第八話・特訓地獄

 数人の女性を侍らせて玉座に座る男の前に跪く大勢の悪魔。一人は恐怖で体を小刻みに震わせながら、一人は瞳を閉じて男を心酔している面持ちでいる。

 男が広間に悪魔達を召集し、敬意を表す姿勢をとらせてから数分が経った。皆、男がどんな言葉を口にするのだろうと固唾を飲んで待っていた。


「おい、いつまで黙ってるつもりだ? 俺達は暇じゃないんだが」


 玉座から近く柱にもたれかかって立っている人物が痺れを切らして言った。口調は男だが声色が女性だ。


「貴様! 伯爵様に向かってなんという口の利き方だ! たたっ斬ってやるぞ!」


 玉座のすぐそば、上下白のスーツに身を包んだ男が怒鳴り腰の剣を抜こうとする。


「やってみろよ。お前みたいな弱者に傷一つつけられやしないけどな」

「なにを!」

「うるせぇ」


 しわがれた声が響いた。広間の空気がピシリと張りつく。


「今話そうとしてたところだ」


 白スーツの男は一礼をして前へ向き直った。柱にもたれかかる女はそっぽを向きなにも言わない。


「既に聞いてると思うがオセーのやつが捕まったのは知ってるな。まぁあんなザコの代わりはいくらでもいるが俺が言いたいのはだ」


 少し間を空ける。


「オセーを倒したのが悪魔界にやってきた人間ってことだ。しかもそいつあの巨神器、魔剣フルングニルを覚醒させたんだと」


 悪魔が人間に負けたことは今この場で初めて知らせた。そんな衝撃的事実を口にしてもなお、広間には男の声だけしか聞こえない。跪く悪魔達は一言も発することなく男の声に耳を傾ける。


「お前らはわかっていると思うが、ウォフ・マナフ管轄悪魔は精鋭中の精鋭。上位勢のサミジナ、マルバス。参謀長ダンタリオン。アミーのガキ。暴君グレモリー。そして例の人間。まだ動く時じゃないがこいつらに出会ったら心してかかれ。いいな」

「承知しました!」


 悪魔達が一斉に返事をする。


「いつまでも序列にこだわっているやつらを皆殺しにし、俺達が力でこの世を支配する!」

「はい! アガレス伯爵!」


 ※ ※ ※


 先日、力不足を指摘された大和は戦力差を補うための特訓を受けることを決意した。

 正直な所、悪魔が行うトレーニングとはどんなものなのかといった興味も少なからずあった。大和自身、剣道を習っていた頃は瞬発力などの増強のために日々トレーニングに勤しんでいた。過酷なものだったが、その分成果は出ていた。

 あのグレモリーとはいえ、相手は人間。それなりに手加減してくれると期待していたのだが、現実はそう甘くないものである。


「おらぁ! 速く走らんか! 日が昇るまであと少しじゃぞ!」


 背後でグレモリーが叫ぶ。

 大和は現在、ウォフ・マナフの隣街のアカ・マナフの境にそびえ立つ標高二千メートルあるメモアブ山を数メートル先が朝霧で見えない中をひたすら駆け登っていた。

 腰に装着したベルトから二本のロープが後ろのソリに繋がっている。そのソリにはグレモリーが乗っており、大和の走りが遅くなる度、大声で発破をかけていた。


「重いんだよグレム!」

「悪態をつく力があるなら馬車馬の如く足を動かせ! 間に合わんかったら一往復増やすぞ!」


 前提としてこのソリ引きが何往復で終わるのかを事前に伝えるべきだ。仮に一往復で済むのを二往復にされたら間に合わせるが、十往復で終わるならばたかだか一往復増えようが大した救いにはなっていない。

 人が気持ちよく寝ていたところを叩き起こされ、グレモリーの乗るソリを引いてメモアブ山の麓に着いたときは寝ぼけ眼を見開いて雲に隠れる山頂を仰いだ。グレモリーに言われるまま、特訓が始まり今に至る。

 この特訓は地獄だ。最初は整備された山道をそれなりのスピードで進んでいたが、途中から面倒になって一直線に頂上を目指すルートに変更した。

 フルングニルの加護があるとはいえ、身長百八十センチでいつもの鎧を装備しているグレモリー、それに加えてソリの重量。ざっと二百キロもの重さを牽引するのは特訓よりかは拷問に近いものを感じる。


「あとどれくらいで頂上?」

「この速度のままいけば三十秒じゃな」


 その言葉に僅かな希望を抱く。

 体育の授業でやった持久走を思い出す。ゴールまであと半周とわかった途端に足に力が入る。大和はそのタイプだった。

 未だに見えない山頂を睨む。

 少しずつ足の回転を早める。後ろに乗る憎たらしい悪魔を振り落とす気持ちで進む。


「ん? 急にやる気になったか? ほらもっと走れ」


 他人事かこいつ。いつか絶対ボコそう。

 怒りすらも力に変え、大和はグレモリーから言われた時間の半分程で山頂に到達した。

 二人を待っていたかのように地平線から徐々に日が姿を現す。

 地面に突っ伏しそうになるのを両腕で体を支えて耐える。四つん這いとなった大和の隣でソリから降りたグレモリーが背伸びをする。


「いい朝じゃのう。この山には久しく登ってなかったが、ここから見る日の出、この景色。やはり格別じゃ。そうは思わんか」


  同意を求められるが初めて登った山に思うことなどなにもない。そんなことよりも押し寄せる足の疲労と激しい息切れと嘔吐感で山頂からの景色を眺める余裕がない。顎から滴り落ちる汗が、一滴、また一滴と真下にあった白い石に染みを作っていく。

 立ち上がれない大和を見かねたグレモリーがしゃがみこんで顔を覗いてくる。なにを思ったか顔を掴まれ、前を向かされる。


「見よ、大和。心が安らぐぞ」


 薄い層雲の下に森林が広がり、遠くに目をやると湖がありそのすぐ近くにウォフ・マナフの街全体が見える。

 突然、森の一部がゆっくりと動き出した。地ならしを起こしながら地面が盛り上がり、木々を生やし緑色に光る単眼を持つ頭の人型に構成された岩でできた巨人が地中から出現した。それも一体だけでなく見回すと計七体もの岩石巨人がのそのそと動いていた。


「こいつらなんなんだよ!」

「フォレストゴーレム。この森の守り神のようなものじゃな。なあに、森林伐採なんかをせん限りは襲ってこんわい。たまたま日の光を浴びたかっただけじゃと思うがの」


 見た目がかなり厳ついがグレモリーの言葉通り、こちらに危害を加えることはなさそうだ。

 フォレストゴーレムの一体が山頂に佇む二人を発見し、目があった。吸い込まれそうになる大きな単眼は陽光を反射してキラキラ輝いていた。十秒ほど視線を合わせた後、また地中へと戻っていった。

 雄大な景色と大迫力のフォレストゴーレムに呆気にとられていたせいか、呼吸が整っていた。足の疲労も軽減されている。巨神器の加護なのか、グレモリーが言った通り本当に心が安らいだのか。

 ともかく、生きた心地がしているのは確かだった。


「立て大和。あと二十九往復半残っておるぞ」


 今日死ぬかもしれない。


 ※ ※ ※


「であるからして、巨神器を覚醒させた者は宿している巨人の約七割から八割を自身に上乗せすることができ、固有魔法も使用することができるため自らの固有魔法との調和が非常に大事であり………」


 ダンタリオン図書館の地下、ダンタリオンの仕事場兼研究室兼寝床でマンツーマンの授業を受けていた。

 メモアブ山三十往復といういかにも脳筋が考えそうな特訓の後、朝食を食べてすぐ図書館につれてこられた。

 足の筋肉痛が酷く歩行も困難なことを伝えるとグレモリーから鎮痛剤と称した怪しげな薬を渡された。飲むのを拒むと、「自分で飲むか、我から無理矢理飲まされるかどちらか選べ」と露骨な恐喝をされ渋々服用した結果、ものの数分で痛みが引いていった。おかげでうるさいグレモリーを家に置いて一人で来れた。


「で、ここまでが巨神器の説明だ。続いて魔法についてだ。参考書の二百三ページを開いて」


 こちらが理解しているのかも確認せず次へ次へと進むダンタリオンの授業はどこぞのエリート塾を思わせる。それもそのはずたった一時間で四つの単元を終わらせていた。ただその気になっているのはダンタリオンだけで、生徒の立場である大和には授業内容の半分も頭に入っていない。


「まず魔法を使うためには魔力を貯めなければいけないが、この魔力を貯める器にはオリジンと名がつけられている。魔力は大気中にある魔力粒子を吸収することにより貯まっていく。それから………」


 この一時間、二人は休憩を挟んでいない。体力がないと言っていたダンタリオンがずっと生き生きしている。

 図書館に着いた大和を入り口で待ち構えていたダンタリオンはなぜか嬉しそうな顔で出迎えてくれた。以前ここに訪れた時の疑問が確証に変わった。彼女は人になにかを教えるのが好きなのだと。他人が知らないような蘊蓄うんちくをひけらかして感心を得る。それが彼女にも当てはまるのだろう。


「大和君、聞いているのかね」


 考え事をしていたせいでダンタリオンの話に対する集中力が切れていたのがバレてしまった。


「君の相方から頼まれたから私は貴重な研究の時間を割いてやっているのだぞ」


 相方とはグレモリーのことを指しているのか。大和は微塵もグレモリーをそのような捉え方をしたことはないのに勝手にそんな位置付けにされている。いずれあらぬとばっちりを食らいそうだ。


「私の話より優先すべきことがあるのかい?」

「いや、その、質問があって」


 脳をフル回転させて思いついた言い訳だが、この状況下において質問をする行為自体に不自然さはなく、教える側のダンタリオンも質問に答えることは嬉しいはずだ。


「なんだね? 言ってみたまえ、私に知らないことはほぼない」


 この時大和は魔力の吸収速度とか他の魔力回復方法とかを聞こうとしたが、口から出たのはとんでもない言葉だった。


「グレムのことについて教え………」


 言い終わる前に口ごもる。

 その場しのぎの言い訳はすぐボロが出てしまう。よりによって講義と全く関係のないことを聞いてしまった。

 これは怒ったか?

 不安気になりつつダンタリオンの様子を見ると、両腕を組んで訝しげな表情をしていた。


「さっきの発言を撤回しよう」

「え?」

「私は、グレモリーのことはよくわからない」


 ダンタリオンは自分の参考書を閉じて、マグカップを手に取り、中のコーヒーを一口飲んで、はぁ、と息を吐いた。

 それは行き詰まって一休みを入れる研究者の様だった。声のトーンが落ちていて、弱気になっている印象がある。


「彼女との付き合いは長い。でもそれに比例して知らないことが増えていくんだ。普通は考えられないだろ? まるで無限地獄だよ」

「あんな性格だから自分のことペラペラ喋ったりしないのか?」

「喋るさ。だけど辻褄が合ったり合わなかったりのいたちごっこさ。どれが事実なのか確かめようがないよ」


 ダンタリオンは目を瞑って椅子に背を預ける。やる気を削いでしまってなんだか罪悪感が芽生える。

 大和が使っていた参考書が勝手に閉じ、ダンタリオンのものと一緒に本棚に戻っていく。ガタガタと机も動き出して部屋の奥へと消えていった。


「今日は終わりにしよう。お疲れ様、大和君」

「あ、うん。ありがとう」

「そうそう、グレモリーのことを知りたいならマルバスかサミジナに聞くといい。私より付き合いが長いからね」


 ※ ※ ※


 ザッザッと細かい足運びの間に金属がぶつかり合う音が辺りに響く。

 真向斬りを飛び退いて避けたマルバスがあり得ない速さで距離を詰め、刀を振る。剣で防ぐか避けるかの判断が間に合わず、あと数センチで切っ先が喉元に刺さるところで寸止めされる。


「迷っただろ」

「やっぱりわかる?」

「わかるさ。反応できる速さで仕掛けたからな。本気を出したら吹き飛んでる」


 マルバスは刀を鞘に納めた。

 マルバスとの剣術特訓を始めて二十分が経つ。たったそれだけの時間でも序列五位たる所以の一撃の重さ、巧みな足捌きが感じることができる。それでも手加減しているのだから、より自分の弱さが際立つ。グレモリーはアミーと一緒に出かけたらしいが、もしここにいたら笑い者にされていたに違いない。


「剣道をやってたって言ったよな。試合の感覚が体に染み付いてるせいで判断が鈍っている」


 剣道はあくまで競技でありルールに基づいて安全に行われる。面、胴、小手を打たれたら負け。オセーとの戦いであったアクロバットな動きはない。殴る蹴るの攻撃もない。竹刀を落としたり、相手の竹刀を掴んだりしたら反則負け。だが、ここはそんなもの関係ない殺し合いが発生する。相手の息の根をとめたら勝ちなのだ。防具と竹刀がなく、一撃で殺すことのできる真剣を使っていることにも慣れなくてはいけないが、オセーを倒したとはまだ躊躇いがある。


「二人とも休憩しましょ」


 裏口からサミジナが飲み物を持ってきてくれた。

 ここはグレモリー宅とマルバス宅の裏にある共有の広い庭である。普段は家庭菜園用として使っているらしいが、たまにこういった実戦に近い訓練を行ったりするそうだ。


「早いが、まぁいいか。少し休もう」


 ベンチに三人腰掛け、サミジナから飲み物をもらって一気に半分流し込んだ。


「大和君、特訓は大丈夫そう?」

「マルバスがこっちに合わせてくれるからかなり楽だよ」

「それならよかった。マルバスが剣術を教えるは珍しいから心配だったの」

「余計な世話だ、サミジナ。手加減ぐらいはできる。グレモリーと違ってな」


 いいタイミングでグレモリーの名前が出た。しかも今は休憩中、サミジナとマルバスもいる。聞くなら今しかない。


「なぁ二人とも。いきなりだけどさ、グレムのことについて教えてくれないか?」


 二人はキョトンとした顔になっていた。ダンタリオンと同じであまり聞いてはいけないことだったか。またも不安を抱きつつ、二人がなにを言うのかを待っているとまずマルバスが言った。


「なんであいつがあんなクソみたいな性格してるかわかるか」


 あの自分勝手な性格は元からではないのか。それとも原因があってああなったのか。大和は答えられないでいた。

 マルバスは「小難しい話をしよう」と言って、ソロモン七十二柱について説明した。

 まずソロモン七十二柱は最初から現在まで同じ悪魔が在籍しているわけではなく、長い歴史の中で幾度となく欠番が出る度に殉職した悪魔の生まれ変わりを探し任命している。現在は序列四十九位が空いているらしい。そして欠番が四つ空いたことがあった時期があり、その時に同時任命されたのがサミジナ、マルバス、グレモリーともう一人の合わせて四人だった。名前が出なかった一人は昔死んでしまったが、その縁もあり今でも共に行動しているようだ。


「当時からあの性格だったが、あいつの任命前の生活を聞いて納得がいった。なんでもあいつずっと一人だったらしい。それがどういう意味かわかるか?」

「えっと、だから………」

「簡単だ。他人と関わってないから常に物事の判断基準が自分しかいない。それを長年続けていたら自分が必ず正しいと信じ、他人との価値観の差異が大きくなって、超自己中野郎が出来上がるってわけだ」

「あれでもよくなった方よ。昔はもっと酷かったんだから」


 そうだな、とマルバスが同意して二人は微笑んだ。

 もしかするとグレモリーは、悪魔界でただ一人の人間の大和と過去の自分と重ねているのかもしれない。転生した大和を一番最初に助けたのも、裁判に割って入ったのも、わざわざ同じベッドで寝るのも、そう考えるとグレモリーなりの不器用な優しさがそこにはあったのだ。


「だからね大和君。憎たらしい時もあると思うけど、グレモリーは実は寂しがり屋なところもあるから優しく接してあげてね」


 大和は頷いた。

 悪魔界に転生して五日目。すでにグレモリーの蛮行を目の当たりにし、害を被っているが、過去を知るとそれも許容してもいいのではと思えてくる。


「休憩は終わりだ。再開するぞ」

「ああ」


 庭の中心でマルバスと向かい合い、剣を構えた。

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