野盗退治

 ともかくも、威勢はいい。

 小屋から猛然と躍り出たアレックスは、剣を真っ直ぐ伸ばし、その切っ先は男の胸を刺し貫いたかに思われた。だが半瞬ほど早く、その肉体はひらりと数歩分を飛び下がって、この不敵な獲物の鋭鋒を逃れた。アレックスとアーヴェンは狙いの男を目がけて踏み込み、さらに踏み込んで戦ったが、男はまるで山猫のような素早さでその攻撃をいなし、傷のひとつもつけられない。

 テオドールも先行する二人に食らいついて走ったが、足が震えて追いつくことすらできない。

 が、アレックスとアーヴェンが突然止まった。テオドールが二人の肩越しに見ると、その向こうに人影が三つ、並んでいる。

 奇襲は、失敗した。

 それ以上に二人が恐れたのが、鈴を鳴らす真ん中の男であった。星明かりだけではっきりとは見えないのだが、それでも異様な殺気と威圧感がある。シャムシールと呼ばれる、刀身の湾曲した長剣を肩に担ぐようにして立ち、姿には余裕がありつつ微塵みじんの隙もない。

 アレックスかアーヴェンか、生唾を飲み下す音が聞こえた。

「手荒い歓迎だな、俺たちみてぇな善良な旅人によォ」

 凶悪な野盗ということでどれほど粗野で荒々しい男かと想像した者は多いだろうが、その声には野性味がありつつある種の爽やかさと端整さがある。しかも、存外若いようだ。

 アレックスが、内心の恐怖を抑え込もうとするように、大きな声で応じた。

「お前が悪名高い鈴のシノーポリか」

「あぁ、よろしくな」

「悪いが俺たちはお前らみたいな悪党の言うなりにはならない。あきらめて巣穴へ帰れ」

「そうか。だったら試してみるか?」

 シノーポリにはゆとりがある。伸び上がるようにして小屋の方へと視線を移し、忍ぶように様子をながめていた姉妹の姿を発見したらしく、

「女がいるじゃねぇか。女と金と、その剣を置いていけ。俺は殺しはやらん。手荒なことも好きじゃねぇんだ」

「彼女たちは絶対に渡せない!」

 答えたのは、アレックスではない。

 テオドールであった。彼は不器用に剣を構え、緊張と恐怖と、そして燃えたぎる闘志のために、肩を怒らせている。

 彼の姿を無様と思ったのか、シノーポリは憐憫れんびんの混じった表情で挑発した。

「坊主、いい度胸だな。ならかかってこいよ。三回だけ、仕掛けさせてやる。俺とお前だけの一騎打ちだぜ!」

 テオドールは臆することなく突進し、一度、二度、剣を振るった。だが、身軽で戦い慣れしたシノーポリにはかすりもしない。

 三度目、刺突に切り替えてずんと踏み込むと、シノーポリは片手でテオドールの手首をひっとらえ、突きの勢いを利用してくるりと放り投げた。合気道でいうところの、入り身投げという体術であろう。だが、テオドールからすると、体勢を崩され、そのまま視界が一回転し、背中に強烈な衝撃を感じたほどにしか理解が追いつかない。

 気がつくと、地面に仰向あおむけになったまま、体のどこをどう抑え込まれているのか、息をする以外はまったく動けなくなっていた。

「坊主、最後の突きだけは見どころがあった。だがな、そんななまくらと細腕じゃ、好きな女は守れねぇぜ」

 もがきつつも身動きできずにいるテオドールの姿に、ソフィアはまるで心臓を握り潰されるような思いで、杖を手に小屋を出た。

 だが、その腕をつかむ者がいる。姉のソフィーである。

 ソフィアは首を姉に向け、手を振り払った。涙をぼろぼろとこぼしている。

「どうして止めるの!?このままだとテオ、殺されちゃう!」

 ソフィーも、決して平静ではないが、彼女には彼女の考えがある。

「ソフィア、あなたが行ってどうするの?」

「決まってる、術を使って……」

「どんな術を使うの?」

「分からない、分からないけど、とにかくテオを助けなきゃ!」

「ソフィア、早まってはダメ」

「テオ!」

 彼女の視界の中央で、テオドールは羽交いめにされているために息ができないのか、たいそう苦しげで、先ほどよりもその抵抗は弱々しくなっている。

 テオが、殺される。

 その思いが、ソフィアの思念を急激に膨張させ、そしてそれは瞬時に限界を迎えてはじけ、大いなる力を彼女に与えた。

 充分なイメージも、満足なコントロールもしないまま、ただ激情のまま放たれた思念は、人の肩幅ほどもある奔騰せる水流を生み出し、それは豹のような速さでシノーポリの子分の片割れに襲い掛かり、数十メートルほども押し流してようやく消えた。

 男は、ぴくりとも動かない。

「なんだ、おい……」

 夜の暗さのなかでも、シノーポリの唖然とした顔色が見えるようだ。

 ソフィアは怒りに身を任せ、さらに杖を一振りした。

 すると彼女の眼前に突如として分厚く巨大な水の壁が出現し、それが津波のようにもう一人の子分に衝突し、砕け散った。この男も、衝撃のために彼方かなたへ吹っ飛び、戻ってこない。

 シノーポリは異様な光景の連続に恐れおののき、き込むテオドールを放り投げて、後ずさりを始めた。しかし、ソフィアはもはや自身でも思念の制御ができないのか、逃げようとするシノーポリを鋭くにらみつけている。

 シノーポリは、蛇ににらまれたかえるにでもなったか、足を失ったように動けなくなった。恐怖のためか、と彼自身は考えた。

 が、そうではない。

 彼は足元を見た。暗い、暗い沼が、彼の足首あたりまでを飲み込んでいる。それはみるみる深く、大きくなって、彼を深淵の底にまで引きずり込もうとしているらしい。

「助け……助けてくれぇッ!」

 その声が、鈴のシノーポリのものであると知ったなら、世人せじん嘲笑あざわらったに違いない。が、彼の今の状況はといえば、まったく世にも恐ろしい光景で、実際に目撃したらとても笑える者はいなかったであろう。事実、すぐ近くにいるアレックスも、アーヴェンも、無論テオドールも、恐怖と混乱のあまりまばたきさえ忘れて立ちすくんでいる。

 そしてシノーポリの腰も、肩も腕も見えなくなり、ついに頭部さえも沈もうとして、沼は突然に動きをやめた。術を操っていたソフィアが、ふらふらと倒れこみ、シノーポリも糸が切れるようにして意識を失った。沼は土と化し、シノーポリはまるで地面から生首を生やしたような姿になった。

「ソフィア!」

 駆け寄ったテオドールの腕のなかで、ソフィアは確かに意識がないが、呼吸に問題はなく、苦痛もないようだ。眠っているようにすら見える。

「大丈夫よ、少し眠らせただけ」

 そばまで歩み寄ってきて、ソフィーがそう告げた。

「眠らせた……?」

「そう、催眠効果のある風を送って」

「なら、ソフィアは」

「うん、大丈夫」

 テオドールは安心したのか、剣を腰に戻し、ソフィアを抱き上げて、小屋へと戻っていった。

 だが、アレックスはそれでは気分が収まらない。

「なぁ、こいつをどうする」

 そう言って、剣先で気を失ったシノーポリの顔をつついている。

「彼にも、催眠をかけておいたわ。明日の朝までは起きないはずよ」

「けっ、くたばりぞこないが」

「もっとも、ソフィアがもし本気になってたら、三人とももう死んでたと思うけど」

「じゃあ、あっちの男も、それからあいつも、伸びてるだけなのか」

「えぇ、生きてる。ソフィアも、無意識に手加減をしていたんだと思うわ」

 アレックスは何か納得のいかない顔をしつつ、だが少々ほっとしたのか、ふぅと大きく息を吐いて、あとは黙々と、二人の子分を縄で縛り上げて、首から上だけを地面から突き出して眠っているシノーポリのそばに転がしておいた。

 全員が小屋に戻ってから、アレックスが先ほどのまでの出来事についてソフィーに説明を求めた。村で一番のタフガイを自称する彼も、術者の真の力をの当たりにしたあとで、正直まいってしまっているらしい。

「それで、さっきのことなんだが。つまりどういうことだ?何があったんだ?」

 ソフィーは、三人の視線を痛いほどに浴びながら、自らの思考も整理しようとするようにゆっくり嚙み砕いて説明を始めた。

「みんなが戦っているとき、私たちは小屋からその様子を見ていたの。テオがつかまって苦しんでいるのを見て、私はどうしていいか分からなくて。でも、ソフィアはすぐに行動したわ。テオを助けなきゃ、って。ソフィアは水の術で、一度目は相手に向かって真っ直ぐ噴き出す水柱、二度目は大きな水の壁、最後は足元に泥沼をつくって相手を水中に引きずり込む術……だと思う」

「だと思う?」

「私にもよく分からないの。ソフィアが術を使っているのを見たのも、ルモワーヌさんを治したときが初めてだし、今日みたいに攻撃的な術を使ったのも、たぶんソフィア自身、初めてだったはず。私も、さっき初めて催眠術を使ったわ」

「おいおい、初めて続きにしてはお前たちの術はとんでもない威力じゃないか。まったく術者のおかげで世界が破滅したってのも道理だぜ」

 ソフィーの表情に、濃い影が落ちた。ミネルヴァ暦が始まってからの四世紀半、前半は術者とそれを憎み恐れる者たちとの戦いによって世界が崩壊への道をたどり、後半は戦いののちの再建の時代であった。戦いによって森は焼け、風はよどみ、土は実りを失った。異常気象のため雷雨や洪水も頻発し、氷に閉ざされた国もあった。そして今や、ペストという、人類を絶滅させかねない恐るべき病が、人々の営みを破壊しつつある。

 混沌とした、絶望に覆われた世界のなかで、術者の生き残りはひっそりと世を避け暮らしてきた。ソフィーの血統もそうであったが、自らが恐怖と憎悪の対象であることを喜ぶ者はいない。まして、ソフィーやソフィアには、どのような罪もないのである。罪がないどころか、セーヌの村では病気や事故で苦しむ幾人かの人々を救った。それが、かつて災厄をもたらした術者の一族であるというだけで指弾されるのは、彼女らにとってはこれ以上に苦しいことはない。

 アレックスは自らの失言がソフィーの胸を刺したことに気づいたが、謝ることもできず、ただばつが悪そうに、わら布団をかぶり、背中を向けた。アーヴェンも、静かに体を横たえた。

 テオドールだけは、ソフィーと正面から向き合い、「ありがとう」とだけ、言った。

 ソフィーには、素直で優しいこの幼馴染の存在が支えになる。そう思う気持ちは、ソフィアの方がより強いことであろう。彼女は心からの感謝を口にした。

「テオも、ありがとう。命がけで、妹を守ろうとしてくれた」

「ソフィアだけじゃないよ。君だって、僕にとっては大切な人だ」

「あなたは本当に素直な人。これからも、ソフィアを守ってあげてね」

「あぁ、約束するよ」

 実のところ、ソフィーは単純な護衛役としては、テオドールにあまり期待を持てない。テオドールに求める役割というのは、そういった性質のものではないのだ。守るといっても、意味合いがいくつかある。たとえ非力で、腕っぷしが弱くとも、ソフィアにとってほかの誰にも代えられない役割を果たすことが、彼ならばできるであろう。

 ソフィーの依頼に一瞬の迷いも躊躇もなく応じるテオドールに、彼女はあたたかい安心感と信頼感とを覚えた。

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