第48話 妻は無自覚に俺を煽る(アレス視点)
俺はロザリアの専属執事として馬車に同乗したが、オースティン伯爵家に着くまでよく我慢したと思う。
いや、馬車だけじゃない。あの皇太子と皇女が旅についてくると言ってから、目の前で俺のロザリアに近づこうとする雄を殺気を放たずこらえていた。
しかも途中の宿屋ではなぜかロザリアと別室にされ、あのクソ皇太子と同室という地獄だった。
だけどロザリアがラクテウス王国のため懸命に魔道具の販路確保に尽力していたから、その気持ちを尊重していた。本来ならロザリアと同室に持ち込むところも、おとなしくしていた。
皇太子からはロザリアの好きな食べ物や飲み物、趣味や嗜好について細かく聞かれたので常に二番目に好きなものを教えていた。一番好きなものと聞かれなかったから、問題ないだろう。
それでも結婚前の九年間に比べたらマシかと、短いため息をついた。
オースティン伯爵の屋敷では個別に部屋を用意され、ロザリアが疲れている様子だったのでリラックスできるカモミールティーを淹れて部屋を出てきた。
「ねえ、アレス殿下、聞いてますか?」
「ああ、申し訳ありません。長旅で疲れが出たのでひとりにしてもらえますか?」
「お疲れでしたら、わたくしが癒して差し上げますわ!」
「いえいえ、結構です。それには及びませんので。では」
「あ! アレ——」
いい加減面倒だったのと緊急事態だったので、聞こえないふりをして扉を閉めた。
俺の短気でロザリアの努力を水の泡にしないよう、最低限の接触で済むようにしている。あまり邪険にしすぎて拗ねられるとさらに面倒なので適当にあしらっていた。
「で、なぜロザリアの部屋に皇太子がいるんだ?」
俺は覚醒した竜人の力により、精度の高い魔力感知ができる。すぐにロザリアの部屋に転移しようとしたところで、皇太子が部屋から出ていった。続いてロザリアが俺の部屋に向かってきている。
「……一歩遅かったか。あの女が邪魔しなければすぐに駆けつけたんだが」
ロザリアが部屋の前までやってきたところで、そっと扉を開くと珍しく俺の胸に飛び込んできた。
「アレス……!」
「お嬢様、どうされましたか?」
そっと背中を抱き寄せつつ、扉を閉める。だけど、ロザリアからわずかに皇太子の移り香が鼻先を掠めて、一瞬で冷静さを失った。
「ロザリア、皇太子になにをされた?」
「え? あ、なにもされていないけれど……仮眠をとっていたら目が覚めた時に目の前にいたの」
「は? なぜだ? 確かに鍵もかけていただろう?」
「それが私が寝入っててノックに返事をしなかったから、心配して合鍵で入ってきたと言っていたわ」
皇太子の非常識な行動に、思わず殺気が漏れ出してしまう。ロザリアが慌てて細腕で俺を抱擁する。
「大丈夫、なにもなかったから。でもあのふたりの目的がわかったの」
「目的……?」
「ええ、私がハリエット様の妻になって、セラフィーナ様をアレスに嫁がせるのが目的だったのよ」
「……ありえない」
「そうよねえ」
そこでロザリアがふわりと微笑み、言葉を続けた。
「私の最愛を他の女性に譲るわけがないわ。アレスだけはなにがあっても手離さないのに」
普段から愛の言葉を囁くのは圧倒的に俺からが多い。だからたまにロザリアから強烈な愛情表現をされると、歓喜に心躍り歯止めが効かなくなるのだ。俺はいつもの流れでロザリアに口付けしようと、真っ直ぐに見つめる。
「それは光栄なことだ。わかっていると思うが、俺も同じだ」
「ふふ、わかってるわ。あの、それでね、今廊下ですれ違ったし、さっきまでここにセラフィーナ様がいたでしょう……?」
鼻先が触れ合う距離で、ロザリアは先ほど追い返した女のことを口にした。確かにロザリアが来るほんの数分前まで、部屋の入り口で内心ではいやいや対応していたが、ここで尋ねるほどのことだろうか?
「いったい、なにを話していたの?」
「ほとんど聞き流していたけど、やたら散歩に行こうだのカフェに行こうだの誘われたな」
「え! へ、返事は……?」
「もちろん断った」
そこでホッとするようにロザリアが短く息を吐いた。
そんなに気になっていたのか? ……つまり他の女と接触している俺が心配になって来てくれたのか?
「ロザリア、もしかして俺が他の女に現を抜かすと思った?」
「違うの! アレスを信じていないわけではないのだけど……その……」
「じゃあ、他の女といると思って嫉妬した?」
「……嫉妬、したわ」
その言葉に、ロザリアの涙ぐんだ深緑の瞳に、心が沸き立つ。
あのロザリアが、嫉妬してくれた。嫉妬するほど俺を求めているのだと実感して、どれほど俺がロザリアを愛しているのか刻みつけたくなる。
ロザリアの額や桃色の頬、柔らかな唇にキスを落とし、耳元でそっと囁いた。
「ロザリアが嫉妬してくれて嬉しいと言ったら、怒る?」
「怒らない……けど」
「けど?」
「私だけのアレスでいると約束して」
エメラルドの瞳の奥には、俺と同じ狂愛が顔を出している。番を求め、欲し、己のものにするという渇望がゆらめき、暴走しそうな焦燥感をにじませていた。
「もちろん。俺はロザリア以外なにもいらない」
そのままロザリアを貪る寸前で、ストップがかかる。
「待って、アレス! もうすぐ夕食の時間よ」
「……後で街で調達でもなんでもしてくるから、今はロザリアが欲しい」
「っ! あの、今じゃなくて……後で、夕食の後で、私の部屋に来てくれる?」
恥じらいながらも俺を大胆に誘うロザリアが、かわいすぎてどうにかなりそうだ。
ここでお預けとは……今夜どうなるかわかって言っているのか?
「お嬢様のお望みのままに」
まあ、どうやったって俺がロザリアに逆らえるわけなんてないから、今夜思う存分ロザリアを堪能しよう。
その後は楽しみすぎて、いつもより気分よく過ごすことができた。皇太子がロザリアに話しかけても心に余裕が持てる。皇女の相手は相変わらず面倒だったが、この女のおかげでロザリアが俺に嫉妬したのかと思ったら寛容になれた。
夕食は始終和やかで、食後のお茶を飲みながらロザリアが魔道具の販路について交渉を進める。
オースティン伯爵は国花を国中に届けるため、運搬業についてもさまざまな権利を持っていた。つまりその運搬経路を使わせてもらえれば、帝国中に魔道具が届けられる。後は帝国中に支店を持つ商会を押さえれば、任務完了だ。
「それでは、定額でよろしいですか?」
「はい、その代わり優先的に魔道具を卸していただければ、元などすぐに取れましょう」
「オースティン伯爵、ありがとうございます! それでは契約書はこちらになりますね。他に付け足す項目はありますか?」
「ふむ、よろしいでしょう。この内容でお願いいたします」
こっちの方はあっけなく話がまとまり、皇太子も満足げだ。
俺は早くロザリアとふたりきりでゆっくりしたくて、さっさと食堂を後にした。
ロザリアの部屋に入り後ろ手で鍵をかけると、カチリと金属の接触音が静かな部屋に響く。邪魔が入らないよう、同時に防音と侵入禁止の結界も張っておいた。
俺はこらえきれず、ロザリアの薄紅色の唇を貪った。とろけるような極上の味わいに、愛しさが込み上げる。
「アレス、待って。先に湯浴みしたいわ」
「……そうだな、準備してくるから待ってて」
しばらくロザリア断ちをしていたようなものだったから、ガツガツしすぎた。頭を冷やすためにも、自分を清めるためにも、風呂の準備をしながら汗を流す。
バスローブを羽織り、ロザリアと入れ替わりで浴室から出てきてベッドに腰を下ろした。
落ち着け、もう結婚して二年目だ。蜜月だって人より長めに三カ月も取っただろう。
そんな風に自分を落ち着かせていると、ノックの音が響いた。ガチャンと解錠されたような音が鳴り、ガチャガチャとノブが回されている。結界を張っておいて正解だった。
この魔力は皇太子と皇女だ。ロザリアはまだ風呂から上がらない。俺は事前に撃退するべく扉に向かった。
パチンと指を鳴らすと同時に結界が解除される。
「おおっ! やっと開いたぞ!」
「もう、いったいなんなのよ!?」
「……なにか用か?」
俺がいると思っていなかったのか、皇太子と皇女は驚きこれでもかと両目を見開いている。
「なっ! なぜ貴様がここにいる!?」
「あああ、アレス殿下!? ちょっと待ってくださいませ! その格好は……!!」
今の俺は髪が湿っていて、バスローブを羽織っている。そこでいい撃退法を思いついた。
「なぜ? 夫婦がこの時間にすることなど決まっているだろう」
俺の言葉に、皇太子は怒りで、皇女は悔しさで、みるみる顔を赤く染めていく。正確には一日の汗を流しているだけなのに、ふたりの反応が面白かった。意外とからかい甲斐があるようだ。
「お前! 専属執事の分際で! 身の程を知れ!!」
「そ、そうよ! アレス殿下がそんないかがわしいことをするなんて!!」
「ロザリアの夫は俺だ。専属執事だが王太子でもあるし、妻との間に後継者を作るのは王族の義務だろう?」
皇太子と皇女は口をパクパクとさせているだけで、なにも言えない様子だ。まあ、義務など関係なくロザリアを貪るのだが。
「では、もう夜分なので失礼する。ああ、ここでの会話は忘れてくれ。そうでないなら、ラクテウス王国の王太子夫妻を侮辱したと父にも報告を上げることになる」
ハッとした様子で、皇太子が俺を睨みつけた。
「わかっていると思うが、竜王が動いたら俺でも止められないからな」
一瞬、「止まらないのはアレスだろう!?」と空耳が聞こえた気がした。
その通りだなと思いながら扉を閉めて、防音と侵入禁止の結界を張り直す。
女神のようなロザリアを朝まで堪能して怒られたのは、いい思い出になりそうだ。
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