風のマドリガル、水のシルエット【ミネルヴァ大陸戦記外伝】

一条 千種

プロローグ

 ミネルヴァ暦441年という年を、この大陸の人々は永遠か、あるいはそれに近いだけの期間、記憶し続けることになるであろう。

 それは、それまでの2世紀半ほど、術者という存在が世に出ることなくついに歴史から消え去るかと思われていたところで、世界にこの恐るべき、そしてあがめるべき力が再び降臨したことが記録された年だからである。

 ミネルヴァ暦の開闢かいびゃく後、200年ほどは、大陸の暗黒時代と言われ、術者は世界のあちこちに散らばり、その力についての正誤とりまぜたしらせもそれこそ飛ぶように広まった結果、人間と術者、さらに術者同士の不毛で悲惨な戦いと殺し合いが果てしなく続いて、誰もが塗炭とたんの苦しみを味わった。

 やがて術者が姿を消し、戦いが終息してのちも、歴史は暗い出来事のみを年表に記している。特に大陸南西部のアポロニア半島では、天災や疫病が頻発し、山河は荒廃して、民衆は飢餓と貧困に陥った。

 しかしこの年、つまりミネルヴァ暦441年、人々の前に突如として希望の新星が現れる。

 それは、一説には2世紀にもわたり行われた「術者狩り」によって死に絶えたとも言われていた術者であった。

 アポロニア半島を領有するアパラチア帝国に、セーヌという村がある。人口わずか400人ほどの小さな田舎町に過ぎない。一年を通し、西のグアダラハラ山脈からの乾いた風が東のベンチュリー海へと穏やかに吹き抜け、乾燥微風の気候を活かしたオリーブ栽培が行われている。

 その農家の家に生まれたソフィーは、幼少の頃から天才的な音楽の才能を持っており、3歳で笛を吹きこなし、5歳で作曲をしたという。彼女ののこした曲は、民謡や讃美歌としてそのいくつもがアポロニア半島各地に伝わっている。またその作曲技法や着想は、のちのロンバルディア教国のルネサンス音楽にまで影響を及ぼしているとも言われる。

 ソフィーの双子の妹であるソフィアも絵画の伝説的巨匠で、カルディナーレ神殿の壁画やドロミーティ礼拝堂のフレスコ画を描いたことで有名である。こちらも、美術史を転換させたほどの非凡なる功績を残したことは周知の事実である。

 ただ無論、ここから述べる話柄わへいは、彼女たちの芸術家としての軌跡を追うことが眼目ではない。

 史上最も偉大な術者とされ、さらにはロンバルディア教国という新国家成立の旗印となり、ともに初代女王として王朝の基礎を築いたふたりの術者の振舞いを描くこと。

 その物語なくしては、ミネルヴァ大陸の歴史は語れないであろう。

 さしあたりは、彼女たちが術者としての異能を、セーヌの村という、世界と称するにはあまりにささやかな小世界に対して示した、ミネルヴァ暦441年の出来事から順に触れていくのが適切かと思われる。

 この年、彼女らは16歳。

 少女と表現するには大人びた、だが大人と称するにはまだあどけなさの残る、まさに人が人として花開こうとする時分であった。

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