第三十四話・アミーとサミジナ
曲がり角の陰から廊下の様子を窺おうと顔をほんの数センチ出すと、乾いた音と同時に壁の一部が弾け飛んだ。
慌てて顔を引っ込める。
相手は廊下の端、五十メートル程の距離から対角線状に正確にこちらを狙撃してくる。
「サミジナさん、どうしましょうか……」
隣で矢を番えるサミジナにおどおどとした様子でアミーは尋ねる。
「出方を慎重に見るしかないわ」
「了解です」
一瞬の出来事だった。
仲間と別れて第二校舎へと入った二人は廊下の中央付近で待ち伏せしていた序列十三位ベレトと会敵した。
二人の姿を見るなり問答無用で構えていた機関銃を撃った。
反応が良かったのはサミジナだった。
轟く無数の発砲音。一つでも当たれば肉を抉る弾に臆する事なく黄金に光る矢を番え、ベレトに放った。
当たる寸前で花火のように拡散した矢に引き金を引く手が止まる。
訪れた束の間の平穏を逃さず、アミーを抱えて死角へと転がり込んだ。それを受けてベレトも死角に隠れ遠距離射撃を続けている。
双方とも無闇に姿を晒そうとはしない。膠着状態が続いていた。
「ベレトさんも二人で行動していますね」
「そうね。それが誰なのかが肝。まだ判別出来ないわ」
魔力感知によりあちら側も二人なのは割れていた。ベレトとごく近い場所にいるその悪魔は時折、独り言を呟いているようだった。反響して耳に入る声色は男のものだ。
候補を何人かピックアップする。せめて相性の良い相手であることをアミーは願う。
「だー! もう我慢出来ねぇ! サミジナ! アミー! そこにいるんだろ! どっちでもいい! さっと俺と殺し合おうぜ!」
廊下の端から喋っているのに耳を塞ぎたくなる声量。声を聞いて初めてわかったベレトの相方にアミーは冷や汗を流した。
「おい。勝手に行くな」
「うるせぇ! 飛び道具を使ってでしか戦えない臆病者が! 俺には俺のやり方ってモンがあんだよ!」
どうか彼でありませんように。
恐る恐る顔を出し、答え合わせをする。
茶色のオールバック、鍛え抜かれた筋肉は身につけた衣服を圧迫し外に出たがっている。顔まで浮き上がっている血管は苛立ちの現れだろう。今にも校舎を破壊し始めそうだ。
ソロモン七十二柱序列十二位シトリー。数日前、管轄街であるウォフ・マナフの姉妹都市アカ・マナフにゴーレムを送り込んだ張本人である。
アミーとしては最悪な相性だった。接近戦を繰り広げられるのは良かった。だが体格差があるのは分が悪すぎる。子供と大人が本気で殴り合うようなものだ。
一気に押し寄せる不安と吐き気。
――グレモリーお姉様がいれば……。
崇拝して止まないグレモリーならば七十二柱屈指の強豪であるシトリーにも嬉々として戦ったであろう。
肉弾戦最強と呼ばれるグレモリーはいない。自分が不安に駆られている今もどこかで戦っているに違いない。もう決着を着け、救援に来てくれているのかも。
怖じ気づく姿を見られるのは恥。わかってはいても足は震えて動かない。
「アミー」
「は、はい!」
サミジナの優しさに溢れる声にすらビックリしてしまう。
向き直ると、サミジナはしゃがんでアミーを見上げていた。落ち着かせるように両肩に手を置き、語りかける。
「アミー、シトリーが怖い?」
「はい、少し。私が勝てるのかと」
「大丈夫よ、アミー。あなたは強いわ。私よりずっと、ね。本気のアミーはシトリー何かに負けないわ。私は援護しか出来ないけど、絶対死なせないわ」
一言一句違わずに脳内でリピートされるサミジナの言葉。
アミーはどこまでも素直だった。愚直で馬鹿正直で、相手の言葉の裏を特に勘繰る事もせずそのまま受け止める。
無論、サミジナとて嘘を言った訳でも騙そうとした訳でもない。ありのままの事実をアミーに励ましとして送っただけなのだ。
足の震えが止まる。不安と吐き気は消え失せ、自信が沸き上がってくる。
アミーは褒められて伸びるタイプだった。
「私はシトリーさんを倒しますので、サミジナさんはベレトさんをお願いします」
「ええ、わかったわ」
小さく頷いて応じ、飛び出す。シトリーが「おっ」と漏らす。
「私が相手です!」
拳を握りしめる。右には黒の、左には白のオーラを纏わせ、地面を蹴る。
シトリーは両腕を顔の前にやって防御の態勢。その上から右の拳を打った。
「ぬおっ!」
アミーの殴打は、彼女の細い腕と幼児体型から想像し得る体重からはかけ離れて重い。魔力を込めたオーラがアミーの打撃の威力を増幅させていた。
ガキだからと気を抜いていたシトリーの巨体が僅かに後退する。
続けて放った左フックは側頭部に。揺れるシトリー。
「クソガキがゴラァ!」
ガードを解き、右手の握り拳を左手で包む。そして合致された両手を黒い岩石がまた包み、ハンマーのように振り下ろした。
まだ地に足を着けていないアミーは宙に放り出された猫のように体を翻して不安定な体を整える。
着地するのとシトリーの一撃がアミーの頭に命中したのはほぼ同時だった。
ギリギリ間に合った両腕のガード。しかしシトリーの固有魔法『岩石』を付与し強烈な一撃に意識が飛びそうになる。衝撃はアミーの体を突き抜けて足元の床に亀裂を作っていた。
「潰れろ潰れろ潰れろぉ!」
圧が徐々に増す。さながら大岩が積み重なっていっているような。
このまま潰されては意気込んでシトリーの相手を引き受けた自身の名折れ。
一か八かシトリーの内腿へ鞭の如しオーラで強化された蹴り。打った瞬間、踏ん張りが弱くなったのがわかった。ぐらついた隙を見て脱出する。
息つく暇もなくシトリーの拳が降る。壁に痕を残し、床を砕く。
アミーは小さな体躯を活かした素早い動きで的を絞らせない。
「シトリー邪魔だ! 撃てない!」
「邪魔するなベレト! こいつは俺が殺す!」
アミーの動きはベレトと味方のサミジナの手を完全に止めていた。撃てば味方に当たってしまう。そんなつまらないミスで足を引っ張るのは武器は違えど、狙撃手として絶対に避けたい事であった。
「おのれちょこまかと逃げやがって!」
大振りの打撃を繰り出すシトリーに対してコンパクトに打ち出して確実に当てていくアミー。
アミーのペースを断ちたいシトリーは両手を広げて掴みかかる。
アミーは動かない。オーラを足に集中させ、タイミングを見計らう。
自分の間合い、相手の急所の位置。フィジカルの差をテクニックで補う。小さな体躯はデメリットではなくむしろメリット。
シトリーの両手をすり抜け、足を縦方向に百八十度開き、がら空きの顎に軍靴の硬い靴裏をめり込ませた。
前のめりに倒れて四つん這いになるシトリーと距離を取る。
「シトリーさん、私は負けません。私が倒れればこの先多くの方々の命を奪うでしょう。そうなる前に、ここで倒させていただきます」
「クソガキが!」
床に拳を打ちつける。破片がアミーの頬を浅く切る。
顎に打った蹴りにかなりの手応えを感じたものの、屈強な体のシトリーを沈めるには及ばない。
「何が『倒させていただきます』だ! 調子乗ってんじゃねぇ! 本気でお前を消す!」
シトリーの胴の中心からゴツゴツとした岩石が広がっていく。両目と口元の三点以外を覆い尽くした。
『
――集中しないといけませんね……。
嵌めている白手袋をしっかりと手に馴染ませる。軍帽を被り直し、鍔を少しだけ上に向けた。
片方の拳を顔の前に、もう片方は顎下辺りに置いてファイティングポーズを取る。
再び始まる
手数でじわじわ攻めるアミー。一撃で大ダメージを与えようとするシトリー。
シトリーはアミーの細かい攻撃を避けも防ぎもしない。
常に決定打となり得る攻撃を繰り出し続けることにより、自身に蓄積するダメージの代わりに圧力をかけることにより集中を切らせる作戦だった。
シトリーの作戦は子供の身であるアミーには
「どぉしたどぉした! そんな攻撃痛くもねぇぞ!」
「くぅ……」
ガードの上から一発もらう。
屈強な体のシトリーの一撃がもたらす負荷は甚大でアミーを少しばかり後退させた。
壁に隠れるサミジナは見守る事しかできない。
いくら弓術が長けていても、シトリーの猛攻を掻い潜りながら動き回るアミーに当たらないように矢を放つのは不可能だった。
見守る事しかできないのはベレトも同じ。
前方で攻防を繰り広げる二人の内、体が大きいシトリーの方が当たりやすい。勿論、その様なヘマはしないがもし誤射してしまって連携が乱れる事態になるのは避けたかった。
状況はアミー達のやや不利に傾いている。しかしアミーの負けん気とシトリーを任された責任感の強さが悪化を防いでいた。
そう、アミーは真面目なのだ。仕事でも戦闘でも何に対しても真面目なのだ。
常に正攻法で戦う。それが相対した敵への礼儀だと思っている。
だからシトリーの肩の辺りから出現した岩の拳が自分の後方へ勢いよく向かった時は、なぜ自分を狙わないのかと疑問で頭が埋め尽くされた。
それがサミジナを狙った攻撃だと理解した瞬間、アミーはサミジナを助けようとシトリーに背を向けていた。
「サミジナさ……」
「もらったぁ!」
小さな背中を叩き潰す巨岩。『岩石』の魔法で一回りも二回りも大きさを増した拳、もとい巨岩が何度も何度も打ち降ろされていた。
シトリーはアミーの頭を鷲掴みに、無言で投げた。壁を、窓を破ってアミーは外へ。鼻息荒くシトリーも外へ向かう。
「ベレト! 手柄は譲るぜ」
シトリーの標的はあくまでアミー。
歯牙にもかけないシトリーが前を通り過ぎた後、サミジナは急いで階段を駆け上った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます