる必要はねぇんだよ」

 さらりとけなされたテオドールであったが、彼は神経がよほど図太いのか、もしかしたら気づいていないのか、顔色を変えていない。

 アレックスに続いて何人か恨みを持つ村民たちが口々に罵倒を加えたが、シノーポリも必死のようであった。一途に、ソフィーを見上げ、目を真っ赤に充血させ訴えている。

「頼むよ、俺はあんたたちについていきたいんだ。半年間、悪さはしなかった。だが俺はこれまで悪党の生き方しか知らなかった。取りはこの腕っぷしくらいしかねぇ。だからせめてこの取り柄をあんたたちのために役立たせたいんだよ」

「確かにこの半年間、鈴のシノーポリの名を、久しく聞かなくなったのは事実だな」

 ソフィーの振り向いた先に、ルモワーヌがいる。彼は腕を組み、ゆっくりと何度かうなずいて、暗にソフィーの決断を促している。信じていいかもしれない、と、そう言いたがっているようにソフィーには感じられた。彼女も、同感である。

 彼女は満座のなかでソフィアと小声で相談し、再びシノーポリの前に戻った。彼女の目元にはいつも、風の吹き流れるような涼しさと穏やかさがある。

「いいわ、一緒に行きましょう」

「おいソフィー!」

 慌てて不平を鳴らすアレックスをおさえるように、ソフィーは構わず続けた。

「私たちを頼って来てくれたんだから、私たちが面倒を見てあげる。その代わり、今から言うことを必ず守ること。まず、同行を認めるのはあなただけよ。子分たちは村に残して、村の仕事をしてもらう。あなたに渡せるのは木の棒が一本だけ。剣も槍も、それからその鈴も没収よ。そんなものをつけて歩いたら、目立ってしょうがないもの。最後は、絶対にけんかや悪さをしないこと。今言ったことを守れる?」

「あぁ、誓う、誓うよ!」

 シノーポリはそれから、横に並んでひざまずく子分たちを見回して、改めて嘆願した。

「こいつらは、俺を信じて、ついてきてくれたんだ。俺と同じように、やり直したいと思ってる。なんとか、村で面倒見てやってくれ」

「いい子分を持ったのね」

 ぱっ、とソフィーは屈託のない笑顔を見せた。慈悲と慈愛、ぬくもりにあふれた表情であった。

「そういえば、あなたのことはなんて呼べばいいかしら」

「考えたんだ。シノーポリの名は、今日限りで捨てる。これから俺は、モンテカルロって名乗る」

「じゃあ、シャルルって呼ぶわね」

 モンテカルロとは、古い言葉でシャルルの山という意味である。ソフィーはそのことを知っていて、彼の通称をシャルルにしようと言い出したのであった。

 翌朝、ソフィーとソフィアの姉妹、テオドールを含めた六人の護衛、そして棍棒一本を携えたシャルルが、セーヌを旅立ち、帝国最大の殷賑いんしんの府とされるカーボベルデへと向かった。

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