徒然ケの日ご飯
あんころまっくす
第1話 ゴリラと百合とカップラーメン
薄暗い部屋の外で玄関の開く音、閉じる音。
ノックはない。チャイムもない。まあでも心配するほどのこともないだろう。オートロック付きマンションのうちに挨拶も無しに入って来られるひとは限られてる。
合鍵を渡してあるからね。カギられてるひとだけに。なんつって。
「あー。エリちゃん? スエンちゃん?」
エリちゃんかな。スエンちゃんはもうちょっとこう、挨拶もするし足音もする。
「邪魔するぞ」
少し低めの掠れた声と共に静かに入ってきたのはエリちゃんだった。
ディスプレイから顔を上げて視線を向けるとサングラスに赤いポニーテールのクールな顔が視界に入る。彼女は片手で会釈すると部屋を渡ってそのままベランダへ出て行き、ディスプレイにコール表示が出た。
特に断る理由もないので通話許可ボタンをポチる。
『あのさあ、なんでベランダから通話入れてくんの?』
『部屋の中で吸ったら怒るだろう?』
『うんまあそうだね』
彼女は既にベランダのドアを閉めて煙草に火を付け、あまつさえ携帯灰皿を構えながら電話してきている。非喫煙どころか嫌煙者のあたしにめいいっぱい気を使った位置取りだ。
『とは言っても部屋に邪魔して早々顔の見える場所で世間話のひとつも無しじゃあ寂しいとも思わないか?』
『まあ思わなくはないね』
『ならば私の行動にはなんの非合理性もないんじゃないかと思うんだが?』
『なるほど一理ある。でも突然ゴリラが襲来して颯爽とベランダで煙草吸い始めたら、普通の人間は訝しい顔になるんじゃないかな』
男性平均程度に長身の彼女の体は、筋肉ダルマとまでは言わないがよく鍛え込まれていて腹筋もバッチリ割れている。ぷにぷにのあたしからすれば立派なゴリラだ。
『ゴリラとはご挨拶だな。キョーコこそまたブヨったんじゃないのか?』
『ブヨったってゆーな!? せめてプニと』
『少しくらい刺さる言葉のほうが刺激になっていいんじゃないか? どうせカップラーメンばっかり食べてるんだろう』
『ばっかりっていうか』
あたしは脇のスチールラックから新作カップラーメンを取り出す。
『まさに今からカップラーメンランチなんだけど。エリちゃんもどう? 新作の極激辛ヌードル硝煙パンチだよ』
『どんな味だよ』
『辛い以外の情報が読み取れないところがときめくよね』
彼女が窓ガラスの向こうで僅かに顔を顰めた。
『私がなにか作ろうか?』
『お、やったね豪華手料理ランチだ。あじゃーす!』
『あるものでしか作らないぞ?』
その提案にあたしは一も二もなく乗っかり、彼女は大きく溜息を吐いて煙草を揉み消すと通話を切って部屋へ入って来た。ふわりと嗅ぎ慣れた煙の香り。彼女の香り。
彼女はあたしの前で立ち止まるとロクに手入れもしていない髪に顔を寄せる。
「キョーコまた風呂に入ってないだろ」
「お、一昨日入ったばっかりだし」
「寝る前には入れって言わなかったか?」
「一昨日から寝てないのでセーフ」
ドヤ顔でカウンターをキメたあたしを見下ろす彼女の表情は笑っているけれども冷ややかだった。あ、これが冷笑ってやつですねわかります。
「なるほど小賢しいな」
「うへえ、リアルで小賢しいって言われたの生まれて初めてだなー!」
「私もたぶん初めて言った、いやそうでもないか。まあ、あんまりないかな」
「そうゆうの他人に向かって言わない方がいいと思うよ。あとこれ」
あたしは彼女のために手元に置いておいたペットボトルをその顔に押し付ける。
「ぐ……なんだこれ?」
「おくちクチュクチュすると消臭される系のアレ」
ペットボトルを受け取った彼女に説明すると、その唖然とした表情は憮然とした表情へと変わった。
「煙草って、吸ってる本人は気にならないんだろうけど残り香も結構キツいからね?」
「なるほど、本人は気にならない誰かさんの体臭と同じってわけか」
「そこでメゲずに嫌味返してくるタフさに痺れる憧れるぅ。んー、気になんの?」
腹立つな(笑)と思いながら発したそれとない問いに、彼女は少しだけ神妙な顔をした。
「そうだな……」
彼女はまたあたしの頭に、ほんの一瞬だけ顔を寄せて離れると煙草の香る溜息を吐いた。
「昼間から期せずして欲情する」
「あ、はいサーセン。すぐにシャワー浴びてきます」
真顔で答える彼女にスンとした顔で返すあたし。
「いい心がけだ。そのあいだにキッチン借りるぞ」
ペットボトルから直接消臭薬液を口に含みながら背中を見せる彼女を見送って、あたしはお風呂場へ向かうのだった。
~おしまい~
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